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第05話 その頃自宅では

その頃――ヴェゼルの自宅では。


母がお祭りに出かけている間……いや、正確には母オデッセイ・ビックがお祭りで買い物とおしゃべりの鬼と化している間、居間には三人の男と膝上に女の子が集まっていた。


まずはヴェゼルの父、フリード・フォン・ビック。


28歳にして村一番の剣士。


いや、本当に強い。木の切り株を斬るだけで、隣の家のかべまで粉々にしてしまうほど。


だが、肝心の頭脳は完全に剣の鍛錬に吸われている。


家計簿の数字を見ると、顔が赤くなり、指が震え、最後には「ふん、剣で解決できるだろ!」と叫んで紙を破るタイプの脳筋である。まあ、その後にオデッセイの怖いお説教が待っているわけだが。


その目の前には、隣領の領主にしてアビーの父、バーグマン・フォン・ヴェクスター男爵がどっしりと座っている。


大柄な体格、分厚い口ひげ、そして声を張るたびに家の梁が微かに揺れるほどの豪快さ。


話すときは必ず両手を大きく振り回すため、近くに置いてある茶碗やお茶壺は常に危険にさらされていた。


爵位は違うが二人とも元冒険者とあって、寄親の会合ですぐに打ち解け合い、今では家族同然の付き合いになっている。



そして、黙って食卓に座るのはグロム・ビック。


フリードの弟で、まるで石像のような表情。冗談は通じず、笑った顔を見た人は数えるほどしかいない。「あの笑顔を見られたら一生の運を使い果たす」と言われるほどの冷静沈着ぶりである。


居間の賑やかな笑い声がひと段落したころ、ドアの向こうから静かなノック音が響いた。


「失礼いたします」


落ち着いた低い声とともに、扉がすっと開く。入ってきたのは、フリードの旧友にして、今はホーネット領の執事兼従士長――カムリであった。


長身痩躯、白髪交じりの黒髪を後ろに束ね、背筋はぴんと伸びている。腰には装飾のない実用的な短剣を帯びているが、その立ち居振る舞いは武人というよりも洗練された従者のそれだ。


「おお、カムリか!」


フリードが笑顔で立ち上がりかけたが、膝の上の幼子がそれを阻止する。


「パパー!」


アクティ・ビック。まだ幼いその子は二歳。父の膝にぺたりと座り込んで、両手でフリードの服をぎゅっと掴んでいる。


父が動けば落ちると思ったのだろう。大きな瞳で必死にしがみつく姿は、周囲のは頬を自然に緩ませるほど愛らしい。


「おおっと、悪い悪い。アクティがいたな」


フリードは苦笑し、再び腰を落ち着ける。


その背後から、もう一人の女性が入ってきた。


セリカ。カムリの妻であり、かつては夫と共に冒険者として名を馳せた女剣士だ。今は侍女長としてビック家の細やかな仕事を取り仕切っている。


「お茶のお代わりをお持ちしました。……お二方の笑い声が庭まで響いておりましたよ」


手際よく茶器を並べながら、セリカは呆れ半分、微笑み半分の表情を浮かべる。


「おお、お茶か、ありがたい!」


フリードとバーグマンが茶を注がれるたびに大げさな声を上げる一方、フリードの弟グロムはただ無言で湯気を観察している。


そんな大人たちの中、カムリの横に控えるのは、まだ幼いが凛々しい顔立ちの少年――トレノだった。年は八歳。


主人公ヴェゼルより三つ上で、執事見習いとして父の影響を強く受けている。


「失礼いたします。私、トレノも給仕をお手伝いします」


小さな手で器を運ぶ姿は、ぎこちないが真剣そのもの。


「おお、トレノか。いつの間にか大きくなったなあ!」


フリードが感慨深そうに声をかける。ま、昨日も会っているが。もう慣れた。


「ありがとうございます、旦那様」


トレノは深く一礼する。その礼儀正しさは、目の前で茶碗を豪快に揺らすバーグマンとはまるで対照的だ。


「ふむ……その歳で随分と様になっておる。さすがカムリの倅よ」


バーグマンが感心したように髭を撫でると、トレノは照れくさそうに視線を逸らした。


だが、その時。


「とれのー」


膝の上のアクティが、ぱちぱちと手を叩きながらトレノの名を呼んだ。


「はい、アクティ様。お行儀よくしていましょう」


優しく答えるトレノに、アクティはにっこり笑いかける。



「ふむ……この姿を見ると、将来のヴェゼルとアビーもあんな風になるのかもしれんな」


バーグマンが何気なく言うと、即座にフリードが身を乗り出す。


「むしろ、なるべきだろう! わしは今この場で断言するぞ! ヴェゼルとアビーは――」


「勝手に縁談をまとめるなよ兄貴。そもそも騎士爵風情の家に嫁いでも、ヴェクスター男爵家にはさほどの利益はないだろう」


グロムの冷徹な声が会話を遮る。


だが、フリードは止まらない。


「考えてみろ、カムリ! もしお主の息子トレノが将来ヴェゼルの従者になれば、これはもう完璧な布陣ではないか!」


突然振られたカムリは、眉一つ動かさず静かに答えた。


「……ご命令とあらば」


「ほら見ろ!」


フリードが嬉しそうに叫ぶ。


「いや、あれは“仕方なく”って意味だろう」


グロムがまた冷静に突っ込み、場に笑いが弾ける。


その時、膝の上のアクティがふいに大声をあげた。


「あにゅえ!(兄上!と言っているらしい) あびー!」


まだ不完全な言葉ながら、はっきりと二人の名を呼んだ。


「おお!」


フリードとバーグマンが同時に感嘆し、セリカが「あらまぁ」と目を見開く。


「……やはり縁は決まっているのだ」


「……ただの偶然だろう」


グロムの淡白な否定も虚しく、部屋の空気は一気に“未来の婚約祝賀会”のような浮かれた雰囲気に包まれていく。




「とれのー、あにゅえー!」


アクティがもう一度、小さな声で名前を呼ぶ。


その瞬間、トレノは小さく姿勢を正し、両親や大人たちに向かってはっきりと口を開いた。


「……僕は、将来ヴェゼル様のお傍に仕える覚悟があります」


居間の空気が、少しだけ変わった。


「ほう?」


バーグマンが目を丸くする。


フリードも驚いたようにトレノを見つめた。


トレノは真剣な顔で言葉を続ける。


「ヴェゼル様は優しいし、普段は少しおっとりされています。だから、僕が隣で支えてあげなければと思うのです。……アビー様に振り回されても、ちゃんと止められるように」


その幼いながらの言葉に、大人たちは一瞬黙り込む。


やがて、グロムが小さく鼻を鳴らした。


「……ほう。すでに“仕える者”の視点で物を見ているな。執事見習いにしては筋がいい」


バーグマンが両手を叩き、豪快に笑い出す。


「八歳にしてそこまで考えるとは! ヴェゼルは幸せ者だな!」


フリードも、感慨深げに頷いた。


「確かに……俺の息子はのんびり屋だからな。トレノがそばにいれば、心強いだろう」


カムリもまた、珍しく小さく頷いた。


「……トレノ、お前の覚悟、確かに聞いた」


すると、トレノはきりりと背筋を伸ばし、深々と一礼した。


「はい、父上。必ず立派な従者になります」


その姿はまだ小柄で幼い。だが、確かに芽吹いた意志の光は、場にいた誰もが見逃せなかった。


「……ふむ」


グロムが腕を組んで、低く呟いた。


「将来、ヴェゼルの背後には強き妻と忠義の従者が控える……か。悪くない未来図だ」


「むしろ完璧じゃないか!」


バーグマンがまた豪快に笑う。


「これでアビーが少々暴れすぎても……安心して見ておれるわ!」


「いや、“少々”どころじゃないからな」


フリードが苦笑しつつ、アクティをあやす。


「だが……いいな。ヴェゼルにはトレノが必要だ。俺もそう思う」


ちゃぶ台の上の湯気がふわりと広がり、大人たちの笑い声とともに、未来の姿を描くように漂っていく。


そして、その中心にいる小さな少年――トレノは、胸の奥でひとつの誓いを固めていた。


(ヴェゼル様……。僕は、必ずお傍で支え続けます。たとえどんな未来が来ようとも)


まだ幼い従者の芽生えは、この瞬間から確かに根を張り始めたのであった。


豪快に笑っていたバーグマンだったが、ふと笑い声の合間に背筋をぞくりとさせた。


(……待てよ。アビーとヴェゼルとの婚姻を、、なんて言い出したが……わし、これ、妻のテンプターに相談してなかったな?)


脳裏に、あの気丈な妻の姿が浮かぶ。


いつも穏やかに見えるが、眉をぴくりと吊り上げて「バーグマン様?」と一言だけ冷たく言われると、全身の血が凍る。


(や、やばい……勝手に縁談を進めたなんて知られたら、家に帰った瞬間、食卓の椅子を減らされる……! 最悪、わしだけ縁側に追い出される……!)


バーグマンの顔から一瞬血の気が引いた。


しかし次の瞬間、無理やり笑顔を作り直す。


(だ、大丈夫だ。きっと、、、アビーは、どうせ母親の説得なんぞ聞かず、勝手に「ヴェゼルと一緒がいい!」と言い張るに決まっておる! むしろ、テンプターが反対しても押し切る勢いだろう!)


そうやって自分に言い聞かせながら、ぬるくなった茶碗をぐいっと一気に飲み干す。


「はっはっはっ! いやぁ、良い未来が見えてきたわい!」

と豪快に笑いながらも、心の奥底では小さく震えていた。


(……帰ったら、テンプターの機嫌を取る菓子でも買って帰ろう。甘い菓子なら許してくれるはずだ……きっと……!)




だが、セリカの笑顔と、真剣に茶を注ぐトレノ、そして「パパー」と笑うアクティの声が響くこの場は、不思議な温かさに包まれていた。


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