第49話 春を待つ
ルークスが皇都に一度目に行たきり、まだ戻ってきていない時期あたり。
そう、年が明け、一月一日。ヴェゼルは六歳の誕生日を迎えた。
まだ幼いながらも、村の人々にとって彼はすでに「ただの子供」「りんご収納坊や」ではなかった。
前年からやった農法の成果?、そして農業のさらなる工夫の数々は、彼が中心となってオデッセイや家族と共に築き上げたものだからだ。
ただ、いつでもあの小さな箱を左手に持っていた。どうしても両手を使う祖母は、いつでも下げている斜めがけのバッグに入れるようにした。
雪解けと共に、村人たちは動き出す。
グロムや護衛に守られながら、村人とヴェゼルたちは森の浅瀬へ向かい、黒々とした腐葉土を大きな籠に掬いあげていった。
去年の夏から蓄えてきた家畜や人間の糞尿を熟成させた肥料と混ぜ、さらに炭焼きで出た灰や収穫後の野菜屑を焼いた灰を加える。それを畑に広げ、鋤で土に馴染ませていく。
「これで、土が生き返るんだのう」
村の古老が感慨深げに呟くと、若い農夫たちが誇らしげに笑った。
輪作の利点を理解した村人たちは、今年から皆で協力し合うことを決めていた。
痩せた畑では、収穫の見込めなかった作物に代わり、毒芋(いまは徐々に村民に「ウマイモ」=命名アクティ=美味い芋だから、、にしていこうと提案中)を栽培することも始まった。
白樺の樹液からは、昨年と同じく一部をアルコールに回している。
冬の間に採取した白樺の樹液は、しっかり煮詰めて瓶に保存されていた。貴重な甘味は、村の誇りでもある。
冬が極寒のこの地方近隣にしか白樺は自生していないが、念の為、樹液の元が何なのかは村民の間で口外禁止にしている。
さらに今年は、新しい試みが導入された。
畑に直接種を撒くのではなく、まずは苗床を作り、そこに種を撒いて発芽させる。
強く育つ芽だけを選んで畑へ移植する方式だ。これにより間引きの手間を省き、栄養を集中させることができる。
村人たちは、その理にかなった方法に大きな期待を寄せていた。
そんな村の営みの中で、ヴェゼルも喜ぶ特別な来訪の知らせが届いた。
明日、隣領の男爵領主、バーグマンと娘のアビーが村にやって来るという。
村の人々にとっては待ちわびた日であり、ヴェゼルにとっても少し緊張を伴う日だった。そして、その翌日には春の祭りが控えている。
厳しい冬を乗り越え、豊かな実りを祈る祭り。
今年は新しい農法を始める節目でもあり、村全体がこれまで以上に賑わうだろう。
ヴェゼルは、夜空を見上げながら胸を高鳴らせた。
六歳になったばかりの自分が、村の中心であり、新しい時代の端緒に立っている。
その責任と誇りを、幼いながらも確かに感じていた。
春祭りはもうすぐ。
村は明後日の支度で活気づき、広場には太鼓や屋台の準備の音が響いていた。
だが、ヴェゼルは母屋の自室にこもり、机に頬杖をついていた。
(……明日はアビーが来るということは、もうそろそろ、こっちに来てからちょうど一年になる)
心の奥底から、別の声が響く。低く、しかしどこか懐かしい響き。
それはヴェゼル自身のもう一つの人格?――五十五歳で前世を終え、この世界に転生してきた、オヤジ脳の声だった。
「いやぁ、ほんとにあっという間だったな。一年前、あの真っ白な人型に“選ばれて”さ。まさか5歳のガキの体で第二の人生送るなんて、思いもしなかったよ」
「うん……でも、僕はなんだかんだで楽しかったよ。勉強も遊びも、新しい友達?従者も。お祭りの準備だって、すごくわくわくしてる」
「おいおい、俺の心はまだおっさんなんだからな? 年甲斐もなく“わくわく”とか言わすなって。……でも、まあ否定はできんか。こっちの暮らし、忙しいけど悪くなかった」
「この一年で、畑も変わったよね。黒土を運んだり、灰を混ぜたり、苗を育ててから植えたり。村のみんなも協力してくれるようになった」
「そうだな。前世じゃただのテレビ知識だった農業の小ネタが、ここじゃ一大改革みたいになっちまって……。いやぁ、人間、死んでみるもんだな」
「ふふっ。でも、あの“白い人型”からもらった魔法……収納魔法って、ほんとに良かったのかな。りんご一個分しか入らないって、普通なら笑われちゃうくらい小さいんだよ?」
「まあな。大人目線で見りゃ、“外れスキル”って評価も分かる。だが……俺らはそれを工夫して積み木作ったり、勉強道具を考えたりしてきただろ? まぁ、スキルっていうより、現代知識だったけどな。あれは俺じゃなくて、お前――いや、俺たちの柔軟な発想のおかげだ」
「……お父さんやお母さん、村のみんな、そして皇妃さまにも喜んでもらえた。あのとき白い人型が言ってた“試練”って、こういう意味なのかな」
「さあな。ただ一つ言えるのは――この一年は、55年生きた俺の人生よりも濃かったってことだ。悔しいがな。畑に汗流して、子供たちと笑って、皇妃からの手紙にドキドキして……。こんなに生きてる実感を得たのは久しぶりだ」
「ぼくもそう思う。明後日は春祭り。きっと楽しい一日になるよ」
心の中の二人は、同じ体の奥で小さく笑い合った。
転生してからの一年は、短くも慌ただしく、けれど確かな喜びに満ちた日々だったようだ。




