第46話 皇妃との無限ループに突入?
真冬の午後、ホーネット村の屋敷の子供部屋は、外の吹雪を忘れるほどの賑わいに包まれていた。
窓の外にはしんしんと雪が積もり、遠くの森が白銀に覆われている。
そんな中で、部屋の中は炉火が赤々と燃え、木の床に敷かれた絨毯の上で子供たちが勉強や遊びに励んでいた。
真冬にすることなんか限られてくる。ヴェゼルとトレノは机を挟んで向かい合い、今日も「お勉強タイム」だ。
もっとも、二人の集中度にはまたもや、雲泥の差があった。
ヴェゼルは几帳面にペンを走らせ、算術の問題を解いていく。すでに彼の中では数字が踊り出すように自然で、紙の上で複雑な計算を解くのも楽しげに見えた。
一方のトレノは、眉間に皺を寄せ、ノートに書かれた「1/4+1/8」の式を前に頭を抱えていた。
「……あ、あのヴェゼル様。これ、なんで分母が違うんですか?なんで四分の一と八分の一を足すと、こんなにややこしくなるんだろう?」
ヴェゼルは小さく笑った。「敬語は必要ないって言ったでしょ、大丈夫、見せてあげるよ」
そう言って立ち上がり、机の上に10センチほどの円形の紙を作り出した。さっと収納魔法で切り分け、箱から取り出し、まずは半分、次に四分の一、さらに八分の一……と順に並べていく。
「ほら、こうやって見ると分かるだろ?四分の一はこの大きさ。八分の一はさらに小さい。足したら……六分の一より大きいけど、二分の一には届かないってわけだ」
「な、なるほど……! うーん、見えると分かりやすいですね」
トレノの目がぱっと輝いた。彼にとって抽象的な数字より、実際の形で見る方が理解しやすかったのだ。
その様子を横で眺めていたアクティは「勉強」と称しつつ、所用で外出しているセリカに代わって、今日はグロムと一緒に積み木を崩しては笑い転げている。
ヴェゼルとトレノの真剣さと、アクティとグロムの騒々しさの対比が妙に愉快で、(まぁ、グロムは通常通り無口だが)子供部屋はまさに小さな学園の縮図のようだった。
それを見ていたオデッセイは目を丸くする。
「収納魔法で、はさみのような器用な使い方をもできるのね」と、一人呟く。
オデッセイは、ヴェゼルが円を切って分数の概念を教えている場面に目を細めた。
「ふーん……これはまた、面白い工夫だわ」
収納魔法を用いて分数を“見える化”する発想に、オデッセイの頭の中で何かが閃いた。彼女は顎に手を当てると、すぐに近くのカムリを呼び寄せた。
「申し訳ないけど、パルサーを呼んできてくれる?。新しい知育玩具のアイデアを思いついたの」
「……またですか?」
カムリが困惑するのと同時に、ヴェゼルは「あれ?この流れ……なんだか既視感が……」と額に手を当てた。
その時だった。玄関の方から「どすん!どすん!」と重い足音が響き、吹雪き込む風とともに、雪を全身にまとった大男が飛び込んできた。
「姉上ーー!!」
雪だるまのようになっていたのは、ルークスだった。真っ赤な顔で息を切らし、雪をばさばさ落としながら、封書を掲げて叫ぶ。
「ま、また皇妃様から手紙が届きました!算数セットと国語セット、追加のご注文です!しかも――」
その場の空気が凍る。オデッセイは眉を上げた。「しかも?」
ルークスは興奮のあまり言葉を噛んだが、続けざまに叫んだ。
「皇都では大変な騒ぎです! 先日バネット商会に届けた積み木は、たちまち高位貴族たちが争うように買い求め……完売ッ! 追加の注文は数十件にのぼっております!」
「おお……!」
ここまで、蚊帳の外だったフリードも大きな喜びの声をあげた。
部屋中に感嘆の声が広がる。ルークスはさらに身を乗り出す。
「しかも、国語セットと算数セットも、皇太子殿下や皇女殿下が遊ばれていると聞きつけた貴族からの問い合わせが殺到! もはや皇都のこの冬の話題は“ビック家の知育玩具”一色です!」
そう言って封書を差し出す。オデッセイが封を切ると、皇妃直筆の手紙にはこう記されていた。
「ビック家に、知育玩具の御用達を認める」
瞬間、オデッセイもルークスも声を揃えて叫んだ。
「「やったあああ!!」」
その声は子供部屋を飛び出し、屋敷中に響き渡った。
そこへ現れたのは、木屑の香りを纏ったパルサーと、その夫ガゼールだった。ガゼールは森の猟師であり、トレノの実兄でもある。二人は深々と頭を下げた。
「オデッセイ様、積み木の注文が殺到して、工房は大忙しです。おかげで我が家も……いや、村全体が潤っております。本当にありがとうございます」
その報告に、オデッセイは微笑み、すぐに核心を突いた。
「いや、礼を言うのは私の方よ。――実は新しい玩具の構想があるの。分数の概念を学べる円盤でね……」
説明を聞いたパルサーとガゼールは目を輝かせ、すぐさま「やりましょう!」と叫んだ。
「分数の玩具か……!これは算数が苦手な子でも直感的に理解できるぞ!」
「さっそく木材を用意します!」
夫婦の熱意に押され、オデッセイも思わず頷いた。
こうして誕生したのが、円形を分割して重ね合わせる「分数セット」であった。
木の厚みのある円盤を二分割、四分割、八分割……と切り分け、組み合わせて「1/4+1/8」や「3/6=1/2」を視覚的に色分けして示せるようにした。
トレノはその試作品を手に取って、目を丸くした。
「うわっ……すげえ!先日ヴェゼル様に見せてもらった紙より、もっと分かりやすい!」
「ふふん、これで算数嫌いともおさらばかな?」ヴェゼルが得意げに笑う。
アクティは分数盤をひっくり返して「せんべい!」と叫び、セリカと一緒に大笑いしていた。
一方でルークスは、窓の外の雪を見ながらため息をつく。
「……しかし、これでまた何日後には、積み木、算数セット、国語セット、そして分数セットまで抱えて皇都に行くのか……」
その表情は半ば苦笑いだったが、目には喜びと誇りが宿っていた。
「まあいい、皇妃様の信頼を得て、御用達まで認められたんだ。喜んで雪道を駆け抜けるしかないか!」
彼の言葉に子供たちが笑い、オデッセイが微笑む。窓の外では、雪がしんしんと降り続いていたが、屋敷の中には春を思わせる温かな空気が満ちていた。
こうしてビック家の知育玩具は、またひとつ新しい時代を切り拓くのであった。
その横で、分数セットを手にしたアクティは、「おままごとモード」に突入ていした。
木の円盤をちゃぶ台代わりに並べ、「これはおせんべいよ!」とグロムは無言で頷くも、一緒に盛り上がる。そこへ、フリードがにやにや顔で近づいてきた。
「おお、アクティ。おとーさまも一緒に遊んでやろうじゃないか!」
そう言った瞬間、アクティは八分の一の薄黄色の木片をつまみ上げて、フリードの口にぐいっと突きつけた。
「はいっ!おせんべい!おとーさまたべて!」
フリードは苦笑いしながら手を振った。「いや、これは木だからな?食べたら歯が折れるぞ」
その返答を聞いたアクティの顔は一瞬で曇り、ぷくっと頬を膨らませた。
「……おとめごころのわからないおとーさまなんて、きらいっ!」
「え、ええっ!?」
フリードは両手を振って必死に弁解するが、すでに遅い。グロムは腹を抱えて笑い、ヴェゼルは机に突っ伏し、トレノでさえ口元を押さえて吹き出した。
「おい待て!なんでだ!?安全のために言っただけだぞ!?なぜそれで嫌われる!?」
だがアクティはそっぽを向き、グロムと再び「せんべい屋さんごっこ」を続行。フリードは床に崩れ落ち、頭を抱えて天井を仰ぐしかなかった。
――かくして分数セットは算数教育だけでなく、父親の信頼度を削る道具としても活躍してしまったのであった。




