第426話 報告03
そうして、オデッセイ、グロム、コンテッサ、ルークス、エスパーダ、アトン、カムリ、トレノだけが部屋に残った。
外の喧騒が扉の向こうに押し戻され、重い音を立てて扉が閉まった瞬間、室内の空気は一段深く沈む。
フリードは一度だけ深く息を吸い込み、今回の道行きを、最初から順を追って語り始めた。
教国へ向かうまでの道中、途中でプレセアとソニアが合流したこと。商業国の名を背負う彼女の立場が、結果として教国側の動きを引き出したこと。そして、聖女エコニックとフェートンを救い出した経緯――それが、教国の内情を知る決定的な切っ掛けになったこと。
神殿への潜入は、決して計画通りとは言えなかった。
ウラッコとの戦闘、総主教との直接対決、風の精霊との対話。話が進むにつれ、室内は静まり返り、誰もが言葉を挟まず耳を傾ける。要所要所でエスパーダが淡々と補足を入れ、ヴェゼルもまた、必要な部分だけを簡潔に付け加えていった。
そして最後に――教国が、自らの敗北を「戦争」として認めた事実が語られた。
「……勲章まで出たのか」
話が一段落したところで、グロムが低く唸るように言った。
「はい。金救国勲章だそうです」ヴェゼルの一言に、室内の空気がわずかに張り詰める。
「私でも知っているわ」オデッセイが静かに続けた。
「教国における最上位の勲章。その授与には、感謝と同時に“正当性の承認”という意味も含まれるのね」
さらに、土の精霊、そして土と錬金の妖精の存在についても報告が及ぶと、今度こそ誰も即座に言葉を返せなかった。
すべてを聞き終えたあと、オデッセイはしばらく俯いたまま沈黙を保っていた。
やがて静かに顔を上げ、まず一言、率直な感情を口にする。
「……本当に、よく無事で帰ってきてくれたわ」
それは領主夫人としての言葉というより、母としての安堵だった。フリードは短く頷き、その想いを受け取る。だが、オデッセイはすぐに表情を引き締める。
「ただし、その先の話を避けるわけにはいかないわね」
「だろうな」ルークスが腕を組んだまま応じる。
「今回の件は、単なる撃退ではないのよ」オデッセイは、言葉を選びながら続けた。
「教国の領土内に入り、神殿に潜入し、総主教を討ち、風の精霊をも排除した。その結果、教国はこれを“戦争”として認め、尚且つ、異例なことにこれを敗北として宣言した」
一拍置き、はっきりと言う。
「つまり――ビック領が、教国に勝った“戦争”として記録される」
ルークスが補足する。
「しかも相手は教国だ。戦ったのは帝国辺境の一騎士爵家。この事実は、帝国内外に強い衝撃を与えるだろうな」
「ええ」オデッセイは頷いた。
「誼を結びたい者、距離を取りたがる者、恐れる者……反応は様々になる。でも共通して言えるのは、“無視される存在ではなくなった”ということよ」
グロムが苦々しく吐き捨てる。「面倒事の匂いしかしねぇな」
「その通りよ」オデッセイは視線を伏せない。
「それに、もう一つ。皇帝の承認を得ずに、他国へ侵攻し、交戦した。これは国家主権への明確な侵害でもあるのです」
エスパーダが静かに確認する。「通常、開戦権は国家元首の専権ですね」
「ええ。本来、領主に外交権も交戦権もない」オデッセイはきっぱりと言った。
「“自衛”と“戦争”は別物。しかも今回は、教国の領土へ踏み込んでいる」
ヴェゼルが小さく問いかける。「……教国が戦争として認めたこと自体が、ある意味問題なんですね」
オデッセイは頷く。「暗殺だと言い張った方が、まだ逃げ道はあったかもしれないわね」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……それでも」オデッセイは声を低くした。
「サクラちゃんを攫いたいという理由だけで、ヴェゼルたちを突然襲撃して、ヴァリーさんを殺した。そして今度は魔物を差し向けられ、妖精とクルセイダーを冒険者に偽装して村に侵入された。そこまでされて……私はフリードたちの思いを止められなかった」
そして、静かに続ける。
「幸いだったのは、教国側の腐敗と侵略が明確だったこと。結果として被害を抑えたと、教国自身が認めたことだわ」
オデッセイはゆっくりと頷いた。「だから帝国も、簡単には処罰できないはずよ」
その言葉に、グロムが低く鼻を鳴らす。
「だが、内心じゃ腸が煮えくり返ってるだろうな。皇帝の許可もなく、辺境の一騎士爵が他国と“戦争”をして勝った……前例としては最悪だ」
「ええ」オデッセイは静かに肯定した。
オデッセイは視線を落とさぬまま、静かに言葉を継いだ。
本来であれば、帝国首脳部は何らかの咎を与えたいはずだ。形式的にでも「越権行為だった」という示しを付け、前例として釘を刺す。それが国家として自然な判断であり、むしろ責務ですらある。
だが――それが、できない。
その理由を、今度はコンテッサが淡々と補う。
教国は敗北を認めただけではない。フリードに勲章を授与し、感謝を公式に表明した。それも、教国における最上位――金救国勲章。
すなわち教国自身が、「この者たちの行動は正義だった」と世界に向けて宣言してしまったのだ。
オデッセイは小さく息を吐いた。
「そう。教国が、先に“正当性”を与えてしまった」
フリードは腕を組み、乾いた笑みを浮かべる。「勝った上に、感謝までされた。……皮肉な話だな」
オデッセイは即座に頷く。「その状態で帝国があなたたちを罰したら、どう見えると思う?」
一瞬の沈黙のあと、ヴェゼルが慎重に言葉を選んだ。
「……帝国のほうが、理不尽に見えます」
「その通りよ」
教国に勝ち、教国から感謝され、勲章まで授けられた家を、帝国が罰する。
それは『規律』ではなく、『嫉妬』や『恐怖』と受け取られかねない。
グロムが低く言葉を紡ぐ。
「下手を打てば、“功績を挙げた貴族を粛清する帝国は、教国より不寛容な国家”って噂が広がるな」
「ええ。非難は、確実に帝国首脳部へ向かうわ」
オデッセイの声には、政治を知る者特有の冷静さがあった。
結論は、ひどく単純だ。
帝国はビック家を罰したい。だが、罰すれば自分たちが傷つく。
「つまり……」
コンテッサが静かにまとめる。「帝国は、動けないのですね」
「そういうことよ」
エスパーダが、ほとんど独白のように呟いた。「……勝った者ほど、縛られる。皮肉ですね」
「政治なんて、そんなものよ」オデッセイは淡々と言った。
「今回は特に、“他国に勝った”だけじゃない。“他国に正義を認めさせた”のだから」
フリードは胸元の金救国勲章に指を掛ける。その重みを、改めて確かめるように。
「名誉ってのは……存外、重たいな」
「ええ」オデッセイははっきりと断じた。
「これは盾であると同時に、鎖でもある」
帝国は処罰できない。だが、決して好意的にも扱えない。
「だから、表向きは何も起きないでしょう。けれど裏では、常に見られる。測られる。警戒される」
オデッセイはそう告げる。
そして、静かに言い切った。「ビック家はもう、“辺境の一領主家”ではいられないわね」
その言葉の重みを、室内の全員が理解した。否応なく、だ。
「表向きは、な」グロムが低く言う。
「ええ、表向きは。でも、それは赦しじゃない」オデッセイは小さく笑った。
最後に、静かに結論を落とす。
「帝国上層部の、ビック家への印象が良くなることは……まず、ないでしょうね。皇妃様との縁も変わらざるをえないわね」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
フリードの胸に下げられた金救国勲章は、栄誉であると同時に、これから先――
決して“軽く扱われなくなる”という証でもあった。
未来は、まだ見えない。
ただ、その重みだけが、確かにこの場に残っていた。




