第424話 報告
そして領館の応接室に、人が集められた。
家族、兵士、侍女、執事、古くから仕える者たち。
普段であれば立場や役目ごとに自然と距離が生まれる顔ぶれが、今夜は区別なく同じ空間に集められている。誰もが落ち着かない様子で、しかしその瞳の奥には、期待と不安が同時に宿っていた。
その中央に立ったのは、フリードだった。
一度、大きく息を吸い込み、ゆっくりと周囲を見渡す。そして前置きもなく、低く、はっきりと告げる。
「結論から言う」
応接室の空気が、一瞬で張り詰めた。
「教国の総主教は殺した。風の精霊も――教国から排除した」
ざわり、と小さなざわめきが走る。
「戦争は、ビック領の完全勝利だ。こちらに、欠けた者はいない」
次の瞬間、堰を切ったように歓声が爆発した。
床が揺れるほどの声が応接室を満たし、兵士たちは拳を突き上げ、侍女たちは涙ぐみながら互いの手を握る。
オデッセイもまた、声を上げることなく、ただ静かに目元を押さえていた。
その余韻が少し落ち着くのを待ち、フリードは再び手を上げる。
「今後、教国は――途中で俺たちと合流し、意気投合した聖女エコニックさんを中心に、これまでの高官を入れ替えて立て直されることになるだろう」
ざわめきは、今度は安堵を含んだものへと変わる。
そこでフリードは懐に手を入れ、ひとつの勲章を取り出した。
「……でだ。教国の首脳部から、こんなもんを押し付けられた」
場にいた者たちは、一斉に首を傾げた。冷静さを取り戻したオデッセイが、慎重に問いかける。
「それは……何の勲章ですか?」
フリードは頭を掻き、少し気まずそうに答えた。
「トランザルプ神聖教国金救国勲章、ってやつらしい」
ぽかん、と場が静まり返る。
次の瞬間、オデッセイの表情が凍りついた。
「……金救国勲章、ですか?」
「エコニックさんがくれた。教国じゃ、相当ありがたい勲章らしいんだが……」
震える声で、オデッセイが続ける。
「それは……教国の最上位勲章です。建国時、初代総主教ただ一人にしか授与されていない……」
今度は、どよめきが応接室を満たした。
「しかもな」フリードは照れたように視線を逸らす。
「どうやら、次代のビック領主――つまりヴェゼルにも、その資格が及ぶらしい」
驚きは、さらに大きく広がった。
そしてフリードは、最後の説明に入る。
「それから……プレセアさんは、ここにはいないがな、フォルツァ商業連合国の大評議長の娘だった。外交全権代理大使で、ソニアさんはその武官だそうだ」
一同は、もはや言葉を失っている。
「だから今回の件は、暗殺でも私闘でもない。正式な“戦争”としてフォルツァ商業連合国が認めてくれた。教国の代表者からは、ビック領と教国の戦争で、教国が敗戦したという署名も受け取ってきた」
沈黙の中、今度はヴェゼルが一歩前に出た。
「教国との約定は、こうです」
静かに、しかし明確に言葉を重ねる。
「これは“ビック家とトランザルプ神聖教国の戦争”であったと、教国自身が認めること。
そして、敗者としての責任を、最大限の形で示すこと」
一息置いて続ける。
「さらに、ビック家を教国における最恵待遇――実質的な最恵領として扱う。未来永劫、教国はビック家に刃を向けない」
そして結論を述べた。
「これは、教国がビック家を後ろ盾とした、という宣言であり、同時に、教国自身もまたビック家を後ろ盾とした、という意味です。
この宣言がある以上、他国はもちろん、バルカン帝国内の貴族や高官、ひいては皇帝であっても、軽々しく介入はできません」
教国から先に仕掛けたとはいえ、相手の領土に侵入して報復した以上、何らかの咎を受ける可能性は残っていた。
だが、教国がここまで明確な形で責任と立場を示した以上、その芽はほぼ摘まれたと言っていい。
それをかいつまんで説明すると、場の空気が目に見えて緩んだ。
オデッセイ、グロム、ルークス――戦後処理こそが地獄だと覚悟していた大人たちは、ようやく胸を撫で下ろす。
勝っても、負けても、地獄は続く。
そう思っていた戦争は、思いのほか、強固な“帰る場所”を伴って終わったのだった。
そしてフリードは、最後にもう一つ、言葉を添える。
「教国の聖女と総主教代理とは、こう話した。
互いに血を流した以上、その感情をなかったことにはできない。憎しみも、恐れも、悲しみも――全部残る。
それでも……都合がいいのは承知の上で、もうこれ以上は水に流したい。これからは、手を取り合って進みたい。楽しかったら、笑える未来にしたい、と」
その申し出は、互いに了承された。
「だから、ここで教国との戦争は終わりだ。思うところはそれぞれあるだろうが……俺は、終わりにしたい」
フリードの視線が、そして自然と皆の視線が、ヴェゼルへと集まる。
ヴェゼルは一瞬だけ目を伏せ、それから大きく頷いた。
こうして、教国との戦争は幕を下ろした。
明日、領民への布告がなされれば、それで本当の終わりとなる。
そしてこの夜、ビック領は――
紛れもない凱旋を迎えた。




