第44話 皇妃からのお手紙
ホーネット村に雪が徐々に積もり、周囲の色も徐々に白味に染まる頃。領館のドアを開けて駆け込んできた一人の青年がいた。
肩で息をし、額にはうっすらと汗。長旅の塵をまといながらも、目は輝いている。
「姉さん――!」
その声に振り返ったのは、ちょうど執務机で帳簿をまとめていたオデッセイだった。
「ルークス? あなた……もう戻ってきたの?」
「戻ったどころか、大変なんだ! すごいことになったんだよ!」
いつも商売の話になると目を輝かせる弟の性分は、子どもの頃から変わらない。オデッセイはそんな弟の顔を見ただけで「きっと何か良い知らせなのだろう」と直感した。
「ほら、これを!」
ルークスは懐から丁寧に封蝋された一通の手紙を取り出す。封にはバルカン皇室の紋章がしっかりと刻まれていた。
「まさか……皇妃様から?」
「そうだ! 執事殿を通じて直々にいただいたんだ! 積み木、ものすごく喜ばれたんだよ!」
オデッセイは驚きと嬉しさで思わず胸に手を当てた。急いで指先で封を切り、皇妃エプシロンの筆跡を追う。そこには懐かしい友の言葉が並んでいた。
――積み木は皇子殿下も皇女殿下も大喜びで、毎日取り合うように遊んでいる。あまりの熱中ぶりに仲裁が大変で、近くにいた執事に紙を借りて急ぎ手紙を書いているほどです。どうか追加を、と。
さらに最後には、皇妃らしい小さな皮肉交じりの言葉が添えられていた。
――ただ一つ、あなたの読み違いがあったわ。積み木は、兄妹二人に一つでは足りないということよ。
その短い一文に、オデッセイは思わず笑みをこぼす。まるで学園時代の彼女が目の前に戻ってきたようだった。
「そう……やっぱり気に入ってもらえたのね」
ルークスは両手を広げて大袈裟にうなずいた。
「俺なんて、執事殿に手紙を受け取ったとき、飛び上がりそうになったさ! しかも追加注文だぞ! これは商人としても千載一遇の機会だ!」
その言葉に、オデッセイはピシッと背筋を伸ばした。
「パルサーを呼んでちょうだい。今すぐにでも製作を依頼するわ」
やがて領館の工房に呼び出された木工職人パルサーは、事情を聞くやいなや、目を見開き、腕を震わせた。
「こ、皇妃様が……! わたしの積み木をお使いに……!」
「ええ。ですから、追加で献上用を二。いえ、三組作ってほしいの」
オデッセイの声に、パルサーは胸に手を当て、うるんだ目で答えた。
「……この上ない名誉です! 命に代えても仕上げてみせます!」
その気迫に、ルークスも思わず肩をすくめる。
「お、おう……さすがだな、パルサーさん」
オデッセイは続けて言った。
「それと……もう一つ。前にヴェゼルが言っていた“国語セット”と“算数セット”も作りたいの。今回はそれぞれ、そうね、一組ずつ、献上用としてね。………うふふ」
「国語セット……算数セット?」ルークスが首をかしげる。
オデッセイは説明した。
「子音と母音の二十六の基礎文字を刻んだ木片と、数字や“+-=”を刻んだ木片よ。遊びながら学べる教材として考案したの。積み木と組み合わせれば、きっと教育具として価値が高まるはずだわ」
パルサーは感激に目を潤ませ、すぐに頭を下げた。
「なんと……遊びと学びを一つに! さすがヴェゼル様……。いや、奥方様の慧眼にございます!」
ルークスは腕を組み、にやりと笑った。
「なるほどな。積み木だけじゃなく、教育具としての市場を広げるわけか。これは……帝都どころか、帝国全土で売れるぞ!」
「待ちなさい、ルークス。あくまで今は皇妃様への献上が最優先よ」
「もちろんわかってるさ。でも、その先に見えるだろ? 積み木と教育セット、皇室御用達の名を背負えば、どんな貴族も飛びつくに決まってる!」
商売の血が騒ぎ、瞳をぎらぎらさせる弟に、オデッセイはやれやれと肩をすくめた。だが、心の奥では彼の見通しに同意している。
工房に戻ったパルサーは、作業台を並べて声を張り上げた。村で他の協力者を募ろう。これからの冬に内職の仕事は歓迎されるのだから。
「聞いて! これから私たちが手がけるのは皇妃陛下への献上品よ! 失敗は許されないの! 一木一木、心して削りましょう!」
関係者たちは気迫に押され、緊張の面持ちで道具を手に取る。木を削る音が一斉に響き、工房には熱気がみなぎる。
その様子を窓越しに見守りながら、ルークスはオデッセイに小声で言う。
「姉さん、これで間違いなくホーネット村は一目置かれるぞ。積み木ひとつで、皇室とつながる……大したもんだ」
「違うわ、ルークス。積み木だけじゃないのよ」
「ん?」
オデッセイは遠くで紙に文字を練習するヴェゼルと、数字に苦戦するトレノ、そして丸や線を描き散らすアクティの姿を見やった。
「子どもたちの未来を育てる道具でもあるの。だから私は、これを誇りに思うのよ」
ルークスは一瞬言葉を失い、それからぽつりとつぶやいた。
「……そうだな。商売のことばかり考えてたが、姉さんの言う通りだ」
その横で、机に乗り出して積み木を勝手に組み上げていたアクティが、元気いっぱいに叫ぶ。
「できた! おにーさまのおうち!」
見れば、ヴェゼルを模したつもりらしい積み木の塔が、斜めに傾きながらも堂々と立っている。
「お、おう……ありがとう、アクティ」
ヴェゼルは苦笑し、ルークスは大笑いした。
「ははは! この積み木、やっぱりとんでもない価値があるぞ!」
こうしてホーネット村は、皇妃からの追加注文を受け、新たな製作に取りかかる。積み木はただの玩具ではなく、教育具として、そして皇室御用達の名品として、その名を世に広めていく始まりとなったのであった。
皇妃の文を再度読み終えたオデッセイは、机の上に置かれた羊皮紙にそっと手を伸ばした。
手紙には「お礼は何がよいか」と書かれていた。
「お礼……か」
辺境の騎士爵の妻としての暮らしは質素で、目を見張るような宝飾品など持ち合わせてはいない。皇室にふさわしい返礼品といえば、金銀細工や珍しい香料、絹織物――どれもこの村からは遠く離れた世界の話。
「それに……私が本当に欲しいものは、お金や品物なんかじゃない」
視線が自然と、寄り添う息子ヴェゼルへと移る。木製の積み木を手に、アクティと夢中で塔を築いている。無邪気に笑うその姿を見ていると、胸の奥がひどく痛んだ。
――彼は優秀すぎる。
それが将来、褒め言葉だけで済むはずがない。
学園時代、誰よりも優秀であったがゆえに孤立した自分を思い返す。ましてやヴェゼルは男子、あまりの才覚に周囲の嫉妬や恐れが、いつか彼を狙うだろう。
「物ではなく……この子を守ってくれる存在が必要なのよね」
皇妃――エプシロン。かつて学園で唯一、心を通わせた友。彼女はもう皇妃であり、国の中枢を担う人。もし、将来ヴェゼルが何かの渦に巻き込まれたとしても、彼女の庇護があれば命を落とすことはないかもしれない。
「……そう、これしかない」
オデッセイはゆっくりと筆を取り、まずは形式ばった挨拶を書き連ねた。積み木を喜んでくださったこと、子供たちの笑顔を想像して自分も安堵したこと。
だが、その後に続く一文だけは、何度もペンを止め、考え直した。
――厚かましいかもしれない。
――でも、親として譲れない。
そしてようやく、インクが羊皮紙に滲む。
「もし、息子が才ゆえに災いを招いたときは、その折にだけ、庇護を願いたい」
書き上げた途端、肩の力が抜けた。気づけば、胸の奥で張りつめていた不安が、ほんの少しだけ和らいでいる。
「エプシロンなら、きっと分かってくれるわ」
そうつぶやきながら、オデッセイは手紙を封蝋で閉じた。
窓辺から射し込む冬の夕陽が、赤くその横顔を照らしていた。




