第414話 錬金の妖精アリア02
ヴェゼルは、アリアを両手でそっと抱えたまま、視線を合わせるように顔を近づけた。
「どうしたの? 風の精霊の話だと、妖精のみんなを引き連れて教国を出るって聞いてたけど」
アリアは小さく身をすくめ、唇を震わせるだけで答えられない。
そこで、はっと思い出したようにエコニックが口を挟んだ。
「そういえば……風の精霊様から、『一人だけ妖精様が残るから、その子の面倒を見てほしい』と頼まれていました」
「一人だけ?」ヴェゼルが優しく問い返す。
「どうして、君だけ残ったの?」
その瞬間、アリアの目に涙が溜まり、ポロポロと零れ落ちる。声を出そうとしても、喉が詰まって言葉にはならない。ただ泣くばかりだった。
――と。
奥の扉が、勢いよく開いた。
「おい! 小僧ぉぉぉ!!」
土の精霊が、怒号とともにずかずかと入ってくる。
「やはりワシでは無理じゃ!! どうやってもプラチナがプレミスにならん!! ミスリルにするなど、夢のまた夢じゃ!! どうすればいいんじゃああああ!!」
半泣き半ギレの勢いで、一直線にヴェゼルへ詰め寄る。その背後には、四人の妖精がわらわらと続いていた。
「この人間が、土の精様の言ってた人?」「思ったより小さいね」「でも、ちょっとカッコいいかも」「それより、お腹すいたー」
好き勝手に口々に言う土の妖精たち。
状況を把握する前に、土の精霊はサクラを見つけ、何かの塊を手にぴたりとそれを突きつけた。
「おい! 闇よ! 泣けとは言わぬ! だからこのプラチナの塊を舐めてくれ!!」
「はぁ!?」
「お主が舐めれば、何かが変わるかもしれんじゃろうが!! 何事も実験じゃ!」
「そんなもん、口に入れられるわけないでしょ!!」
土の精霊は、なおも食い下がる。
「じゃあ、唾! そうじゃ、唾を吐きかけよ!」
「いやよ! 変態なんじゃないの!」
即座にサクラが怒鳴り返す。
場の空気は、一気に混沌と化した。
泣く妖精、喚く精霊、騒ぐ妖精たち、怒る闇の妖精。エスパーダはこめかみを押さえ、静かに天を仰いだ。
「……頭が痛い」
そこへ、フェートンが一歩前に出て、両手を打ち鳴らす。
「皆さん! 一度、落ち着きましょう!」
その声に、漸くざわめきが収まる。
「タンドラ様、エコニック様、フリード様! ビック領と教国のお話は、もうここで一区切りということでよろしいですね?」
フリードとタンドラは、疲れ切った顔で、揃ってこくこくと頷いた。
「ではエコニック様、一度、隣の会議室へ移動して、話を整理しましょう」
誰も反論できず、全員がその提案に従うことになった。
そのごたごたの最中。
人の声と精霊の気配が入り乱れる喧騒のただ中で、ヴェゼルの両手の中にいるアリアは、いつの間にか静かな寝息を立てていた。
小さな胸が規則正しく上下し、先ほどまで涙で濡れていた睫毛は、安らいだように伏せられている。泣き疲れたこともあるのだろうが、何より、包み込む手の温かさが、彼女の緊張をすべてほどいてしまったらしい。
それに気づいたサクラが、ちらりと横目で見て、鼻を鳴らした。
「ずいぶん健気な登場かと思ったけど……この状況で寝るなんて、相当図太い性格してるわね」
「はは……」
ヴェゼルは苦笑しながら、アリアを落とさぬよう、そっと手の位置を直す。その仕草は無意識のもので、まるで最初からそうしていたかのように自然だった。
それを見て、土の精霊が目を見開いた。
「……ほう」
低く感心したような声を漏らし、ヴェゼルと、その手の中の妖精をまじまじと見つめる。
「はじめて会った相手の手の中で眠るとはの。闇の妖精もどうかと思ったが……お前さん、不思議と妖精に好かれるのう」
ヴェゼルは少し困ったように首を傾げる。
「そう、なんですか?」
「うむ。前にも言ったがな、妖精というのはの、基本的に警戒心が強い。人間の手の中で、無防備に眠ることなど、そうそうあることではないのう」
土の精霊は、どこか面白そうに笑った。
「安心させるのが上手いのか、それとも……生まれつき、そういう気配を持っておるのか。どちらにせよ、珍しいことじゃ」
サクラが腕を組み、じっとヴェゼルを見る。
「……変なところで才能発揮するわね!」
「褒めてる?」
「半分だけ」
そんなやり取りを背に、ヴェゼルは眠るアリアを大切そうに抱えたまま、皆とともに隣の部屋へと向かう。
――この出会いが、ただの偶然ではないことを、その場の誰もが、まだ言葉にはしていなかった。
しかし、この騒動は、どうやらまだ終わりそうになかった。




