第43話 皇妃へ積み木を献上
皇都バルカンの皇宮。白大理石で築かれた広壮な宮殿の一室に、ひとつの包みが運び込まれた。
送り主はバネット商会。辺境ビック領ホーネット村からの献上品である。
「ビック領? 積み木……?」
皇妃エプシロン・トゥエラ・バルカンは、侍女の手で解かれた布の中身を見て、目を瞬いた。
中から現れたのは、四角や三角、円柱といった多彩な形をした木の小片。
それぞれに美しい木目が浮かび、角は滑らかに削られている。
表面には繊細にビック家の紋が刻印されており、パステル調に塗られていて、単なる玩具とは思えない上品さを漂わせていた。
「まあ……!」
彼女の横から、二人の子供が勢いよく飛び出してきた。
「母上!これは何ですか!」
「わぁ!きれい!」
7歳になる皇子シェルパ・ラエモンス・バルカンと、まだ5歳の皇女エストレヤ・ラエダム・バルカンである。
積み木が子どもの手に渡った瞬間、その魅力は爆発した。
「みて!塔になった!」
「わたしも!おうちつくる!」
積み木を奪い合い、あっという間に机の上は戦場と化した。塔を作れば隣で壊され、家を組み立てれば土台を取り合う。まわりでは侍女たちがあたふたしている。
「こらこら、喧嘩しないの」
皇妃がたしなめても、二人は聞かない。積み木の面白さに夢中で、侍女たちも苦笑するしかなかった。
エプシロンは積み木の箱に添えられた手紙を手に取り、封を切った。
差出人の名を見て、彼女の胸が小さく震える。
――オデッセイ。
懐かしい名前。
学園時代のただ一人の友。
学園の日々
思い返せば、あの頃のオデッセイは群を抜いていた。
誰よりも聡明で、誰よりも努力を惜しまない。平民の出でありながらも、どの科目でも教師たちを唸らせ、学園一の才女と呼ばれた。
だが、あまりに突出した才は孤立を招いた。
平民出の身で公爵家や侯爵家の子女たちに囲まれていれば、当然のように陰口もあった。
学年の入試試験では創立以来初の満点の点数。高位貴族を退け主席入学を許された。
特に錬金術と算術の才能は群を抜き、教師すら舌を巻いたほどだ。
しかし――あまりに突出した才能は、同級生たちの嫉妬と畏怖を呼ぶ。誰も近づこうとしなかった。
「場違いな女」
「いずれ挫折する」
そんな声を、エプシロンは何度も耳にした。
自分もまた、当時は公爵家の娘として、周囲に気後れする毎日だった。
エプシロンは大公爵家の娘として、幼少の頃から周囲に距離を置かれて育った。
だれも彼女に気安く声をかけることはない。気後れし、あるいは権勢を恐れて。
「公爵家の娘とどう接していいかわからない」と遠巻きにされ、友人らしい友人を作れなかった。
孤独な二人は、自然と惹かれ合った。
「また一人きりね」
「ええ、でも……あなたがいるじゃない」
「ねえ、エプシロン。あなたって意外と変わってるのね」
「お互い様でしょう? でも、私はそんなオデッセイが好きよ」
時間が許す限り、二人は共に過ごした。
孤立しがちな境遇を持つ者同士、互いにとって唯一無二の支えだった。
時間が許す限り、机を並べ、廊下を歩き、庭で語らった。
図書室で本を読み、園庭のベンチで語り合い、将来の夢を語った。
「私は研究者になりたい。人々の暮らしを良くする発明をしてみせる」
「私は……バルカンの未来を支える皇妃になりたいわ。子供の頃からずっと憧れていたの」
その夢を語り合った日を、今も昨日のように思い出す。
だが――。
その後の運命、友情の日々は長くは続かなかった。
オデッセイは早々に飛び級で錬金塔に入省することが決まり、学園を去った。
「そんなに急いで大人にならなくてもいいのに」
「……だって、学園にいても退屈だもの」
寂しげに笑うその姿が、エプシロンの記憶に鮮烈に残っている。
そしてその後の報せは、さらに衝撃的なものだった。
その功績はすぐに耳に入ってきた。
錬金塔に入ったオデッセイは、やはり期待以上の成果を示したという。
だが、あまりに優秀すぎる才能は、やはり彼女を孤立させた。
才能は輝かしかったが、同時に周囲の嫉妬と軋轢を呼んだらしい。
「優秀すぎて浮いてしまったのよ」
「同僚と折り合いが悪くてね」
「彼女のやり方は前例に従わない」
「むしろ皇都の秩序を乱す」
噂は尾ひれをつけて広まった。
噂は宮廷にも届いていた。
それでも、エプシロンは信じていた。
彼女ならばいずれ道を切り拓き、中央の舞台で大きな功績を残すに違いないと。
だが――。
「オデッセイ様が……退職なさったそうです」
その報せを受けたとき、耳を疑った。
錬金塔の将来を背負う逸材とまで目されていた才女が、だ。
「……もったいない」
エプシロンはその報せを聞いたとき、心からそう思った。
あれほどの才を持ちながら、自ら投げ捨ててしまうなど。
そして追い討ちのように聞かされた。
「辺境の騎士爵に嫁いだそうです」
あまりに突然で、理解が追いつかなかった。
どうして? あれほどの才を持つ彼女が?
それも、相手は皇都でもちょっとした有名人――いや、悪名高い存在だった。
フリード・ビック。辺境の騎士爵家の三男であり、学園でも別の意味で知られていた男である。
――脳筋。
――「あの」万年騎士爵の三男。
――勉強はからっきし。
――大きな体で武芸だけは達者。
ビック家は、初代からなる騎士爵の家柄だ。騎士爵なのに唯一の直参で、直接皇族へ謁見できる家柄。
その妬みからか「無能な万年田舎騎士」と蔑まれている。
そんな評価が定着していた。
貴族の子弟たちの間でも、しばしば笑いの種にされたほどだ。
「まさか……あのフリードと?」
信じられなかった。才女と脳筋。水と油のような取り合わせ。
エプシロンの胸に去来したのは、驚愕と、そして深い心配だった。
オデッセイなら、平民の出とはいえ、もっと高位の貴族に嫁ぐことだってできたはずなのに。
結婚とは、ただの恋愛や衝動で決めるものではない。特にこの世界では、婚姻は家と家を結ぶ重要な政治的行為だ。
オデッセイの優秀さがあれば、王都で大貴族の正妻に収まる未来だってあったはず。
なのに彼女はその道を自ら閉ざし、辺境へ去った。
かつて唯一の友であった少女の未来を思うと、どうしても胸の奥がざわついた。
「……私は何もできなかった」
エプシロンは長く後悔を抱えていた。
もしあのとき、もっと強く彼女の傍にいて支えていれば。
彼女の進む道は変わっていたのではないか――。
再びの便り
震える指で手紙を開いた。
オデッセイの筆跡は、昔と変わらぬ整った文字だった。
「親愛なる友、エプシロンへ――」
そこには、今の暮らしが綴られていた。
辺境での生活。村人たちと共に過ごす日々。
そして、子供たちの笑顔。
「……あなたは、やっぱりあなたの道を選んだのね」
彼女の選択が正しいのかどうか、それは誰にも分からない。
だが、少なくとも積み木を手にした子どもたちの笑顔は、何よりも雄弁に答えていた。
エプシロンは胸を撫で下ろした。
彼女が自ら選んだ道ならば、それが正しいのだ。
かつての夢とは違っていても、幸せであることが何より尊い。
その思いに涙ぐむ皇妃の横で――。
「母上!エストレヤが僕の塔を壊しました!」
「ちがう!おにいさまがわたしのおうちをとったの!」
子供たちが積み木の取り合いで大喧嘩を始めていた。
最初は仲良く組み立てていたのだが、面白さに熱が入りすぎて、次第に「塔を崩すな!」「おしろはわたしの!」と、声が高まっていく。
「こら、落ち着きなさい」
エプシロン皇妃は思わず立ち上がり、二人の間にすっと割って入った。
「兄妹で力を合わせれば、もっと大きな塔も作れるでしょう? お城も街も、一緒に作るからこそ立派になるのです」
その声音は、母としての優しさと、皇妃としての威厳を兼ね備えていた。
しかし子どもたちはまだ不満げに口を尖らせている。
シェルパは腕を組み、エストレヤは積み木を抱え込んだままぷいと横を向いた。
そんな姿に、皇妃は苦笑をもらした。
「……元気なのはよいことね」
二人の小さな争いが、なんとも微笑ましく思えてしまう。
かつて孤独に学園を歩いた日々を思い出せば、こうして自分の子らが笑いながら過ごしていること自体が、幸せ以外の何物でもなかった。
即断即決のお礼状。「執事長、紙と筆を」
近くに控えていた執事は驚いたように目を瞬かせ、すぐに上等な羊皮紙とペンを差し出した。
エプシロンは迷いなく席につき、さらさらと筆を走らせる。
その姿に執事は思わず「早い……」と呟いたが、皇妃は耳にも入れていない。
「――オデッセイ。あなたの贈り物は、わたくしの子どもたちを夢中にさせました。
これほど心を奪う玩具は、かつて見たことがありません。
至急、追加の注文をお願いしたく存じます。二人で取り合うほどですので……倍どころか、いくらあっても足りないくらいでしょう。
それとこのお礼は何が良いかしら?」
書き終えた手紙を封じながら、ふっと笑みが漏れた。
「ほんとうに……あなたらしいわ。人を幸せにするものを選び抜く、その才覚」
その間も、皇子と皇女は仲直りしたのか、二人で大きな塔を組み立てていた。
ぐらぐらと不安定な塔に「おっとっと」と慌てて支え合う姿が、愛おしくてたまらない。
皇妃はそっと両手を合わせ、穏やかな笑みを浮かべた。
「……幸せね」
積み木はただの玩具ではなかった。
それは、子どもたちの成長を支え、家族の絆を深め、そして彼女自身の心を温めてくれる贈り物となったのだった。
でも、オデッセイ……あなたほど先を読む人でも、これだけは見落としたのね。
これだけは伝えておくわ。積み木は――子ども一人につき一セット必要よ!




