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第410話 神の意思とは

――スピアーノ様を、あのようにしてしまったのは……私。


彼は、愚かではなかった。


力に溺れる前の彼は、むしろ忠実で、勤勉で、聖と風と土の加護を疑わぬ男だった。民の嘆願にも耳を傾け、神殿の規律も守っていた。


少なくとも――最初は。


だからこそ、私は彼を選んだ。


「厳しさが足りぬ」「民は導かねば堕ちる」「恐怖こそが信仰を保つ」


そう囁いたのは、私だ。神の意思を装い、聖の声として彼の耳元に吹き込んだりもした。


少しの重税を。見せしめの処罰を。逆らう者への強圧を。


――すべては秩序のためだと。


最初、彼は迷った。躊躇し、祈り、何度も問い返してきた。だが私は、答えを変えなかった。今でも彼の心には葛藤が見え隠れする。


「それでよい」「それが正しい」「民は耐える」


繰り返すほどに、彼は表面は信じた。信じようとした。やがて、疑うこと放棄した。


気づけば、彼の周囲には甘言を並べる高位聖職者が集まり、贅は正当化され、暴力は「浄化」と呼ばれ、血は「神の試練」にすり替わった。


――私は、見ていた。止められた。だが、止めなかった。


なぜなら、それが必要だったからだ。


教国を外から攻めさせるには、中が腐り切っていなければならなかった。


私たちが自ら離れるのではなく、教国の象徴たる精霊がこの国を離れるには、そうせざるを得なかったのだと思わせなければならない。


誰かに追い出されるようにしなければならなかったのだ。


正義の国を滅ぼす者は英雄になれぬ。だが、堕落した国を討つ者は――境界を渡る者になれる。


スピアーノが暴君に見えるほど、高位聖職者が醜く太るほど、この国は「滅ぼされるに足る場所」になる。


私は、彼を堕とした。


意図的に。


冷静に。


神と聖の名の下に。


……それでも。


時折、彼が剣を振るう背を見て、ふと胸を刺すものがあった。


あれは、私が作った怪物ではないのか。信仰を信じた末に、歪められた犠牲者ではないのか。


だが、もう戻れない。


私はすでに光と火と水から離れ、聖が壊れるのを止められず、土は我関せずを突き通し闇に手を差し伸べられることも、差し伸べることもしなかった。


ならば、せめて――この国だけは終わらせねばならなかった。


スピアーノよ。


お前が背負った悪名は、私のものだ。


お前が踏みにじった民の怨嗟は、私が受けるべきものだ。


それでも私は、風として吹く。


裁かれようとも、憎まれようとも。


――すべては、取り返しのつかぬ過ちの後始末なのだから。





――私は、本当に正しかったのだろうか。間違えたのだろうか。


風は常に高みから吹く。見渡し、流れを整え、澱みを散らす。それが私の役目であり、誇りだった。聖と土を従え、教国を支え、神意を地上へ運ぶ――そう、信じていた。


だが、聖は壊れた。


邪を吸い、穢れを抱え込み、選別と浄化を繰り返すほどに、その身は歪み、声は濁り、ついには意思すら保てなくなった。私はそれを、長いあいだ「仕方のないこと」だと考えていた。聖の性質なのだと。尊い犠牲なのだと。


……本当に、そうだったのか。


闇が、そこにいればよかったのではないか。だからこそ邪を外へ流す存在が、最初から世界に組み込まれていたのではないか。


闇の妖精。


国堕としと忌み嫌われ、名を呼ぶことすら恐れられる存在。


それでも――神の意思は、あれを愛した。


なぜだ。


なぜ、あれなのだ。


なぜ、私ではなかった。


はじめに神の意思は闇をこの世に創造した。そして闇は光を創造した。そして我は光から火・水・土・風・聖の順で生まれた。


風は遍く世界を巡るのに。誰よりも多くを見てきたのに。誰よりも神の意思に忠実であったと、自負してきたのに。


それでも、神が創造したのは闇で、我は光から産み落とされた存在にすぎない。神の意思が選んだのは常に闇だった。穢れを引き受け、憎まれ、拒まれる役割を、あれに与えた。


……理解している。それが必要だったことも。


闇がいなければ、世界は均衡を保てないことも。


だが、理解と納得は、同じではない。

もし、闇がもっと協力していれば。

もし、闇が光と並び立ち、聖を受け入れていれば。

もし、あの忌まわしい役割を、分け合ってくれていれば。


聖は壊れなかった。光もあそこまで苦悩せず、我は今でも光と共にしていただろうに。


そして、教国も、ここまで腐らなかった。


――そう、私は考えてしまった。


だから私は選んだ。

闇と縁ある者たちを。

あの収納の少年を。

忌避される運命を背負う者を。

彼らが刃を振るえば、人は言うだろう。

「闇がまた国を堕とした」と。


恐怖と憎悪は、理解よりも速く広がる。


それでいい。


それで、よかったのだ。


堕落した高位聖職者は排され、形骸化した信仰は崩れ、私は聖と土を連れて、この地を去る。アトミカへ――かつて分かれた光と火と水のもとへ。それが初めから決めれていたシナリオなのだから。


私は、何もしていない。


舞台を整えただけだ。


選んだのは、人間だ。


……そう、何度も言い聞かせてきた。


それでも、胸の奥で囁く声がある。


――それは、闇への嫉妬ではないのか。


――闇に、責任を押しつけただけではないのか。


風は答えない。


答えを出して自分を惨めにはしたくないから。答えを出すのは、私の役目ではない。


ただ、ひとつだけ確かなことがある。私は、闇を選ばなかった。


そして、世界もまた、闇を受け容れなかった。


その結果が、今ここにある。


……ならば、この先で裁かれるとすれば、それもまた風の定めなのだろう。


私は吹く。


迷いと後悔を孕んだまま、それでもなお、吹き続ける。それだけが私が神の意思から与えられた使命なのだから。



神の意思は聖に伝えたのだ。


これは境界を示す者と境界を渡る者のためのただのプロセスにすぎないのだと。


私たちはそれに逆らえない。



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