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第409話 そして翌朝

翌朝。


施術院の廊下には、まだ夜の冷気が居座っていた。


「……寒いな」誰ともなく漏れた声に、誰も反応しない。


徹夜に近い疲労が身体に貼りついたまま、ヴェゼルたちは重い足取りで朝を迎えていた。


そこへ、足音が近づく。現れたのはエコニックとフェートンだった。


二人とも目の下に濃い影を落とし、服には血と埃の名残がある。


フリードが一目見て、低く息を吐いた。「……寝てねぇな」


エコニックは苦笑し、肩をすくめるだけだった。


「その後ろ……」


プレセアが視線を向けた先で、タンドラ総主教代理が立ち止まる。


ヴェゼルたちの顔を認めた瞬間、彼は何の前置きもなく、その場で膝をついた。


ごつり、と。石床に額が当たる鈍い音が、静まり返った施術院に響いた。


「……申し訳、ありませんでした」


絞り出すような声だった。


「おい……」


フリードが思わず声を上げかけるが、タンドラは顔を上げない。


「現教国総主教代理として……いえ、一人の人間として、謝罪いたします」


一つ、深く息を吸う。


「ヴェゼル殿方への襲撃」「ヴァリー殿の死」、「風の妖精ジルフ、グール達、クルセイダーによる襲撃」


言葉を区切るたび、床に落ちる声が重くなる。


「……すべて、風の精霊様と総主教の名の下で行われた、紛うことなき侵略戦争でした」


フリードは腕を組んだまま、床から視線を上げなかった。


「…………」


怒りは、確かにある。だが今は、それを形にするほどの力が残っていない。


ヴェゼルもまた、何も言わずに聞いていた。ただ、胸の奥が少しだけ冷える。


タンドラの声は続く。


「止めるべき立場にありながら……私は、何もできなかった」


「総主教と高位聖職者の汚職を、正せなかったこと……」


「そして――彼らを排除してくださったことに、礼を」


「他に個人的にですが、エコニックを救っていただいたこと……感謝しております」


額を床につけたまま、低く告げる。


「……すべて、私の力不足です」


誰も、すぐには答えなかった。


「……」空白が、責めるように長い。


やがて、タンドラはゆっくりと顔を上げた。


「私は、時期を見て当然ながら退位します」


その言葉に、エコニックが小さく目を見開く。


「総主教の後継は……エコニックです」


「……」


「スピアーノ様の最期を、高位聖職者全員が見届けておりました。正式就任には一ヶ月ほど手続きが必要です」


「その間に……制度も、組織も、教義も、すべて見直します」


フリードが鼻で息を吐く。


「……大仕事だな」


「はい」エコニックは短く答えた。


「高位聖職者は全員、末端からやり直しますことをお許しください」



少し沈黙してから、エコニックは視線を彷徨わせ、意を決したようにエスパーダを見る。


「……この教国を立て直すために」


一拍置いて、「手を、貸していただけませんか?」


声は抑えているが、滲む期待と不安は隠せていない。


エスパーダは一瞬だけ目を伏せ、それから穏やかに微笑んだ。


「申し訳ありません」首を横に振る。


「私の故郷は……もう、ビック領のホーネット村です。そこで、待っている人もいますから」


エコニックの肩が、わずかに落ちる。


「それに――」


エスパーダはフリードとヴェゼルをちらりと見て、肩をすくめた。


「私は、もうヴェゼルさんの側近です。それと……皆さんも見ていたでしょう? ヴェゼルさんも、フリード様も……放っておけません。止める者がいないと……どうなるか、みなさんはもうご存じですよね?」


周囲を見渡す。


「……」


プレセアが頷き、ソニアも同じく。フェートンは当然のように無言で肯定する。


フリードとヴェゼルは、同時にため息をついた。


「……分かってたけどよ」


「改めて言われると、ですね……」


エコニックは、少し寂しそうに笑った。「……そう、ですね」


昨日の遺体は、残った兵士と聖職者で聖堂に安置したという。今日、集団で密葬を行う予定だと、淡々と告げる。


そして、エコニックは一通の文書を差し出した。


「とりあえずこちらを……後日正式に……」


プレセアが受け取り、目を走らせる。「……明確ですね」


まず無条件の降伏。謝罪。賠償。今回はビック領との戦争であり、それに敗戦したこと。未来永劫に亘っての、最恵国(領)待遇。


誰も、すぐに口を開かなかった。


最後に、エコニックが言う。


「今までは……聖霊様のご加護に、甘えていました。でも、これからは……自分たちで考え、歩まなければなりません」


フリードが、わずかに口角を上げる。「それでいい」


エコニックは、深く一礼した。


「ビック領よりも、素晴らしい国を目指します。では……雑務がありますので、神殿へ戻ります」


見送りに立ち上がった、その瞬間。


バイン!「――っ!?」その柔らかい音と同時に、ヴェゼルの視界が消えた。


次の瞬間、フェートンに抱きしめられ、「よく頑張ったわぁぁぁぁ!! ヴェゼルちゃん!」、


泣かれ、「本当によく生きてたぁぁぁぁ!!」、


頬擦りされ、「ちょ、ちょっと……!」撫で回された。


ヴェゼルの精神的HPは、静かにゼロを下回った。


ようやく解放された頃には、エコニックとタンドラは苦笑いしながら去っていき、フェートンだけが、やり切った顔で清々しくその後を追い、歩いていった。


施術院には、疲労と安堵と、そしてまだ整理しきれない感情だけが、静かに残っていた。






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