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第408話 そして

そしてサクラは、スピアーノの言葉通り、高位聖職者たちに魔法を施した。


それは何かを授ける行為ではなく、むしろ奪い去る行為に近かった。


彼らを長年縛り付けていたもの――聖の刻印、風の誘導、そして「神の意思」と呼ばれてきた名ばかりの命令、それらを一つ残らず、静かに剥ぎ取っただけだった。


「……終わった」サクラの声は小さく、しかし不思議なほどよく通った。


その直後、空気が一瞬だけ緩み、張り詰めていた糸が切れたかのように、高位聖職者たちは次々と膝をついた。


誰かが喉を鳴らし、誰かが耐えきれず床に額を打ちつける。呻きとも吐息ともつかない音が、石造りの床に重く反響した。


「……な、にを……」「私、は……」「……なんということを……」


言葉は途切れ途切れで、意味を成す前に崩れていく。


記憶は残っていた。自分たちがしてきたことも、命じてきたことも、見て見ぬふりをしてきた光景も、すべてが一度に押し寄せてくる。


放蕩。差別。侮蔑。民を顧みない教国の運営。聖の名を盾にした搾取と虐待。


それらを思い出した瞬間、高位聖職者たちは、自分の立場や年齢など、周囲の視線など忘れたかのように泣き崩れた。


嗚咽が漏れ、謝罪が零れ、誰に向けたのか分からない懺悔が床に落ちていく。


己を罵り、救いを求めるように床に縋る姿は、もはや裁きの場ではなく、目を背けたくなるほど生々しい現実そのものだった。


ヴェゼルは、黙ったままその光景を見つめていた。怒りは、もう湧いてこなかった。これがこの人たちにとっては、死ぬよりも辛い一番の罰なのかもしれない。


あまりにも遅すぎたのだと、冷えた理解だけが胸の奥に残っている。許すか否かを考える段階にすら、まだ辿り着けてはいなかった。


「……ここは、私たちが残ります」沈黙を破ったのはエコニックだった。


視線は冷静で、声にも揺れはないが、その奥にある覚悟だけは隠しきれていない。


「後始末には……慣れた者が必要です」フェートンが一歩前に出て、短く頷く。


「わかりました」それ以上の言葉は交わされなかった。


この場に残るべき者と、去るべき者は、すでに自然と分かれていた。


エスパーダがヴェゼルとルドルフとシャノンの傷を見て、聖の魔法で治癒をする。


その一方で、プレセアとソニアは完全に自分達の役割へと意識を切り替えていた。


フォルツァ商業連合国外交全権代理大使と、その武官として、感情を切り離した視線で場を見渡す。


プレセアが一歩進み、フリードに淡々と告げた。


「本件は――バルカン帝国ビック領とトランザルプ神聖教国との戦争であること、そして教国が屈したこと、確かに証明いたします」


その声には迷いがなく、逃げ道もなかった。エコニックもそれを聞いて深く頷いた。


泣き崩れていた聖職者たちの嗚咽が、目に見えて小さくなり、場の空気が一段冷える。


――そのときだった。


誰も視線を向けず、誰も気配を感じ取れないほど微かな何かが、奥から流れてきた。


それは視線でも殺意でもなく、ただ「通り過ぎた」という感覚だけを残し、ふとフリードの頬を撫でるように触れて、消えた。


「……?」


フリードはわずかに眉をひそめ、頬に手を当て、周囲を見渡す。


ヴェゼルが気づいて声をかけた。「父さん、どうしたんですか?」


「いや、…なんでも…ない」フリードはすぐに笑い、頬を軽く掻いた。


「なんか、風が頬に当たった気がしてな。風か聖の精霊が祝福のキスでもしてくれたのかもな?」


冗談めいたその言葉に、ヴェゼルは一瞬だけ言葉に詰まり、曖昧な苦笑いを浮かべる。


「……それは、どうでしょうか……」


ぼそりとソニアがフリードを見つめて呟く。「精霊様との不倫、ですか……これは……オデッセイ様への報告案件ですね」


緊張の糸が少しだけ緩み、場に小さな笑いが落ちた。誰も、その違和感を言葉にしなかったし、深く考えようともしなかった。



そして――フリードは、もう限界だった。


ふらつきながら立ち上がり、頭を掻く。


「……すぐビック領へ帰るのも、なんだかなぁ。今日は、あの施術院にまた泊まるしかないか」


「異議はありません」即座に敬礼をして返したのはプレセアだった。


口調は代理大使のままだが、その表情にはわずかな安堵と微笑が滲んでいる。


他の者も、誰一人として反対しなかった。



来た道を引き返すと、周囲には死体が散乱し、血の匂いと焦げたような魔力の残滓が重く漂っていた。


ときおり残党の兵士や聖職者とすれ違うが、フリードたちの姿を見るなり短い悲鳴を上げ、逃げるように姿を消していく。


「……悪魔か、魔物でも見るような顔ですね」ソニアの淡々とした言葉に、プレセアが肩を竦める。


「実際、似たようなものでしょ」


通用口へ辿り着き、掘った穴の前でプレセアが首を傾げた。


「正面から帰った方が、堂々としてよいのでは?」


「これ以上、目立ちたくありません」


ヴェゼルは即答し、少しだけ言葉を選んで続けた。


「……もう、戦いたくない……余力もないしね…」


誰もそれ以上は言わず、黙って穴に入る。


百数十メートルの地道を誰も何も喋らずに抜けていく。施術院へと戻ったとき、全員がどこかしら血に染まっていた。


風呂は自然と順番争いになり、夕食に辿り着く者は一人もいないまま、全員が泥のように眠りに落ちた。



あまりにも長く、重い一日だった。


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