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第407話 妖精の間

そして風の精霊は、休むことなく妖精の間へと足を運んだ。


扉の前に立ち、一息つくと、今までとは表情ガラリと変えて扉を大きく開く。


そこは風と聖と土、三柱の精霊の加護が重なり合う特別な場所で、建物の内部であるにもかかわらず、まるで小さな庭園のような空間が広がっている。


天井のはずの場所からは柔らかな光が降り注ぎ、草木は青々と茂り、空気はほどよく湿り、どこか眠気を誘う甘さを含んでいた。


妖精たちは、いつも通り、好き勝手に過ごしている。


床に寝転がって欠伸をする者、何かを頬張りながら幸せそうに笑う者、延々と眠り続けている者もいれば、輪になって取り留めのないおしゃべりに興じる者もいる。みんなで声を合わせて歌を歌っている妖精達もいた。


秩序も規律もなく、それでもどこか安寧が守られている、無邪気な世界だった。


風の精霊がその間に姿を現した瞬間、空気がふわりと揺れ、妖精たちが一斉にこちらを振り向いた。


「風の精様!どうしたの?」「外、なんだか騒がしいよ!」「風の精様! 遊びましょ!」「風の精様! 服が破れたの!」「ねえねえ、風の精様! お腹すいた!」


次々に声が飛び交い、あっという間に周囲を取り囲まれる。中にはサクラを思わせるほど食いしん坊な妖精も混じっているようだ。周囲を見渡して風の精霊は思わず苦笑した。


「はいはい、落ち着いて」その声に、妖精たちは条件反射のように集まり始める。


まるで現世の幼稚園の先生が園児を集める光景そのものだった。


風の精霊は、少しだけ間を置き、柔らかく告げる。


「みんな、ごめんなさいね。ここを離れることになったの」


ざわり、と妖精たちがざわめく。


「私と、聖の精霊様は旅に出ます。少し……長い旅になるかもしれないわ」


一拍置いて、続ける。


「土の精霊さんは、私たちとは別の場所へ行くそうよ。さて――みんなは、どうする?」


途端に、妖精たちは一斉に喋り出した。声が重なり、感情がぶつかり、場はたちまち混沌とする。


「風の精様と行く!」「聖の精様も一緒なら安心だもん!」「旅って楽しそう!」「美味しいものがあるところに行きたい!」


ほとんどの声が、同じ方向へと傾いていた。


だが、その輪の中で、土の妖精――ルーミー、タンク、トール、ジャスティの四人だけは、浮かない顔をしていた。やがてルーミーが、一歩前に出る。


「風の精様……できれば、私たち……土の精様と一緒に行きたい」


風の精霊は、驚いたように目を瞬かせ、それから静かに微笑んだ。


「そうね。精霊も妖精も何物にもとらわれないものよ。あなたたちも、自分の好きなように生きていきなさい」


声は優しく、否定はなかった。


「また、いつか一緒に暮らせる日が来るはずよ。それまで、しばしのお別れね」


四人は、悲しそうに、それでもしっかりと頷いた。


風の精霊は続ける。


「あなたたちと過ごした時間は、私にとっても大切な思い出よ。場所が離れても、私はあなたたちを忘れない。だから……あなたたちも、私を忘れないでね」


四人は言葉もなく、ただ頷いた。



――その輪の外。


少し離れた場所に、ぽつんと一人、妖精が立っていた。髪はボサボサで、身に纏う服も薄汚れているかんじがする。


居心地が悪そうに手を握りしめ、おどおどと何度か話しかけようとしては躊躇し、そして意を決して風の精霊を見上げる。


「わ、わたしは……どうすれば、よいのでしょうか……風の精霊様……」


その声に、周囲の妖精たちが反応する。


「お前は残ればいいだろ」「そうよ、なんだか一緒にいると気が滅入るし」「なんかきちゃないし!」「みんなとは仲良くできないんでしょ!」「あんまり食べないやつは見ていてイライラする!」


風の精霊が眉をひそめる前に、言葉はさらに続いた。


「だってコイツ、精霊様と繋がってないんだぜ」「精霊様がいてこその妖精なのに、あなただけは違うでしょ?」


その心無い言葉に、妖精は俯き、目に涙を溜める。


それが錬金の妖精――アリアだった。


「あなたたち、やめなさい」


風の精霊は静かに、しかしはっきりと告げ、アリアの側に歩み寄って膝を折る。


そして、そっと頭を撫でた。


「アリアちゃん。あなたは、あなたの好きにしていいのよ」


視線を合わせ、穏やかに続ける。


「一緒に来てもいい。土の精霊様と行くのもいい。ここに残るなら……聖女様にお願いして守ってもらうわ」


だが、周囲からは心ない声が飛ぶ。「こっちには来んなよ!」


アリアの肩が、小さく震えた。


妖精とは、本来、精霊に近い存在だ。


光が集まって生まれたスプラウトが、意思を持ちルミナントとなり、さらに自我を得て妖精へと至る。


その過程を越えられるのは、ほんの一握り。しかし、アリアは上位の精霊もいない、そしてどの属性にも完全には区分できない半端な存在だった。


涙をこらえながら、アリアは言った。


「……わたし、……ここに残る」


風の精霊は何度も「一緒に行きましょう」と声をかけたが、アリアは最後まで首を縦に振らなかった。


「……そう」諦めたように、しかし優しく風の精霊は言う。


「あとで合流してもいいからね」


そう言って、妖精たちを園児のように一列に整列させ、聖の精霊が待つ最奥の間へと、歌を歌いながら向かう。


土の妖精たちも、名残惜しそうにアリアを振り返りながら去っていった。


「じゃ、じゃあ……私たちも、土の精様のところへ行くわね」



扉が閉まり、足音が遠ざかる。



誰もいなくなった妖精の間で、アリアは一人、膝を抱え――


堪えていた感情をすべて吐き出すように、わんわんと大きな声を上げて泣いた。


光に満ちた庭園の中で、その泣き声だけが、いつまでも、いつまでも響いていた。





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