第402話 襲撃作戦の開始17
スピアーノの姿を認めた瞬間、風の精霊は楽しげに肩を揺らし、鈴を転がすようにがケラケラと笑い声を立てた。
「あら? 本気のスピアーノ様の戦いを見るのは……いつ以来かしら?」
その声に、スピアーノは視線だけを向ける。
返事はない。ただ一瞬、感情の抜け落ちた瞳が風の精霊を捉え、それきり興味を失ったように前を向いた。
静かに、しかし一切の無駄なく、聖魔法の詠唱が始まる。
次の瞬間、骨格が軋む低い音とともに体躯が一回り膨れ、筋肉が不自然なまでに隆起した。さらに重ねられた風の魔法が身体を包み込み、周囲の空気が唸りを上げて渦を巻く。
そこに立っているのは、もはや人ではなく、聖と風を纏った戦闘体そのものだった。
対するフリードも、満身創痍の身体を無理やり支えながら、同じく聖魔法の身体強化を展開する。
息は荒く、視界も揺れている。それでも、闘志だけは失われていない。
――先に踏み込んだのは、フリードだった。
上段から斜めに斬り下ろし、その勢いを殺さぬまま手首を返して下から鋭く突き上げる。
だがスピアーノは、まるで風に押し流される葉のように、最小限の動きでかわした。
間髪入れず、フリードは剣を引き戻して突き、距離を測りながら右足を蹴り上げる。それが躱されるのを織り込み済みだったか、すぐさま体を沈め、踵を振り下ろして首を薙ぐ――が、そこも見切られている。
ならば、と空いた片手で死角からバックブローを叩き込む。しかし、その拳すら虚空を打った。
「……では、次はこちらからだ」
スピアーノは淡々と呟き、片手で剣を構えると、そのまま無造作に振り下ろした。ただそれだけの動作。
だが、放たれた一撃は異様な速度と、質量を伴っていた。
フリードは咄嗟に剣を横にして受け止め、流そうとする。
しかし、片手とは思えぬ圧力に押し潰され、思わず両手で支える形になる。それでも止まらず、刃はそのまま押し込まれ、額に食い込み、眉間から温かい血が伝い落ちた。
力任せに押し切ることもなく、スピアーノは一瞬で剣を引き、口元を歪める。
「まだまだだな。身体強化を使いこなせていない」
フリードは歯を食いしばり、血を拭うことすらせず、息を整えて再び構え直す。
だが、風と聖の加護を受けたスピアーノは、まるで戯れるかのように左右へ体を揺らし、攻撃をかわし、いなし、受け止めては弾き返す。
フリードの剣は空を切るか、逸らされるか、弾かれるばかり。豪剣と風の加速が織りなす攻撃に翻弄され、防戦一方へと追い込まれていく。
剣技そのものでも、明らかにスピアーノが一枚上だった。
その様子を、風の精霊は余裕たっぷりに眺めている。微塵も、スピアーノが負けるとは思っていない顔だった。
やがて膠着状態に入ったかに見えた、その瞬間――
スピアーノが渾身の一振りを、フリードへと振り下ろそうとした、その背後。
斬撃が走った。
スピアーノは即座に動きを切り替え、フリードへの一撃を止めて身を翻す。
対峙したのは、ヴェゼルだった。
「何人で来ようと、同じことだ」
余裕を崩さぬまま、スピアーノは周囲を一瞥し、エスパーダへも視線を向ける。
「お前も加わって構わんぞ」そう言って笑うと、空いた片手に風の魔法を集め始める。
渦を巻く球体が急速に形を成し、膨れ上がっていく。
「剣ばかりでは飽きてしまうな。次は――魔法だ」
放たれた風塊は、砲弾のような速度で迫った。
ヴェゼルは紙一重でそれをかわし、背後の壁が衝撃で砕け散る。
スピアーノが、にやりと笑う。
間を置かず、ヴェゼルは切り込むと同時に収納魔法を発動し、スピアーノの着地点となる大理石を消し去った。
だがスピアーノは、それすら読んでいた。風を纏ったまま踏み込み、地面が沈もうと意に介さず、逆に斬りかかってくる。
ヴェゼルは右へ身を投げ、転がり、回転してかわす。剣は床を抉り、大理石が砕け散った。
体勢を立て直したヴェゼルは、剣を構えつつ詠唱し、収納箱から粉状にした土を一瞬で散布する。
スピアーノは即座に目を閉じ、魔力の流れだけでヴェゼルの動きを捉える。
目を閉じたまま、斬撃を見切り、かわし、さらに後頭部を狙って剣を薙ぐ。
ヴェゼルは床を滑るように身をずらし、寸前でそれを回避した。そのまま滑りながら、ちらりとシャノンへ目配せする。
立ち上がったヴェゼルは剣を肩に担ぐように構え、深く息を吸った。
そして――踏み込み、声を張り上げる。
「うぉりゃー!」
その叫びを合図に、シャノンが牙と爪を剥き、一直線にスピアーノへと襲いかかった。




