第42話 そうだ!積み木を献上しよう
ある日の午後、領館の子供部屋では、ヴェゼルとトレノが机を並べて勉強に励んでいた。
もっとも、真剣に筆を走らせているのはヴェゼルだけで、トレノは額に汗をにじませながら、数字の問題をにらみつけては「うーん」と首をかしげている。
その横でアクティは「べんきょー!」と声を張り上げ、でっかい紙いっぱいに丸や線を豪快に描きつけていた。
どう見ても落書きだが、本人にとっては、れっきとした研究成果である。
「これは、おっきいどらごん!」
「……それ、丸に線が突き刺さってるだけじゃないか」
「ちがうの! これはどらごんがひをふいてるの!」とにかく彼女の中では完璧だった。
そんな賑やかな勉強時間の最中、木工職人のパルサーが大きな包みを抱えて訪ねてきた。
「お待たせしました。オデッセイ様のご依頼の品、積み木でございますよ」
布をほどくと、中から現れたのは磨き上げられた美しい積み木の数々だった。
四角や三角、円柱など多様な形が揃い、表面は木目の美しさを活かした仕上げで滑らか。パステル調に塗られて、角は丁寧に丸く削られており、子どもの手にも安全だ。
そして一つ一つの表面には、ビック家の紋章が刻印されていた。
「これが……」
ヴェゼルは目を丸くして、息を呑む。
オデッセイは積み木のひとつを手に取り、指先でそっと撫でながら、にっこりと微笑んだ。
「皇族へ献上するために作らせた特別な品よ。遊びながら学びになるし、子どもの想像力や指先を育ててくれる。皇妃様ならきっと気に入られるはず。皇妃様には伝手もあるからね」
アクティは待ちきれないとばかりに積み木に手を伸ばし、組み立てようとしたが、さすがに献上品ということでオデッセイにやんわりとたしなめられた。
「だめよ、アクティ。これは皇妃様に贈る大切なものだから」
「えー……」と唇を尖らせながらも、アクティはしぶしぶ手を引っ込める。
「すごいです……」
トレノもしげしげと積み木を眺めて感嘆の声をもらす。
オデッセイは皆に向かって説明を続けた。
「この積み木を、ルークスに託すわ。彼は商会の行商で帝都まで行く予定だから、その際に皇妃様への手紙を添えて献上してもらうのよ」
帝都までは片道一ヶ月。決して短い道のりではない。だが、もし無事に届けば、ホーネット村の名は宮廷にまで響き渡るかもしえない。
たかが玩具、されど戦略的な贈り物である。その「皇室献上」という既成事実が、積み木を「ビック領製造の専売品」として売り出す大きな後押しとなるのだ。
その頃、机に戻ったトレノは再び算数の問題に挑戦していたが、何度やっても答えが合わず、ヴェゼルに訂正されては頭をかいていた。
「す、すみません……俺、どうにも算術は苦手で……」
それを見たヴェゼルが、ふと思いついたように口を開いた。
「なら、数字を刻んだ算数セットを作ろう。木片に“1、2、3”や“+-=”を刻んで並べれば、計算も目に見える形になるはずだよ」
「それはいいわね!」
オデッセイの目がきらりと輝く。
ヴェゼルはさらに続けた。
「ついでに、基礎音を刻んだ“言語積み木”も作ればいいよ。遊びながら文字と音が結びつく。子どもたちには、入りやすいはずだよ」
ヴェゼルが思い描いているのは、帝国共通語で使われる音標文字だった。
この世界の文字は、意味を直接示す表意ではなく、音を示す記号――いわば「発音そのものを刻む文字」だ。
基本となるのは二十六の基礎音。
子音と母音が分かれており、組み合わせることで単語を形作る仕組みになっている。たとえば、直線の刻印は破裂音、曲線は流音や母音を示し、刻みの向きや数で発音の強さや長さが変わる。
貴族や学者は紙と羽根ペンで覚えるが、幼子には難しい。だからこそ、木の積み木に一文字ずつ刻み、音として、形として、手触りとして覚えさせる。
並べれば音になる。繋げれば言葉になる。
――そんな、遊びと学びの境目をなくすための工夫だった。
「最初は基礎音だけでいいかな。単語も、意味も、後からついてくるからね」
積み木を重ねながら、ヴェゼルはそう考えていた。文字とは、覚えさせるものではなく、触れて慣れるものなのだから。
「よし、それも作ってもらいましょう」オデッセイは満足げにうなずき、すぐにパルサーへ新たな依頼を告げた。
ちょうどその時、行商から戻ってきたルークスが合流した。
彼は積み木をひとつ手に取り、じっと見つめる。木目の美しさ、加工の精緻さ、教育具としての将来性……そのすべてが商人としての直感を刺激した。
「なるほど……皇妃様への献上品として申し分ない。それに、教育具として皇都にも広められる……」
彼はしばし考え込んだ後、バン!と机を叩いて声を上げた。
「これは大商機だぞ! ホーネット村の名産にするぞ! 姉さん、安心してくれ。必ず帝都まで届けてみせるぞ! そして――ついでにあの“ホーネットシロップ”も売り出してくる!」
「ホーネットシロップ?」オデッセイが眉をひそめる。
「そう!俺が今勝手に名前をつけた! インパクトがあって覚えやすいだろう!」
胸を張るルークスに、オデッセイは呆れ顔でため息をついた。
「それと、パルサーさん!」
ルークスは勢い込んで振り向く。
「あと一週間以内に、できるだけ一般用の積み木を仕上げてくれ! 献上品の簡易版で構わんから!」
「まったく……商売のこととなると、どうしてこうも目の色が変わるのかしら」
そう呟きつつも、オデッセイの口元には微かな笑みが浮かんでいた。弟の勢いと商才は、時に頼もしさすら感じさせる。
ルークスは大きな声で宣言した。
「この積み木は必ず都で評判になる! “皇室御用達”という触れ込みがあれば、貴族たちも飛びつくに決まっている!」
こうして帝都への献上品として始まった積み木は、やがて子どもたちの学びを支える教材となり、バネット商会とビック領の新たな商材へと成長していくのだった。
そんな大人の会話をよそに、アクティは積み木を組み合わせて、謎の大作を完成させていた。
「できたー!これは、アクティのおしろ!」
先日ヴェゼルからもらった積み木の塔で作ったそれが、不安定にそびえ立つ。
外からの鍛錬から帰ってきたフリードはにやりと笑い、つい余計な一言を言ってしまった。
「おお、すごいぞアクティ!……でもお城にしては、ちょっとグラグラしてるな。気をつけないと一発で倒れるぞ!」
ガシャーン!
案の定、塔は豪快に崩れ去った。
「……おとーさまのせい!!!」
アクティは真っ赤な顔で怒鳴り、フリードに積み木を投げつけた。アクティは机に突っ伏し、頬をぷくーっと膨らませている。
「もうおとーさまなんてしらない!」
「そ、そんなぁぁぁ……!」
フリードは床に崩れ落ち、両手を伸ばして嘆いた。
その姿を見て、グロムが冷静に助言する。
「兄貴、“でも”を使っちゃダメだ」
「えっ?」
「“でも崩れやすいぞ”って言ったから余計に怒られたんだよ。ここは素直に“すごい”だけでよかったんじゃないか」
「……勉強になるなぁ……」
フリードは自分の弟に教育され、胸を押さえて深いため息をついた。
トレノはオロオロしながら提案する。
「えっと、甘いものとか持ってきたら機嫌が直るんじゃ……?」
「それだ!」
フリードの顔がパッと輝く。
「アクティ、ほら見てごらん! お父さんがホーネットシロップかけパンを持ってきたぞ!」
おやつ係のメイドから奪い取るようにして、皿を差し出す。
だがアクティはプイと横を向いた。
「いらない!」
「な、なんでぇぇぇ!?」
オデッセイが冷ややかに呟く。
「女の子の怒りを甘いもので誤魔化そうとするあたり、ほんとに安直ね」
「ぐぬぬ……!」
次にフリードは「作戦その2」を思いついた。
「よし! お父さんが積み木で一番すごいお城を作って見せる!」
彼は積み木を両手いっぱいにかき集め、猛烈なスピードで組み立て始めた。
「見てろよアクティ! これがパパの本気――!」
ガシャーン!
最初の三段で派手に崩壊した。
「……」
アクティはじっと見つめ、やがて小さな声で呟いた。
「……へたっぴ」
「ぐはぁぁぁぁ!!」
精神的ダメージでフリードは床に崩れ落ちた。
オデッセイがため息をつき、グロムが一言。
「兄貴、勝とうとするな、一緒に作ればいいんだ」
「……一緒に……?」
その言葉にハッとしたフリードは、アクティのそばに静かに座った。
「……なぁアクティ、お父さんと一緒にお城を作らないか?」
アクティは腕を組んで考え込んだあと、ちょっとだけ口を尖らせながらも積み木を一つ差し出した。
「……じゃあ、このしかくいのはあげる」
「おおっ! ありがとう! よーし、これでアクティ城を一緒に完成させよう!」
二人は並んで積み木を積み上げ始める。
アクティの顔に、ようやく小さな笑みが戻った。
数十分後――。
「できたぁぁぁ!」
机の上には、堂々たる“アクティ城”がそびえ立っていた。
「パパとアクティの共同作品だな!」
「うんっ!」
ようやく和解成立。
……と、その時。フリードは余計な一言を口走ってしまった。
「でもアクティ、まだちょっと傾いてるな。油断をしたら――」
ガシャーン!!
「おとーさまのせい!!!」
再び城とアクティからの信頼は崩壊し、フリードは涙目で頭を抱えるのだった。




