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第399話 襲撃作戦の開始14

ヴェゼルは、フリードの背中を見つめていた。


エスパーダが治療してはくれたが、血が流れすぎている。傷は浅くない。このまま続けば――父は、いずれ死に至るかもしれない。


(……直接は、届かなければ無理か)


剣で相手と対峙しても、奇襲で二人は倒したが、正攻法では体の大きさと体力が違いすぎる。もう通じないだろう。それに収納魔法で肉体の一部を収納することは、完全に読まれているのだ。相手の肉体を対象とした瞬間に、闇の魔力が霧散する。


(でも――)ヴェゼルの視線が、ゆっくりと周囲へ流れた。


床。柱。天井。魔法陣の刻まれた床の大理石。そして魔法聖職たちの陣形。


(“侵入”がダメなら……)彼は、無意識に指先を動かしていた。


(闇は、奪う魔法じゃないんだ)誰に教えられたわけでもない。


だが、ヴェゼルは理解し始めていた。(“在るものを消す”魔法だ)。満身のフリードを見ると視線が一瞬だけ交差した。お互いが小さく頷く。


その時、魔法聖職の一人が詠唱を強めた。


「聖よ――」


光が収束し、巨大な刃となって放たれる。ヴェゼルは受け止めきれないと判断し、身を捻った。


――次の瞬間。ヴェゼルは、足元を見た。魔法聖職たちが陣形を保つため、決して動かない位置。


そこに敷かれた大理石の床。


「……収納」小さく、短く。誰の肉体も狙っていない。魔法聖職の誰一人として、対象ではない。


ただ――


“そこに在るはずの床”だけを、ほんの一部。半径と深さ数十センチ。だが、それで十分だった。


魔法聖職の一人の足元が、消えた。「な――っ」


踏み出した瞬間、足が空を切る。体勢が崩れ、詠唱が乱れる。その乱れは、陣形全体に波及した。


「詠唱を止めるな!」ウラッコが声を張り上げる。


だが、遅い。わずか一瞬。それだけで、魔法の密度が落ちた。


「今だ!」フリードが吼える。


身体強化を叩き直し、剣を振るう。


一人――いや、二人。魔法を維持できなくなった魔法聖職が、斬り伏せられる。


斬られた瞬間血が撒き散らされ、魔力が散る。


ウラッコの表情が、初めて歪んだ。


「……小賢しい」


ヴェゼルは、静かに息を吐いた。(直接殺さなくてもいい)(闇は、“戦場”そのものを壊せる)


彼の中で、収納魔法が、ただの即死魔法ではなく――


闇属性の、空間支配魔法へと、確かに形を変え始めていた。



しかし、無理に身体を動かした反動は避けられなかった。


フリードは喉を鳴らし、「……ごふっ」と血を吐いてその場に崩れ落ちる。床に落ちた血が、じわりと広がった。


エスパーダは即座に駆け寄り、その身体を支えながら、何重にも聖の魔法を重ねがけする。光は傷を塞ぐが、命の重みそのものまでは戻せない。


残る魔法聖職は、残り十に満たない。


そして、その奥に立つのは――ウロッコ近衛聖職伯、ただ一人。ウロッコは怒気を孕んだ笑みを浮かべ、ゆっくりと拍手した。


「よくも……この教国が誇る精霊の加護付きの魔法聖職を、そこまで屠ってくれましたね。見事と言えば見事です。ですが――ここまでです、フリードさん」


その視線が、床に伏すフリードへと向けられる。


「あれだけ血を流しては、もう動けないでしょう? 残るのは……収納魔法も封じられた小僧、ヴェゼルさん。多少、剣を振れるようですが……ここで終わりです」


さらに視線を巡らせ、舌なめずりするように続けた。


「その後は裏切り者の聖女と、商人が二人。それから……」


じろりとフェートンを見据える。


「侍女もいましたね。なかなかの身体だ。誰かの慰みものには丁度よい」


そして、プレセアの胸元を一瞥し、鼻で笑う。「商人のあなたは……まぁ、需要はなさそうですが」


「なっ――!」


プレセアが即座に噛みつくように声を上げる。


「それ、今わたしの胸を見て言ったわね!? 言ったわよね!?」


この状況でそこに怒るのか、とヴェゼルは思わず苦笑した。


だが、笑みの裏で理解している。形勢は、圧倒的に不利だ。


本来なら、ここで切る札ではない。


総主教と風の精霊、その奥に至るための“最後の手段”だった。


――だが、仕方がない。


ヴェゼルは小さく息を吐き、笑った。


その笑みが癪に障ったのだろう。ウロッコが眉を吊り上げる。


「この状況で笑うとは……正気を失いましたか? 降参するなら今ですよ。もっとも――生かしはしませんが」


今度は、ヴェゼルが声を上げて笑った。


それを見て、ウロッコは怒鳴る。


「魔法聖職に告げる! 私が最上位魔法を放つ。その間、攻撃魔法の幕を張れ! 一歩も近づけるな!」


命令と同時に、魔法聖職たちが間断なく詠唱を始め、風と聖の魔法弾が雨のように放たれる。かろうじてフリードはエスパーダの防御魔法で防いでいるが突破されるのは時間の問題だろう。


その背後で、ウロッコは長い詠唱に入った。


白と緑が絡み合う魔力が渦を巻き、やがて巨大な球体となる。一メートルを超えてなお膨張を続ける、破滅の兆し。

その光景を前に、ヴェゼルはただ一つ、深くため息をついた。


そして、背後に控える二つの影――ルドルフとシャノンへ視線を送り、静かに頷く。


「……行くぞ」その一言で、二体は一斉に跳んだ。


魔法弾を縫い、相手に近づき、爪と牙が魔法聖職へ襲いかかる。悲鳴と絶叫が上がり、陣形は瞬く間に崩壊した。逃げ惑う者、踏み潰される者。精鋭は、獣の前では餌でしかなかった。


その混乱に、ウロッコの魔法が揺らぐ。だが、彼は歯を食いしばり、詠唱を完遂した。


「――消えなさい!」放たれた、風と聖の融合魔法。


それは、街一つを吹き飛ばしかねない程の威力を孕み、一直線にヴェゼルへ迫る。


その瞬間、ヴェゼルは呟いた。短い言葉と共に、収納箱をその融合魔法へと投げつける。


次の瞬間――暗黒が瞬時に箱を中心に拡散し、膨大な融合魔法を丸ごと飲み込んだ。


魔法は悲鳴一つ上げることなく、霧散する。


「なっ――!?」


驚愕するウロッコの視界に、既にヴェゼルの姿はない。気づいた時には、少年は懐に入り、剣を首筋へ添えていた。


一閃。


すっと引かれた刃。


ウロッコは何かを呟こうとしたが、その声は形にならない。


首が床に落ち、胴が遅れて崩れた。


静寂。


敵は、すべて沈黙した。



ヴェゼルは深く息を吐く。


その背後で、シャノンとルドルフが不満げに言った。


「最初から呼んでくれれば、もっと早く終わったのに!」『そうだよ!』


それに対し、ヴェゼルも、フリードも、エスパーダも――ただ黙って視線を逸らすしかなかった。






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