第397話 襲撃作戦の開始12
ウラッコ近衛聖職伯は、血と死臭の漂う広間を見回し、満足げに口角を上げた。
「ここまで辿り着いたということは……あなた方も、それなりに強いのでしょう。ですが――」
彼は、ゆっくりと天を仰ぐ仕草をした。「それもすべて、風の精霊様の掌の上なのです」
その声音には、疑いも揺らぎもない。
「風の精霊様のお告げ通り……ノコノコと、ここまで現れるとは。襲撃の意図も、時刻も、経路も。すべてお見通しでしたよ。ここまでは、ただの余興です」
次の瞬間、ウラッコは表情を変えて低く、しかし明確に命じた。
「――近衛聖職伯が命ずる。魔法聖職の精鋭よ。こやつらを殲滅せよ」
その号令と同時に、広間の両側に並ぶ扉が一斉に開いた。
音もなく現れたのは、法衣に魔法陣を織り込んだ者たち。
二十名はいるだろうか。全員が、ただの聖職者ではない。
彼らは、この教国が誇る精鋭中の精鋭――剣を振るうクルセイダーと対を成す、魔法聖職の精鋭部隊だった。
自然と、彼らはウラッコを守る陣形を取る。中心にウラッコが立ち、外周を聖と風の魔力が覆う。まるで一個の巨大な魔法装置のようだった。
フリードが歯噛みする。「……待ち伏せか」
「ええ、そうですとも」ウラッコは楽しげに頷く。
「すべては風の精霊様のご意思。あなた方がここへ至ることも、ここで討たれることも」
その言葉が終わるより早く、敵を見渡した後、ヴェゼルは動いた。
「収納……心臓」短い詠唱。
だが、いつもの感触が来ない。闇の魔力が相手の内部へ侵入し、吸収構造が展開される――
その“直前”で、霧のように霧消した。「……っ」
もう一度、狙いを変える。「収納……肺」
同じだった。発動はする。だが、相手に触れた瞬間、魔力そのものが削ぎ落とされる。
ウラッコが高らかに笑った。
「無駄だ、小僧! 貴様の闇の魔法は、すでに解析済みなのだよ!」
彼は手にした宝珠を掲げる。白と緑が混じり合う光が、脈打つように輝いた。
「これが、風の精霊様より授かった聖風宝珠。聖と風の加護により、闇の魔法は“侵入の瞬間”に無効化されるのだ!」
誇らしげに言い放つ。
「今まで、どれほどのクルセイダーが犠牲になったと思っている? すべては情報収集のためだ! もう貴様の収納魔法は――無意味!」
その瞬間、魔法聖職たちが一斉に詠唱を開始した。風が唸り、光が走る。
ヴェゼルへ向けて放たれた魔法が、直撃する――その刹那。
白い壁が展開された。「防御――ホーリーウォール」
エスパーダの聖魔法だった。
魔法の衝撃が壁に弾かれ、爆風が床を抉る。
「下がれ、ヴェゼル!」だが、魔法聖職たちは止まらない。
フリードが前に出た。「チッ……なら、叩き潰すまでだ!」
全身に聖魔法の身体強化を纏い、地を蹴る。
その一歩で距離を詰め、剣を振り抜こうとした――
だが、次の瞬間。風の刃が、無数に飛んだ。
「ウインドブレイド!」「ホーリーカッター!」「セイクリッドブレード!」「シャインスラッシュ!」
交差する聖と風の魔法。弾幕となって、フリードの進路を完全に塞ぐ。
フリードは歯を食いしばり、剣で捌く。一つ、二つ、三つ――だが、すべては捌ききれない。普通の攻撃魔法ならば、フリードなら剣で捌けるのだが、魔法聖職の攻撃魔法は威力が数段増しているように感じる。
肩を裂かれ、脇腹に光の刃が食い込む。鮮血が宙を舞い、床に叩きつけられる。
「ぐ……っ!」それでも前に出る。盾となり、ヴェゼルとエスパーダを庇う。
だが、魔法は止まらない。むしろ、精密になっていく。狙いは常にフリード。
近づけさせないための、計算された弾幕。エスパーダも聖魔法で防御を重ねるが、数と密度が違う。一枚、また一枚と防御が削られていく。
フリードの息が荒くなる。
「……クソ……」
剣を握る手が、わずかに震えた。剣で勝てる相手ではない。武で押し切れる敵ではないようだ。
これは――“武を殺すための魔”だった。
その事実を、誰よりもフリード自身が理解し始めていた。
フリードは一歩、また一歩と下がった。“踏み留まれない”という事実を、ようやく身体が理解しただけだった。
剣を振るえば、必ずその隙間に魔法が飛び込んでくる。前に出れば出るほど、聖と風の刃が重なり、削り取られる。
「……近づけねぇな」
低く呟いた声には、苛立ちよりも冷静な判断が滲んでいた。
ウラッコはその様子を眺め、満足げに頷く。
「当然です。クルセイダーは“武”。彼らは本来はあなたのような不届き者を殺すための駒でした。しかし、やはり近接では相性が悪かったようですね」
ゆっくりと、指を鳴らす。
「そして、魔法聖職は相手を近づけずに“詰み”を作るための存在。力で押す者を、力以外で殺す」
魔法聖職たちは詠唱を止めない。呼吸のように魔力を循環させ、間断なく魔法を撃ち続ける。
体が刻まれ、抉られ、フリードの鎧の隙間から噴き出す血の量は、もはや隠しようもなく増えていた。踏み出すたびに足元が揺れ、ついに片膝をついた瞬間、彼の意識は遠く霞み始める。
剣を握る腕はまだ離さぬという意思だけで支えられていたが、肉体はすでに限界を超えていた。
その様子を見下ろし、ウラッコ近衛聖職伯は楽しげに口角を吊り上げた。
「フリードさん。あなたは、近づかねば聖魔法を活かせぬお方でしたね?」
嘲るような声音が戦場に響く。
「ですが、ご覧なさい。この魔法の弾幕です。近づけねば、いかに身体強化の使い手であろうと――その剣など、ただの鉄の棒にすぎません」
風と聖の魔力が周囲を埋め尽くし、間合いそのものが拒絶の壁となる。だがフリードは歯を食いしばり、最後の力を振り絞って前へ出た。
強引に踏み込み、数名の魔法聖職者を斬り伏せる。その一閃一閃は確かに重く、致命であった。だが、それが限界だった。次の一歩は踏み出せず、彼はついに剣から手を離し、地へ倒れた。




