第393話 襲撃作戦の開始08
しばらく薄暗い通路を進むと、フェートンが静かに手を挙げ、脇の扉へと三人を導いた。中は誰もいない空室で、わずかな冷気と埃の匂いが漂っている。
潜入の最中にも関わらず、外の喧噪が届かないこの部屋だけが、不気味なほど静かだった。
フェートンが胸を撫で下ろし、微笑を混ぜて言った。
「事前にどこから潜入するか……エスパーダ様に伺っておいて正解でした。エコニック様が万が一があるからとおっしゃったので、あの通用口付近で様子を見ておりましたの」
エスパーダは深く頭を下げた。その影が床に細く伸びる。
「救われました。……心より感謝いたします」
しかしフェートンは、ふとフリードを見やり、小さく笑った。
「助かったのは、あの兵士の方でございましょう。もう少し遅れていれば……あの兵士の首が飛んでいましたわ」
フリードは鼻を鳴らし、肩を鳴らすだけで言葉にしなかったが、誰よりも図星だった。
フェートンは表情を引き締め、続けて告げた。
「今日は総主教様もすでに自室にお戻りです。そして先ほど、エコニック様が……“将来、この国の立て直しに協力して下さるだろう方々”には、今夜どれほど物音があっても決して部屋を出ないでほしいと、お手紙を回しておられました。意を汲んでくださる方々は……フリード様とヴェゼルちゃんの行動を妨げないはずです」
空気が揺れた。夜陰の中で、誰が敵で誰が味方か——その線引きは、もう二人の覚悟に委ねられていた。
「この先、皆様の前に現れる者は……お二人に…お任せいたします」
その言葉には、侍女としての限界と、一人の女としての覚悟が同居していた。
フェートンは姿勢を正し、静かに頭を下げる。
「皆様のご無事を……心よりお祈りしております」
別れ際、彼女は小さく身を屈め、ヴェゼルをそっと抱きしめた。胸に埋もれたヴェゼルは声が出せず、腕が小さく震える。フェートンは耳元で囁いた。
「ヴェゼルちゃん……必ずご無事で…」
ようやく腕が離れ、フェートンは普段通りの侍女の足取りで踵を返し、すぐそこに見えるエコニックの部屋へと歩いて行こうとする。
そこでフェートンは振り向いてニコッと笑って小声で呟いた。「あのお二人は、先ほどエコニック様のお部屋に入りました」
それを告げると、その背が扉の向こうへと消えた。室内には再び沈黙が降りた。だがそれは、完全な静寂ではない。
フリード達が注意しながら部屋を出ると、壁の向こう――エコニックの私室の方角から、微かに声が漏れ聞こえてくる。張り詰めた空気の中でなければ、気づかぬほど小さなものだった。
「……フォルツァ商業連合国を代表し、本日は謁見の機会を賜りましたこと、心より感謝申し上げます」
凛とした女の声。続いて、落ち着いた低音が重なる。
「本日は中立国としての立場から、いくつか確認すべき事柄がございまして」
フリードの視線が、音のする方へわずかに向いた。エスパーダも気づいたらしく、ほんの一瞬だけ眉を動かす。
ヴェゼルは何も言わない。ただ、その意味を悟ったように、口角をわずかに上げた。
フォルツァ商業連合国。
大陸において唯一、帝国にも教国は勿論、どの国とも友好関係を築いている完全中立の商業国家。その正式な外交使節代表が、今まさにこの神殿のエコニックの部屋にいるのだ。
「……最初から、ここで合流する算段だったわけか」
その事実をはじめて知ったフリードが低く呟く。そして、ヴェゼルは静かに肯定した。
「まぁ……いえ、途中で戦闘音を聞きつけたエコニックさん達が、合流するという段取りだったのですが……というか、話そうとしたら『細かな作戦はお前に任せる』と言って、聞かなかったのは父さんですからね…この戦いを“暗殺”ではなく、“戦争行為”として記録に残すためです」
過去、教国は先に剣を抜いた。バルカン帝国領内へのヴェゼル達の襲撃のための越境。そして今回魔物と妖精を嗾け、クルセイダーを率いてのビック領への侵攻。
それらすべてに対する――正当な報復。
その事実を第三国の代表が目撃し、記録し、認める。それがあって初めて、この夜は「暗殺」ではなくなる。
「つまり……」ヴェゼルは小さく息を吸い、静かに言った。
「僕たちは、もう“戻れない”場所まで来てるんです。でも、その代わり……ちゃんと、世界に立証する準備は整いました」
その瞬間だった。
扉が開いた。
そこに立っていたのは、聖女のエコニックと侍女のフェートン。その背後に、正装をしている二人の女性がいた。
一人は、外交官。フォルツァ商業連合国・公式外交使節代表――プレセア。
もう一人は、腰に佩剣を帯びた武官。同国政府付き武官――ソニア。彼女はなぜか場違いな猫を抱っこしているが。
「――間に合いましたね」
プレセアが静かに言う。その声に、微塵の動揺もない。
「フォルツァ商業連合国政府は、本件を正式な“交戦状態”として認識します。これは暗殺でも、暴動でもありません」
彼女の視線が、ヴェゼルとフリードをまっすぐに射抜いた後に、少し笑ってウインクする。
「教国による先制侵攻への報復。国家間の戦争行為と認めます」
ソニアが一歩前に出て、剣の柄に手を添える。
「我々は、ここから先を“証人”として同行します」
空気が、確かに変わった。
ヴェゼルは小さく笑った。この夜は最初から、“見られる戦争”として、仕組まれていたのだから。
ヴェゼルの影からは『私も、戦争参加! あと、人間になりたい! そしてヴェゼルとバインバイン!』と念が聞こえたような気がしたが、気のせいだと心の中で打ち消して、あえてそれは無視をした。
エコニック達には戦闘がひと段落したら付いてくるように言ってフリード達は先へと進む。
三人が通路を出ると、ほどなくして大きな廊下にぶつかった。壁に落ちる灯が長く伸び、静寂の奥に屈強な兵士の気配が潜んでいる。
影に身を潜めたまま、エスパーダが指で示した。
「ここを右へ。まっすぐ進めば階段です。階段前にはクルセイダーが常時詰めています。その横には詰所が一つ。十名以上はいるでしょう。階段を上れば高位聖職者の部屋が並び、そこにも詰所。そして高位聖職者の部屋があり、その最奥に……総主教の自室がございます。基本的には…高位聖職者には……タンドラ様以外、まともな者はおりません」
説明が終わる頃には、胸の奥の緊張は鋼のように固くなっていた。フリードがゆっくり拳を握りしめ、低く、だがはっきりと言った。
「……ここからが、我がビック領の戦だ。あの日の襲撃を、嫌というほど後悔させてやる」
ヴェゼルも前を見据える。幼い顔に宿る光は、もはや少年のものではなかった。
「俺を襲ったことも……後悔させます。それに……ヴェリーさんの…」
その名を口にした瞬間、フリードの目がわずかに揺れ、エスパーダが静かに頭を垂れた。
「私は……戦力にはなりません。しかし、最後までお二人と共に参ります。これがせめてもの、私の贖罪です」
ヴェゼルは息を整え、淡々と策を告げた。
「作戦というほどではありませんが……僕が廊下の中央で倒れた振りをします。子供ですから、警備のクルセイダーもいきなり斬りかかってはこないはずです。僕に気を取られたところで、父さんとエスパーダさんが接近。そして階段前で戦闘になると思います」
その眼差しは冷静で、どこか研ぎ澄まされていた。
「僕のところに集まったクルセイダーは……僕が即排除します。それから、父さんたちが戦っているところへ、不意をついて奇襲します。そこからが本番です」
フリードは牙をむく獣のように獰猛に笑った。それは領主としてではなく、“ただの男としての怒り”そのものだった。
「——さあ、楽しい戦いのはじまりだ!」
その声は小さかったが、廊下の奥を震わせるほどに重かった。
今夜、この神殿の中で、いくつの因果が決着するのか。
その答えを知るのは、これから刃を交える者たちだけだった。
プレセアとソニアを驚きと共に、
颯爽と登場させたかったけど、、
文章力がないなぁ。。。。




