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第391話 襲撃作戦の開始06

ヴェゼルは翌日も、土の匂いに満ちた暗い穴の中で黙々と作業に徹する。湿気を帯びた土壁に指先が触れるたび、ひやりとした冷気が腕を伝う。体よりも心のほうがもっと重く沈んでいた。


――あの姉妹のことを考えれば考えるほど、胸の深くが静かに軋み続ける。一方で地上の仲間たちは、それぞれに与えられた役目に散っていく。


フリードとソニアは周囲の見張りに立ち、恋人を装って散歩したり、猫のシャノンを抱いて城門付近を回ったりしながら、目につかぬよう監視網を張り続けていた。


その姿は外から見ればただの“市民の日常”に過ぎないが、会話の合間に交わされる目線は緊張と敵意の境界を行き来していた。


エスパーダは神殿の内部構造、下男下女の通用口、通用口の警備の様子、倉庫の位置、司祭の夜間の動線、そして総主教と風の精霊の行動パターンを日々調べ上げていた。


外から見れば左腕を失った老人の巡回に過ぎないが、その瞳はかつて戦場を歩いた兵士のように鋭く、死角を一つも見逃さないかのようだった。


プレセアはヴェゼルが城門外へ出るたび、必ず手をつないで同行し、“薬草を採る子供”を演じ続けた。


「少し離れすぎよ、ヴェゼルちゃん。お姉ちゃんのもっと近くに来なさい」


「こう?」


「……もっとよ、このくらいじゃなきゃだめ………あまりにも不自然だとバレるでしょ」


彼女は明るく振る舞おうとしたが、ヴェゼルの無口な様子に気づくたび、目の奥に言葉にならぬ憂いと苛立ちが浮かんでいた。


そして施術院では、エコニックが体調の回復を理由に新たに信頼できる人物を見極めていく。しかし襲撃のことは誰にも話さない。情報の漏洩は一瞬で作戦を潰すからだ。


エコニックの柔らかな笑顔の裏には、神殿政治に染まった者たちを見抜く冷たい光が宿っていた。


そんななか――ヴェゼルの沈黙は日に日に重くなっていった。


その夜。


「……先に休みますね」


短い声を残し、ヴェゼルは布団に潜った。サクラや犬猫たちも当然のように彼の布団に入り込み、静かに寄り添った。


施術院の灯が弱く揺れる中、フェートンがぽつりと呟いた。


「……救いたいです。でも……今の私たちには、助ける方法がないのですね……悔しいです」


プレセアが視線をそらし、ソニアは黙って両手を握りしめる。


「……変えてやるさ。あと少しで…教国の頭が変われば……」フリードが低く呟いた。


その声に、全員が静かに、しかし強くうなずいた。


その翌日の穴掘りもまた、ひたすら暗く冷たい土との対峙だった。


ヴェゼルはもう心だけでも先へ急ぎたいのに、現実は少しずつしか進まない。


それでも――仲間たちの足音や気配が、確かに彼を支えていた。


夕暮れ時、収納箱の土をプレセアと捨ててきたヴェゼルが、施術院へ戻ってきた時、仲間たちに告げた。


「……明日、たぶん貫通します。あとは真上に掘れば穴が開くと思います」


空気がひとつ波立つ。


「ついにか」「……いよいよですね」「緊張してきたわ……」


皆の表情が、張りつめた期待と覚悟で硬くなる。


この夜ばかりは、みんな早めに床についた。声を潜めながら、息遣いだけが静かに伝わってくる。


――明日、神殿に乗り込むのだ。これで終わらせる。


それは胸に鉛を落としたような重みでありながら、同時に抗えぬ流れの先にある唯一の光でもあった。


エコニックは、襲撃を知らぬふりをして神殿に赴き、“その時間に神殿内にいる”という重要な役割を担う。


万一の時、彼女がそこにいることで、事態の収束と後始末が大きく変わるのだ。


7日目の朝。エコニックとフェートンは、まるで昨日までの苦悩などなかったかのように清らかな顔で神殿へ向かった。


「ヴェゼル様、フリード様……ご健闘をお祈りいたします」


「うむ。……油断するなよ、二人とも」フリードは答えたがヴェゼルは頷いただけだった。


フェートンはその場の空気も読まず、いきなりヴェゼルに抱きついた。例の柔らかい感触が盛大に顔面を包み込む。


「またこの感触を味わいたいのなら、絶対に無事に戻ってきてくださいねっ!」


「……はい……」


フリードとエスパーダが、微妙に視線をそらす。


そして七日目の午後。


「ここが……城壁の中の真下です」


ヴェゼルが真剣な声で告げると、フリードとエスパーダは息を呑んだ。穴の真下には二メートル四方の空間が広がっている。ここから神殿に突入するのだ。


エスパーダの調べでは、夕方の兵は“夕食”のため配置が緩む。交代と移動が重なり、最も穴を開けやすい時間帯。


その隙は――わずか一刻もない。


「行くぞ」


フリードの声が地下に響く。


「板はここに。雪と土をかぶせれば、外からは見えません」


プレセアが手際よく偽装用の板を手渡す。


ヴェゼルは最後の三十センチの土壁を見上げ、息を詰めた。土壁の向こうには聖都の夕空があるだろう。


その向こうには――倒すべき総主教と、風の精霊。


左手の収納箱を握る手に力がこもる。


「収納……」


土が収納箱に吸収され、わずかな光が差した。


冷たい空気が流れ込む。


そして――


夕空が覗いた。「……貫通しました」


その瞬間、全員の胸に静かな震えが走った。


――いよいよだ。


ここから先は、生還が保証された道ではない。


それでも。


「行こう。……終わらせるために」


ヴェゼルの声は、雪よりも静かだったが、鋭い決意を帯びていた。


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