第389話 襲撃作戦の開始04
翌日も、ヴェゼルは夜明けとともに朝食を胃に押し込むように済ませると、地へ潜って暗い穴の底で土と向き合った。
今日はやるべきことが新たに見つかったため、まずはこの作業を早く終わらせるつもりでいた。湿気を含んだ地層がゆっくりと割れ、収納箱の奥深くへ崩れ落ちるたび、鈍い響きが地下にこもる。
その音は少年の鼓動と重なり、精神的疲労が静かに積み上がる。しかしヴェゼルは眉一つ動かさず、ただ淡々と“神殿へ至る道”を掘り進めた。
穴の入り口付近に戻ると、プレセアが既に待っており、洞壁の脆そうな部分を指でなぞりながら、気になる箇所に炭で印をつけていく。
崩落の兆しがある場所には彼女が補修を施し、木板をはめて強度を与えた。彼女の手が追いつかないところはヴェゼルが肩を並べ、二人が黙々と補強を進めるその様は、まるで古い坑道を守る鉱夫のようで、一切の無駄がなかった。
午前の早い時間、ヴェゼルは息を整え、外套を羽織ると、今日はプレセアではなく変装したエコニックと手を繋ぎ、城門へ向かう。その手を繋ぐ二人を見て、なぜかプレセアは憮然としていた。
今日の向かう先は森ではなく、城門を出てから聖都の壁沿いを歩き、その裏側に広がる“低民街”だ。
城門前では、昼前だというのに痩せた人々が列を作り、木札を受け取るためだけにこの冬空の中で震えながら並んでいた。骨ばった頬、乾き切った唇、痩せた指先。生気のない視線が虚空を見つめている。
ヴェゼルたちも列に加わり、冷気のなかでしばし待つ。やがて順番が来て木札を受け取ると、昨日と同じように城門の外へ出た。
森へ向かうふりをして歩き、人通りがまばらになった頃、ヴェゼルはエコニックとともに脇の路地へと滑り込んだ。
二人はリュックから粗末な外套を取り出して身にまとい、顔の半分を布で覆う。外套越しに伝わる冷気は鋭く、路地の壁は氷のように冷たかった。
雪が薄く積もる石畳の上を進んでいくと、昨日見かけた姉妹の姿があった。二人は身を寄せ合い、薄い襤褸布一枚で寒さを耐えている。
動くたび、擦れた布の下から痩せた腕や足が覗き、皮膚には赤黒い斑点が無数に浮いていた。
ヴェゼルはゆっくりと歩み寄った。
近づけば近づくほど、姉妹から漂う匂いは、汗と汚泥とその他の臭いも混じって、鼻を刺すような重さがあった。
肌には無数の虫刺されの跡があり、小さな赤い点や腫れが体中に散らばっている。掻き崩した跡もあり、寒さと痛みで手が震えているのがわかった。
頭髪にはシラミらしき白い粒がいくつも見え、昨日見たとおり、姉の顔の右半分は皮膚病で大きく爛れ、その爛れは頭皮にまで広がって髪が抜け落ちていた。真冬だというのに、二人は布切れ一枚を縛りつけただけの格好だった。
ヴェゼルは声色を極力柔らかく保ちながら問いかけた。
「ねぇ、君たち。家はどこなの? 案内してくれない?」
その問いは唐突だったのだろうか。声は柔らかいが姉妹にとっては心の奥の傷を突く言葉だったのだろう。姉の少女は驚いたようにまばたきをし、喉がひきつって声が出ない。
エコニックがそっと膝をつき、姉妹と同じ高さで目を合わせた。その仕草には、聖女としての気品よりも、誰かを包み込もうとする静かな優しさが滲んでいた。
「あなたがたのおうちはどこ? ご両親は……いらっしゃらないのかしら。私たちは、あなたたちを助けたいの」
姉は唇を噛み、かすれた声で答えた。
「……お父さんも……お母さんも……いない。ここに来る途中で……死んじゃったの……」
言葉の終わりは震え、ぽたりと涙が落ちた。その涙は雪より冷たく、胸の奥に重く沈んだ。妹も姉の涙に反応するように、小さく肩を震わせて泣いた。
エコニックはそっと二人を抱き寄せ、震える息を落とす。
「ごめんなさい……辛いことを聞いてしまったのですね」
ヴェゼルは姉妹の涙が少しおさまるまで待ち、静かに口を開いた。
「……おうちを見せて。君たちの力になれることがあるかもしれない」
普通はこんな問いをしても、いきなり信じることはないだろう。だが、この姉妹はもう考えることをやめてしまったのか、それともヴェゼルに一縷の望みを託したのか、その言葉を聞くと素直に頷いた。
エコニックが姉妹の手を取って歩き出す。二人は体力がないのか、飢えで足に力が入らないのか、歩く速度はゆっくりだった。雪の上に小さな足跡が弱々しく伸びていく。
ヴェゼルは急かすことなく、その背後を静かに歩いた。その歩みの中で、彼の胸の奥には、冷たい地面とは別種の痛みが広がっていた。




