第386話 襲撃作戦の開始
潜入襲撃作戦は、予想以上に地味で、予想以上に過酷なところから始まった。ヴェゼルはこれから約一週間、徹頭徹尾“穴掘り職人”である。
神殿までの距離を測り、共振位相で土を圧縮して、掘っては収納箱に詰め、そして城門外へ運んで捨てる――これを黙々と繰り返すことになる。
「……領主の息子とは思えん働きぶりだな」とフリードが呟くが、当の本人は土に向き合う背中を丸めたままで返事もしない。
ただ、問題は、ヴェゼル以外の者たちが“待つだけ”になってしまうことだった。そこで彼らはこの作戦の成功率を上げるために、各自が動ける持ち場を作ることにした。
まず、フリードとソニアは主に家周辺の警戒役となる。普段の二人なら絶対に組まないであろう奇妙なコンビだが、敵地の目をごまかすには最適だった。ふたりが猫のシャノンを連れて歩けば、ちょっと年の離れた、ただの散歩中の夫婦か恋人にしか見えない。
ソニアは淡々としており、フリードは妙に照れくさそうだが、兵士たちはまさか“潜入作戦の偵察”だとは夢にも思わないだろう。他に、神殿にも無理のない範囲で偵察してもらうことにした。
次に、エスパーダは神殿内部の情報収集に専念した。彼は本来なら近づくのも嫌なはずの場所へ、昔の信頼できる人脈を活かして聞き込みを行ってもらう――
「神殿の警備交代は第四の鐘。夜間清掃は聖具庫の前から。儀式室は古い鍵、いろいろと癖があるようですね」
「幸いにも教国の最高戦力の一角である、近衛聖職伯とその部下である魔法聖職達は、隣国へ遠征に行っているようです」
すでに今日だけで、小型の地図を何枚も描き上げていた。驚くほどの集中ぶりだった。
一方、プレセアには穴掘りの“補強係”を任せた。ヴェゼルが掘った道を確認し、落盤しそうな壁を支て整える。そして何より重要なのは、ヴェゼルが城門外へ土を捨てに行くとき、必ず同行することだ。
「俺のような子供が一人で城門の外に出ると怪しまれますからね。毎日“薬草採りの姉と弟”が城門外に採取に出かける設定で行きます」
プレセアは妙に楽しげで、ヴェゼルはため息をつきながらも従うしかない。その日からプレセアはヴェゼルのことをフェートンに倣ってか「ヴェゼルちゃん」と呼ぶようになり、いつの間にか甲斐甲斐しくお世話をして、姉貴風をふかすようになった。
ヴェゼルは苦い顔をしていたが、外から見れば、ただ仲の良い教国民の姉弟である。
そしてフェートンは、エコニックの侍女兼、この家の雑務担当として動く。だれよりも忙しそうで、だれよりも筋が通っている。エコニックの身の回りはもちろん、掃除、食事、外出の段取り――すべて彼女が仕切った。
そのエコニックは、ヴェゼル達が城門を出入りできる通行証を用意してくれた。聖女の発行する通行証だと目立つので、フェートンの侍女達が持つ普通の通行証を2枚手配してくれた。この通行証があれば、日を跨ぐことがなければ聖都を出入りができるらしい。
また、エコニックは将来を見据えて“信頼できる同調者”を探す役目が任された。だが、今回の襲撃計画の全貌を口にするわけにはいかない。そして、麻央克、彼女は今は体調不良の設定になっているので、行動は必要最小限に制限されていた。
聖都内を変装して慎重に歩き、信頼できるものにのみ相談し、そして人々の顔色を読み、わずかな不満や歪みを敏感に拾い上げていく。
「……この人は無理そうですね。けれど、あの司祭は、少し気持ちが揺れているようです」
そんなふうに呟きながら、彼女は慎重に、静かに、仲間候補を見極めていった。
そして、その陰で、ひとつ小さな変化が起きていた。
あまりにもヴェゼルが穴掘りにかかりきりで、ほとんど構ってくれないせいか、ルドルフがその日から妙にシャノンと一緒にいる時間を増やし、何かを試すような素振りを見せるようになったのだ。
その違和感に気づいたのは、数日後だった。
いつものように穴を掘るため、地下へ向かおうとした瞬間、ヴェゼルはふと足を止めた。先ほどまで、すぐ傍に感じていたはずのルドルフの気配が、消えている。
「……?」
周囲を見渡しても、姿はない。
おかしいと思い、ヴェゼルは目を閉じ、神経を研ぎ澄ました。すると――なぜか、自分の“背後”から、うっすらとルドルフの気配が伝わってくる。
目を開け、振り返る。だが、そこには誰もいない。
もう一度、目を閉じる。やはり、背後だ。それを何度か繰り返したところで、背中側から、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。
誰だ、と考えるまでもない。その声色は、どう考えても――
「……ルドルフ?」
問いかけると、背後から可愛らしい犬の声で「ワォン」と返ってくる。だが、振り返っても、やはり姿は見えない。
「……ルドルフ!」
少し語気を強めた瞬間だった。ヴェゼルの影が、わずかに揺れ、そこから、にゅっと顔が突き出てくる。
『寂しいから、シャノンに教わった、ヴェゼルの影に入った!』
嬉しそうにそう言って、続けて目を細める。
「ヴェゼルの匂い、いい匂い、落ち着く」
ヴェゼルは一瞬言葉を失い、それから小さく苦笑した。叱る気にもなれず、ただ額に手を当てる。
こうして、地下では穴が伸び、地上では見えぬ網が張られ、そして影の中では、小さな魔物が密かに主の背に寄り添っていた。そして、気づくとその影の中の気配が二匹に増えている。
成功率を一分でも上げるための、一週間。
それは、静かで、地道で、しかし確実に運命を動かす準備期間だった。
こうして、一見ばらばらに見える行動は、やがて一本の筋となって神殿潜入へ向かう布石となる。ヴェゼルの掘る穴はゆっくりと神殿へ伸び、地上では仲間たちが目に見えぬ網を張っていく。
成功率を一分でも上げるための、一週間の地道な準備であった。




