第374話 道中での遭遇14
そして、その日の夕餉は、遠征の疲れが薄く立ちのぼる中で、それでも張り詰めた空気が一同の周囲に静かに沈んでいた。
焚き火の鍋では魔物の肉と野菜の煮込みがふつふつと泡を立て、立ちのぼる湯気が夜気のなかで淡く揺れてゆく。その温もりとは裏腹に、フリードとヴェゼルの視線には、避けがたい未来の影が差していた。
二人の中では、教国の総主教と風の精霊を討つことは、もはや揺るぎない前提となっていた。だが、その先に待つ“後始末”については、さすがのフリードも楽観できなかった。
当初は、怒りのままに首脳を斬り捨てれば、高位聖職者たちが勝手に権力闘争を始めるだろう、と半ば投げ捨てるように考えていた。
だが、エコニックから聞いた民の現状は、その横暴を許すにはあまりに重かった。民の苦しみだけは避けたい――民思いの彼には、それがどうしてもできなかった。
「……万が一、俺がしくじって死んだ時だがな。バーグマン殿に協力を仰げと伝えてある。最悪、領民が幸せになるなら、ビック領がヴェクスター領に併合される形になっても構わん。と、オデッセイには出立前に告げといたぞ」
焚き火の影の奥でフリードがそう洩らした時、ヴェゼルの眉がわずかに揺れた。
父は冗談めかして笑ったが、その声音には武人としての覚悟が隠しようもなく滲んでいた。
周囲ではエコニック、フェートン、プレセア、ソニアの四人が、ただ静かに耳を傾けていた。内容が重すぎるので、軽々しく言葉を挟むことはできない。焚き火の炎が彼らの横顔を照らし、その沈黙すら緊張の一部と化していた。
その一方――焚き火の向こうだけは世界が別であった。
夜になって大きな姿になったサクラが、犬と猫と本気のじゃれ合いを繰り広げ、「そっちの皿の肉が大きくてずるい」「いや、そっちは数が多いじゃないか」と肉の奪い合いをし、最後にはふわふわパンをもっと寄越せとヴェゼルにねだっていた。
「……サクラ、少し静かにしてくれよ」
ヴェゼルが穏やかに注意すると、サクラはあからさまに頬を膨らませ、今ではすっかり仲の良いプレセアのもとへとふてくされたように身を寄せ、頭を撫でられて満足げに目を細める。
ソニアはこの隙とばかりにシャノンを膝に抱え込み、シャノンは丸くなって食後のひとときを味わっている。取り残されたルドルフは周囲を一度見渡したのち、結局ヴェゼルの脇へと寄り添い、静かに座り込んだ。
だが、日常の喧噪は、やがて再び戦と今後の影に押し流された。
フリードとヴェゼルが教国の首脳を討った後のことを話し合っていると、いつの間にかエスパーダがそこに加わり、さらにはエコニックも姿勢を正して耳を傾けていた。
――総主教と風の精霊、その二柱が倒れた後、教国はどう動くのか。
それを知った他国はどう動くのか。そして、この大陸全体は、どんな均衡の変化を見せるのか。それは、剣を交えるよりも難しい政治の大嵐の話題であった。
沈黙を最初に断ち切ったのは、白湯の湯気をふっと散らしながらコップを置いたエスパーダであった。焚き火の炎が彼の横顔に影を落とし、その眼差しは厳しく、それでいてどこか憂いを含んでいた。
「……総主教と風の精霊様が倒れれば、教国は必ず混乱します。他国はその騒乱を好機と見て圧力をかけてくるでしょう。そしてその犠牲を最も受けるのは――他ならぬ教国の民です。だからこそ、総主教が倒れた瞬間に“新たな指導者”を立てねばならないのです」
焚き火がぱちりと爆ぜ、ヴェゼルもフリードも無言で頷いた。
だが、その次に浮かび上がる問題こそが厄介であった。自分達のような余所者が教国の未来を考えるのは、傲慢ではあるのだが、誰を後継者に据えるのか――その一点で、場の空気が静かに沈む。
エスパーダは続けた。
「私たちが何も決めずに国を去れば、教国は再び高位聖職者の思うままの国へと戻ってしまうでしょう。総主教代理はエコニックさんの父、タンドラ様ですが……国民からは“総主教の忠犬”と呼ばれています。本来は清廉で、アトミカ教全体の中でも収納魔法研究の第一人者であり、国を背負える人物だと私は思っています。ですが、民意は理では動きません。民が信じられぬ者が上に立つことは、今の教国には許されないのです」
そこまで淡々と述べた彼は、ふと視線を落とし、小さく苦笑した。
「そして、私も候補にはなれません。破門されていますし、総主教から勘当された身です。事情を知らぬ民や末端の聖職者から見れば、私はただの裏切り者にしか映らないでしょう」
その声音には、己の運命を嗤うような薄い影が差していた。
自然、皆の視線が焚き火の向こうに座る一人の女性へと向かう。
エコニックは驚きに目を瞬かせ、しかし次の瞬間には焚き火の炎の揺らぎを映すように、瞳の奥が揺れた。
「……わ、私、でしょうか? 私が……教国の……?」
エスパーダは静かに頷いた。
「あなたが最も民に愛されている。そして教国と民を案じる心は、誰よりも深い。私は、あなたが幼い頃から、将来この国を支える教育を施してきたつもりです。教国を立て直すには……あなたしかおりません」
焚き火が静かに赤く揺れる中、エコニックはひとつ息を吸い、姿勢を正した。その動作は、少女ではなく、一つの国を背負おうとする者のそれであった。
「……もし、それが教国の民のためになるのなら。たとえ茨の道でも、歩みます」
その言葉は、場に柔らかな安堵を生んだ。




