第373話 道中での遭遇13
朝の光が差し込む中、馬車の状態を確認した。
横倒しになった馬車は盗賊の襲撃の痕跡を残していたものの、思ったほどひどくはなく、フリードの”日曜大工レベル”の技術でなんとか修理が可能だった。外観の汚れや傷も、皆で磨き上げれば遠目に見れば問題はなさそうだった。
問題は、出発前に起きた騒動だった。御者席に座るのはフリード、エスパーダ、そして“しぶしぶ”ルドルフに決まったのだが、この“しぶしぶ”に至るまでが長かったのだ。
馬車の中に乗りたいのは、ルドルフもシャノンも同じであった。理由も同じだった。
――「御者席は男臭いから嫌」「寒い」「ヴェゼルと一緒がいい」さらに二匹はニャンニャン、ワンワン説明する。
ルドルフは『ヴェゼルの膝か隣じゃなきゃ嫌』。
シャノンは「無理ならソニアの膝の上がいい」などと言い始めた。
この言い争いを横で聞いていたフリードが、なぜか“ほんの少し傷ついた父親の顔”をしたのは謎である。
フリードがルドルフに視線を向ければ、ルドルフはビクッと震えてヴェゼルの背に隠れる。
先日フリードに唐突に抱き上げられたのが軽いトラウマになっており、どうやら“フリードの父性”に苦手意識が芽生えたらしい。
「乙女かよ」ヴェゼルが呟くと、ルドルフの耳がぴくりと震えた。
一方エスパーダは、こうした賑やかさなど完全に無関係とばかりに淡々としていた。
「どちらでも良いので早く出発したいです」そう述べたが、その“現実的な願い”が通る気配はなかった。
結局、ルドルフとシャノンの口論は泥沼化した。
「俺の方が体が小さい」
「フリード、隣、嫌」
「ヴェゼルのそばがいい」
「外は寒い」
「犬は寒さに強いだろ」
「猫は寒さ苦手なんだ」
「そもそも、上位種の魔物、寒さ関係ない」
などという議論に発展し、誰の得にもならない時間が過ぎていった。
そこでヴェゼルが、現代の文明の利器――“じゃんけん”を授けた。
「グー、パー、チョキだよ」と説明されて、二匹はしばらく自分の前足を見つめて固まった。
するとシャノンが真顔で言った。
「……俺たち、グーとパーはできるけど、チョキは無理!」ヴェゼルはニヤリと笑う。
「じゃあ足を使えばいいだろ」と提案した。
足を広げると“パー”、直立で“グー”、前足と後足を前後に開いて“チョキ”とみなす苦肉の策が導入された。
ルドルフとシャノンは、前代未聞の“全身じゃんけん”を披露し、最終的に、ルドルフのほうが体格が大きく、足の振り幅も大きいせいで負けるという結果になった。
ルドルフはしばらくグズグズ言っていた。
「だったら、お前を抱っこして御者席に運んでやろうか?」
フリードが何気なく言った言葉に、風のような速度で御者席の端へ移動したのだ。
結局、ルドルフは右端に載ったので、その隣にエスパーダが座るとわかると、フリードがまた少しさみしそうな顔になった。
こうして、どうでも良いことで消えた朝の時間。日頃穏やかなエスパーダでさえ、低い声でこう言い切った。
「……時間を取りすぎました。すぐに出発します」
あまりの静かな圧力に、全員が背筋を伸ばし、馬車はようやく動き出した。
出発したは良いけれど、馬車の中もそれなりに問題があったのだ。中の座席は、エコニック、フェートン、プレセア、ソニアでぴっちり埋まってしまっている。
結果、一番体の小さいヴェゼルは――順番に膝の上に乗せられながら旅をすることになった。
「ヴェゼルさん、そんな顰めっ面しないでくださいよ。エコニックさんとフェートンさんが、緊張してるんですから」
プレセアが肩をつつきながら言うと、ヴェゼルはぷいっと顔を背けた。唇はへの字、頬はムスっとして、完全に“納得してません”を表現している。
「ヴェゼルさん、普段は優しいんですよ。それに喋らなければ、ほら、こんなに可愛いんですから」
言いながらプレセアは、ヴェゼルを前の席に座っているフェートンの膝へひょいっと乗せる。
抵抗しようとしたヴェゼルだったが、その瞬間――
ヴェゼルの表情が固まった。フェートンの胸部装甲が、思っていた以上に、ふわっとした……弾力……。
頭を後ろに倒すと、バイン。試しにもう一回、バイン、バイン。
ヴェゼルの脳が理解を放棄した。
思考が「ま、まぁ、このままでもいいか」と言う言葉で埋め尽くされ、とりあえずは現状を楽しむことにした。
フェートンは困惑したように微笑む。「だ、大丈夫ですか……?」
プレセアは気にせず頭をなで始めた。
エコニックも興味深げに手を伸ばしたが、ヴェゼルの目線が“じろり”と向いた瞬間、条件反射でビクンッと肩を跳ねさせて手を引っ込めてしまった。
プレセアが言う。「ヴェゼルさん、威嚇しないでくださいってば~」
「威嚇してないし!」思わず語尾が強くなるヴェゼル。
しかしその姿がまた子犬のようで、フェートンは思わずクスッと笑った。
「ふふ……かわいいですね、こういうの」
ヴェゼルが反論しようとすると、フェートンの胸部装甲がまたバイン……と揺れ、ヴェゼルは再び沈黙した。
プレセアは強引にエコニックの手を取り、ヴェゼルの頭をなでさせる。
「サラサラな髪……」
呟きながらエコニックは手を動かした。ヴェゼルも口を尖らせたまま、どうすることもできず、されるがままになる。
「ねぇ、エコニックさん、ほっぺも触ってみて。ほら、スベスベなの」
恐る恐る触れたエコニックに、ヴェゼルはすっかり無表情。女子たちの攻勢に抗う力はもはやゼロである。
その瞬間、ヴェゼルの胸ポケットからサクラが飛び出した。口にクッキーをもぐもぐ詰め込みながらである。
それを見てプレセアが語りかける。「サクラさん、また食べてますね? そのクッキーはいつもどこから……?」
サクラはヴェゼルが左手に握る小さな収納箱を指差す。そしてやっとクッキーをが食べ終わった途端みんなに喋りはじめた。
「ヴェゼルの収納箱には、お菓子がいっぱいなの! 私専用だけどね!」
ソニアが小声で呟く。「私も甘いもの食べたい……」
フェートンも同調する。「私も……甘いものは大好きです……」
ヴェゼルはため息をつきながら収納箱を突き出す。
「エコニックさん、両手を合わせて上に」
従うエコニックの手に、ヴェゼルが収納箱からクッキーを次々と出すと、女子たちは歓声を上げた。サクラだけが悲しそうに呟く。
「私のお菓子が減る……」
エコニックは一見怖そうだが、触ってみるとスベスベの髪と肌、そして子供の甘い優しい匂いが漂う。クッキーを配るそんなヴェゼルを見ながら、何気なく好印象を抱いてしまう。
「……出会い方が違えば、もっと早く仲良くなれたかもしれないのにな」
誰にも聞こえないようにつぶやいた。少しだけ、心がほんのり温かくなる――そんな朝のひとときであった。




