第363話 道中での遭遇03
フリードが顔を歪めたにも関わらず、サクソが話しを続けた。
「なにせ、お前が冒険者になりたての頃だ。背中が震えていたのも、足運びが迷子になっていたのも、俺は全部、この目で見てきたんだぜ。だからよ……お前の次の一手も、その呼吸も、考えていることすら、手に取るようにわかるぜ?」
周囲の盗賊たちがざわつく。フリードの強さを知っていてもなお、今の均衡は、彼らの理解を越えていた。
そのときだった。
そして、サクソが槍を低く構え、踏み込みの重心を前に移したその瞬間だった。ヴェゼルの唇が、ほとんど音にならないほど低く動く。
「……収納。左肘」
空気が歪み、次の刹那、サクソの左肘から先がぼとりと落ちた。そこには、本来あるべき肉体の代わりに、虚ろな空間と赤い血の飛沫が飛び散る。
「な……っ!」
悲鳴の前に、驚愕が先に込み上げた。サクソは周囲を見渡し、すぐさまヴェゼルを見つける。
「何をしやがった! 一対一の勝負に横から入ってくるとは……ずるいじゃねぇか!!」
ヴェゼルは、冷え切った眼差しでそれを見返した。剣を構えたまま、淡々と告げる。
「盗賊に“ずるい”などと言われるとは呆れますね。あなたたちは襲う前に、相手に断りを入れたことがあるんですか? ……父さん。とどめを刺さないのなら、俺がやりますよ。さっさと片付けて先を急ぎましょう」
その声に、サクソの片目が細まる。
「……なるほどな。フリードの息子か。血は争えねぇらしいなぁ」
歯を剥き出しにして笑うと、残った片手で槍を握り直し、それを渾身の力でヴェゼルに投げつけた。同時に、短い詠唱が空気を焼く。
掌に火が集まり、燃え盛る球が形を成す。
「ならよぉ――どんな手を使っても、相手を殺せばいいだけだろうがっ!」
だが、ヴェゼルは眉ひとつ動かさない。その槍を見据えたまま、静かに呟く。
「……収納。火球」
生成されたばかりの火球は、弾けることなく虚空へと吸い込まれ、まるで最初から存在しなかったかのように消失した。
続く言葉は、さらに低く、冷たかった。
「……収納。両目」
ぎこちなく瞬いた次の瞬間、サクソの視界が闇に沈む。何が起こったのか理解する前に、彼の喉から獣のような叫びが漏れた。両目が抉られたその場所は、空虚な空洞になり、そこから血がとめどなく噴き出してくる。
「ぐ……ぁああああっ!!」
のたうつ体に追い打ちをかけるように、ヴェゼルの声が重なる。
「収納……両膝関節」
地面を踏みしめていたはずの足の関節が消え、崩れ落ちた巨体は雪の上で、もがくしかなくなる。もう動かない左手と両足がサクソの体の脇に無惨に転がっている。ただ、呻くだけの肉塊に成り果てた。
それを目の当たりにした盗賊たちは、悲鳴に近い声を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
だが――
ヴェゼルの視線が、静かに逃げる盗賊をなぞっていく。
「……収納。心臓」
ヴェゼルが言葉を紡ぐ度に、逃げ出した背がひとつ、ひとつと動きを失い、雪に崩れ落ちていく。糸の切れた人形のように。
聖職者の女と侍女は、言葉を失ってその光景を見つめていた。冷たい空気の中で、彼女たちの吐く息だけが、白く震える。
そして――
ヴェゼルだけが、何の感情も浮かべぬまま、静かに立ち尽くしていた。
その雪原は、生者と死者の境を曖昧にするほど静かだった。
その雪の風景の中で、ただ一つだけ狂気じみた動きがあった。その周囲だけは赤い血が広がる。そしてその上でのたうち回る、右腕だけの肉塊──サクソの成れの果てだ。
指先だけで雪を掻くように動き、周囲も見えないもはずなのに、なお「生」に縋るかのような呻きが漏れていた。
ヴェゼルが視線を父フリードへ送ると、フリードは短く息をついてから踏み出し、かつての仲間へ低く言い放つ。
「……昔、世話になったからな。最後くらいは、楽にしてやる」
その言葉の直後、迷いのない一突きが胸板を貫き、サクソはようやく“ただの死体”へと戻った。
後ろを振り返ると、馬車のそばに取り残された聖職者と侍女が、両者とも目を見開いたまま呆然と立ち尽くしていた。侍女の膝はすでに雪へ崩れ落ち、震えた足元には粗相の跡から湯気が立ち上っている。
聖職者──エコニックは、しばらく凍りついた像のように立っていたが、ようやく意識を取り戻すと、まず倒れ伏す兵士たちへ歩み寄った。
雪の上に六体並んだ亡骸を前に、祈りの言葉を小さく唱える。しかしその身体は細く、兵の一人を動かそうとしても腕が震えるばかりで持ち上がらない。
そんな彼女の背へ、フリードとヴェゼルが近づき、フリードが声を落とした。
「手伝おうか」
その瞬間、エコニックはようやく二人へ向き直り、「助けられた」という事実すら今の今まで忘れていた己に気づいたのだろう。返り血に濡れた二人の姿に息を呑み、慎ましく頭を下げた。
「私は……教国の聖務を預かる者で、エコニックと申します。命を救っていただき、本当に……感謝いたします」
その名を聞いた刹那、ヴェゼルの目に張り付いた鋼の光が、すっと鋭さを増した。
「教国の聖務を預かる者、ね。──聖職者か。なら、残念だが……せっかく助けたけど、お前には死んでもらう」
左手の収納箱を静かに掲げると、その動作だけで場の空気がひどく軋んだ。




