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第328話 襲撃02

夜の気配を切り裂くような咆哮が、ホーネット村の防壁の向こうで微かに揺れた瞬間、闇に紛れる無数の赤い光点が視界を覆った。


腐臭を纏ったグールの大群が村の正面に押し寄せ、ざっと見渡すだけでも千を超える数に思えた。


村の兵士たちは絶望に呆然と立ち尽くしていた。


しかし、その背後にはさらに恐るべき存在――黒い風を纏った竜狼種、ネクロウィンドルフが姿を見せ、鋭い目で防壁の向こうの光景を観察していた。


その異様な光景に、兵士たちの表情は凍りつき、声も出せずに立ち尽くす。ガゼールもまた、僅かに唇を噛み、心の中で「これは……普通じゃないな」と呟くしかなかった。


その時、防壁の階段を駆け上がる音が夜気を切った。颯爽と現れたのは、フリードだった。


肩に剣を担ぎ、もう片手は腰に手を当てて群れを睨み据えたその姿は、冒険者時代の戦場さながらで、闇に紛れた恐怖を軽く打ち払うかのような威圧感を放っていた。


「おぅ!来たなぁ……ずいぶんと派手にお出ましじゃないか。見渡す限りの魔物の群れだ!」


その声は、夜の静寂を切り裂き、緊張で硬直していた従者たちの表情を徐々にほぐしていく。


フリードは目を輝かせ、続けて笑うように叫んだ。


「ははっ、壮観だな! 腕が鳴るぞこれは! よし、みんな! 手柄の立て放題だぞ! 俺たちの家族のために踏ん張らないとな! 誰一人死ぬんじゃないぞ!」



その言葉に呼応するように、緊張の糸が弛緩していく声が伝播していった。


「そうだな、娘のために奴らを倒さねば!」


「おう、一匹たりとも通すわけにはいかん!」


「あんな腐った狼ごときに遅れを取るわけにはいかない!」


「一匹でも中に入れたら母ちゃんにまたケツを叩かれちまう!」


小さな叫びがやがて力強い合唱のようになり、防壁上の空気を一変させた。


駆け足の音とともにグロムも現れる。村長や自警団への報告を済ませたあと、彼もまた防壁へと駆け上がった。


さらに、工事に参加していた工兵見習いの二十名がツルハシやスコップを握りしめ駆けつけた。


剣に慣れた者もいるが、いまは手に馴染んだ道具こそが武器だった。


フリードは目の前に集まった仲間たちを見渡すと、胸を張って大声で笑う。


「はっはっは!ツルハシとスコップか! 持ち慣れたものの方がいいかもしれんな! 俺は持ち慣れた鍬で戦うとするか!」


「フリード兄貴…強がりはほどほどにしてくれよ」とグロムが声を潜めて言うが、フリードは耳を貸さず、むしろ楽しげに胸を張った。


目の前の景色は、かつての冒険者時代と変わらぬ戦場そのものだった。


「いいか、みんなよく聞け! グールは斬っただけじゃ止まらんぞ。核を叩き壊せ。聖魔法なら一撃だが、使えるのは俺だけだろう。俺は聖魔法を剣に纏えるからな! だからお前らは防壁から弓と石で援護しろ。俺とグロムで突っ込む。安心して俺たちに任せとけ!」


フリードの掛け声に、仲間たちの心は一つにまとまった。


「了解だ」とグロムが短く答え、二人は夜の荒野へと駆け出す。


防壁の門が軋む音と共に開き、その隙間から勇敢に踏み出す姿は、まるで嵐の先陣を切る旗のようだった。


「俺たちは百対五千を退けたこともあるんだ! 自信を持て! 腐った狼なんざ大した相手じゃないぞ!」


グロムが、感情を押し殺しつつも小さく笑った。


「フリード兄、俺たち兄弟で先駆けを任されるとは、武門で鳴るビック家の誉だな……でも、俺は先日結婚したばかりだ。コンテッサの笑顔を見に必ず生き残って帰るからな!」


その言葉にフリードは大笑いし、肩を叩いた。


「それ、ヴェゼルが言ってた“旗が立つ”ってやつだぞ! ははは! まぁいい、お前も含めて全員、俺の領民だ。皆を守るからな! よし、行くぞ!」


そして防壁を飛び降り、夜の荒野へ突き進むフリード。背後からグロムがぴったりと付き従う。


接敵した瞬間、戦場の空気は張り詰め、フリードの身体が淡い光に包まれた。聖魔法――《身体強化》。己の肉体を極限まで底上げする稀有な魔法が発動した瞬間だった。


剣が振り下ろされるたびにグールの身体は砕け散り、腐肉が飛び散る。フリードには核など関係ない。


拳で殴り、足で踏み、握力で叩き潰す。縦横無尽に駆け抜け、敵を薙ぎ払うその姿は、まさに無双の光景であった。


ネクロウィンドルフの傍らで待機していたクルセイダーたちも、呆然と息を呑むしかなかった。


しかし、冷静な敵――ネクロウィンドルフは驚きはしない。あの者の闘気なら、ここまでのことは予測の範囲内である。


グールはあくまで陽動に過ぎず、別働隊のファンググールが森側を回り込み、防壁の未完成部分を攻める。


そして、ジルフと冒険者に扮したクルセイダーが領館を襲い、サクラを拉致するか排除してしまえばそれで作戦は成功だ。


いち早く察知したのはグロムだった。


「フリード兄、一部の群れが右の林から回り込む気だ。未完成の防壁を狙ってるぞ。俺が行ってくる!」


言い終わるや否や、グロムは防壁の側面に駆け出す。


ガゼールは防壁の上から敵の動きを見極め、心の中で呟く。


「まずいな……あそこはまだ防壁が低いな。持ちこたえられる時間は短いぞ」


フリードが叫び声を上げて工兵見習いたちに指示する。


「敵が右側の林を抜けてくる! 防壁の薄い部分に集中しろ! 守るだけだ! 決して攻めるなよ!」


 一人の従者に伝令も走らせる。


「ヴェゼルに、右からグールが侵入するかもしれないことを伝えろ。ヴェゼルなら何とかしてくれる」


従者は力強く頷き、領館へ向かって駆け去った。


夜は再び静寂に包まれたが、戦場はまだ、嵐の前の張り詰めた空気を湛えていた。


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