第324話 プレセアとソニア
まだ日も高いうちに湯気が薄く残る客室の空気を吸いながら、プレセアとソニアは二人並んでベッドに腰を下ろしていた。
湯から上がった二人の髪はまだ少し湿り、冬の夜気に触れた素肌が微かに冴えていた。温かい湯に浸かって身体がほぐれ、肩の力が少し抜けた。
侍女に頼んで、二人を同室にしてもらったのは正解だった。少しだけ緊張が残る中、
こうして二人きりで座ると、互いの息づかいや小さな仕草まで目に入って安心する。
「やはり……受け入れてもらえたけれど、警戒されてるようね……」
プレセアが柔らかく息を吐きながら、ソニアの肩越しに視線を投げる。
言葉の端々に、わずかに不安と観察の鋭さが混ざる。
ソニアは無言で軽く頷く。彼女のその動作だけで感情はあまり表に出さない。
プレセアは続ける。
「この領館に泊まれって誘われたのは……もちろん好意もあるでしょうけど、同時に見極めや監視の意味もあるのよね」
その言葉に、ソニアは少し眉を寄せてから、静かに皮肉混じりに言う。
「客観的に見れば……フォルツァという遠い国から、この季節に女性二人だけで旅するなんて、逃げてきたのか、密偵や暗殺者か、それか世間知らずのお嬢様くらいしかいませんよ」
その声色には、冗談めいた響きがありながらも、慎重な観察の影が確かにある。
「悪かったわね! ソニアも巻き込んじゃってさ」
プレセアは軽く笑い、両手を広げながら肩の力を抜いた。
「でも、この領とか、あのヴェゼル君を自分の目で見極めたかったのよ」
その目には好奇心と真剣さが混ざっている。ソニアはくすりと笑いながら尋ねる。
「物好きですね……で、どうでした? ヴェゼルさんは」
プレセアは頬をわずかに赤くして言う。
「胸を平坦とか地平線とか言って、ソニアの胸で失神してたエロガキよ?」
ソニアは軽く吹き出し、肩を震わせた。そこにほんの少し、緊張の解けた空気が混じる。
「でも……あの時の『水蒸気爆発?』
あれは本当に驚いたわ。多少魔法は使ってたようだけど、魔法とは根本的に違う何かよね?」
プレセアは手を胸の前で組み、遠くを見つめるように目を細める。
「その場で思いついて、即座に実行するなんて、普通の子供には、と言うか大人でも無理よ。巷ではハズレ収納魔法使いとか言われてるけど、あのグールの群れの対応を見ただけでも、噂にあったクルセイダー300人が一瞬で殲滅した件、きっとそれをやったのも、ヴェゼル君だと思うわ。それにサマーセット領との戦争の時、少数で敵の本陣に突入して敵の総大将を捕縛して、100対5000の戦争を終わらせたって話も、……鬼謀童子ってやつ、あの噂もあながち嘘じゃないのかもしれない……」
言葉に力が入り、思わず前のめりになるプレセアに、ソニアはそっと視線を向け、眉を上げた。
その目には驚きや敬意が混じるが、表情にはあえて出さない。
「ただ……スケコマシっていうのは、本当みたいね……ソニアの胸をたいそう気に入ったようだったわね……」
プレセアは口元を引き結び、小さく溜息をつく。そして、毛布を膝に巻きながら、隣のソニアをちらりと見た。
「ソニア、あの時のこと……どう思ったの?」
ソニアは髪をかき上げ、湯気の残る肩に手を置きながら答える。
「あのグールの群れに襲われた時、本来であれば、グールを押し付ける形になった私たちに普通は悪意をもつはずですが、それがなかった。突然グールの群れを押しつけられて、命の危険があるのに、あの場であっても理性的に私たちとグールに対処しました。まず、それが尋常ではありません」
プレセアは眉をひそめ、身を少し前に傾けてため息をつく。
「だよね……クソガキだけど、あの対応はとても子供の対応じゃないわよね。私よりも年上だったら、コロッといっちゃってたわよ」
ソニアは肩をすくめながら、ちょっと含み笑いを浮かべて言う。
「……ええ、確かに。でも、プレセアを怒らせるつもりはなかったんでしょう。というか、そもそもがヴェゼルさんの頭を撫でたり頬をつついたり、子供扱いしすぎたからじゃないですか?」
プレセアは顔を赤らめ、ちょっとどもりながら反論する。
「だって、ヴェゼル君、私のドストライクだったんだもの! もう少し大人になれば……。昔から可愛いものを見ると、ついつい愛でたくなっちゃうのよ……」
ソニアは苦笑いを浮かべて、そっと呟く。「それじゃあ、自業自得じゃないですか……もう、笑うしかないですね」
「でも、それ以上に……あの子はただの子供じゃないですね。判断力も行動力も、ちょっと常人離れしてますよね。それだけは認めざるを得ません」
プレセアは顔をしかめながらも、思わず言葉を紡ぐ。「そうね……褒めるならその部分を褒めるしかないわね」
ソニアは静かに頷く。
「ヴェゼルさんはあの時、逃げるでもなく恐れるでもなく、グールの群れをどうやって排除するかすぐに考えたようです。そして、慌てることなく対処した。はじめに魔法で何かしようとしたようですが、それは失敗したようですね。その後、一度剣に手をかけました。ということは、剣の心得もあるのでしょう。その後、私たちに『十秒待て』と言い、そしてあの水蒸気爆発です」
「……あれはすごかったわね」プレセアが息を呑む。
「魔法も使ったんでしょうけど、それとも違う何か、それは分からないわ。そもそもあんなことを咄嗟に思いつくなんて普通の子供じゃありえないわよ」
ソニアは淡々と続ける。「グールを殲滅したのに、喜ぶこともなく、さも当然のように佇む。あれは、まさに王者の風格です。あの年であの態度。私は、自分の主をついに見つけたのではないかと思ってしまいました」
プレセアは小さく笑いながらも、眉を寄せて毛布を握り直す。「あなたは冷静ね……でも私は、あの胸の発言は許せないわ!」
「胸のことは……まあ、置いておきます」ソニアは無表情で微かに口元を緩める。豊満な自分の胸には特に無関心で、プレセアの怒りを不思議そうに見ていた。
「ええ、普通の大人でもあんな判断は瞬時にはできません。あの冷静さ、理知的な勇気、そして配慮。戦闘の後、私たちを叱ることもなく、馬橇でここまで連れてきて、宿まで心配する。大人でも難しいことです」
「……なるほど、ソニアもあの時の動き、理解してたのね」
プレセアは少し体を寄せ、ソニアの肩に触れながら言う。
外の雪は静かに降り続き、暖炉の火が赤く揺れる。二人の間には微妙な緊張と静かな理解が漂い、視線や呼吸のわずかな動きも互いに伝わる。
プレセアは小さく吹き出した。「でも、やっぱりクあのソガキ……何か持ってるわよね」
「……ええ、確かに」ソニアはぽつりと答える。少ない言葉でも、胸の奥の感情は確かに伝わる。
二人の視線が交わり、外の冷気も暖炉の火も、二人だけの世界に柔らかく溶け込んでいく。戦闘の緊張がじんわりと解け、ベッドの上で穏やかな夜の時間が静かに流れた。




