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第308話 ヴェゼル駆ける03

 アビーは暖炉の前で眠るヴェゼルへ掛け毛布を整え、ずっと付き添っていた。ランツェが静かに入ってきて頭を下げる。


「バーグマン様がお呼びです」


アビーは渋々席を立つ。ランツェは、アビーの侍女でありながらも、ヴェゼルが好きで仕方ない。それを知っているからこそ、念押しした。


「絶対にヴェゼルに手を出さないでね!」


ランツェは、ぱっと尻尾を立てたまま「もちろんです」と言うが、ちらっと振り返れば、既にベッドとの最短ルートを考えて布団に潜り込む気配を出しているように見える。アビーは目で釘を刺す。


「本当に。絶対だからね!」


そして扉を閉め、応接間へ向かった。


暖炉の前では、風呂上がりのサクラが、精霊になった体でクッキーを両手に持ち、頬をいっぱいに膨らませて、まさに貪り食っていた。バーグマンは少しだけ呆れたように言う。


「妖精殿が夜は大きくなるとアビーより聞いておったが……本当に大きくなるんだのう」


サクラは頬いっぱいにクッキーを詰め込みながら、ドヤ顔で小指を立てた。


「私に惚れちゃいけないわよ! 私はヴェゼルのこれなの!」


アビーもバーグマンも、その表現が恋人の意味のサインなのだろうとは察したが、詳細まではよくわからず、苦笑するしかなかった。サクラはヴェゼルはもう安心だ、今は寝てるだけだとバーグマンに聞いていたので、風呂をゆったりと満喫し、バクバクとお菓子を食べ、暖炉前でほっこりしていた。


アビーは間を置き、サクラへ視線を向ける。


「サクラちゃん、なぜヴェゼルはこの雪の中をわざわざ単騎で来たの?」


サクラはクッキーを詰めたまま眉をひそめる。


「うーーん……私が話すわけにはいかないかも……でもね、悪い話じゃないよ!」


バーグマンはその返しで肩の力を抜いたように頷いた。


 その時、バーグマンの妻テンプター夫人が、アビーの弟オースチンの手を引いて入ってきた。テンプター夫人は丁寧に挨拶し、オースチンもペコリと頭を下げる。


その間も、サクラはクッキーを噛む音だけは一定のテンポで続いている。オースチンは興味津々でサクラへ近寄った。サクラは両手のクッキーを見比べ、ほんの少しだけ惜しそうに、小さい方のクッキーを差し出す。


「……はい……」


オースチンは「あいあと(ありがと)」、と言ってペコリと頭を下げ、にこっと笑って、アビーの隣でそのクッキーを食べ始めた。


そして、暖炉の火だけが、静かにその間を埋めていた。


雑談が小一時間以上続いていた。話題はグロムとエスパーダの結婚式だった。サクラが、その様子を面白おかしく語ると、バーグマンもテンプター夫人も思わず肩を揺らして笑った。


フリードの余興の真似をサクラがすると、オースチンもお尻を左右に振りながら、満面の笑みで真似をする。すると、部屋の誰もが声を上げて笑い、暖炉の火の揺らめきさえ、まるで笑いに合わせてゆらゆら揺れているかのようだった。


そかし、その間もサクラはずっと食べ続けていた。すでに自分で持ってきたお菓子は尽きていたらしく、バーグマンが指示し侍女が次々と補充している。


バーグマンさんが声を張る。「フリードの変な踊り、思い浮かぶようじゃ!」


テンプター夫人も笑いながら、「サクラ様の演技は本当に堂に入っておりますわね」と褒める。


サクラは得意げに胸を張る。その様子にオースチンは目を輝かせ、拍手と笑いで応じた。


そうして笑い声が途切れたころ、再び扉が開いた。ランツェが慎重な足取りで入ってくる。「ヴェゼル様がお起きになられました。じきにこちらへ参られるそうです」


アビーは胸の奥が小さくざわつくのを感じ、そっと手を握りしめる。「大丈夫かしら……」


バーグマンさんは穏やかに微笑み、静かに言った。「心配あるまい。しばし待とう」


暖炉の炎だけが、穏やかにその間を埋める。小さなクッキーのかじる音と、笑い声と、そして静かな期待が混ざり合い、応接間はゆったりとした時間に包まれていた。



ヴェゼルはまだ完全には体調が戻らないのか、体が重そうに応接間へ入ってくる。


手で扉を押し、胸の前で一瞬だけ深呼吸をしてから、ゆっくりと頭を下げる。その背後には、再びランツェが控えていた。まだ緊張か疲れの名残があるのだろう、少年の肩は少し強張っていた。


応接間の空気は、暖炉の炎が静かに揺らめく以外、ひどく静まり返っていた。バーグマンは椅子に深く腰を掛け、腕を組んでその様子を見守る。アビーは隣でそっと膝を正し、言葉を待っていた。


ヴェゼルは一歩進み、視線を上げぬまま、低い声で言った。


「……まずは、無礼をお許しください。突然押しかけたこと……心からお詫び申し上げます」


その声は小さかったが、部屋の隅々にまで届いた。真っすぐな響きだった。


バーグマンは小さく頷き、何も言わずに続きを促した。




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