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第307話 ヴェゼル駆ける02

 日が傾き始めるころ、ようやくヴェクスター領の入り口に到着した。門番の視線が鋭く、問いかけが飛ぶ。


「おい、そこの者! こんな冬の時刻に、子供が一人で通ろうとするとは何者だ?」


確かに、まだ七歳の少年が年末の夕刻に単騎で領内に入ろうとするのは異常だった。ヴェゼルは深く息を吸い、馬の手綱を軽く握り直す。


「ビック領、領主の嫡男、ヴェゼル・パロ・ビックです。火急の用で、私の婚約者であるアヴェニス・ヴェクスター嬢に話があって参りました」


手には家の紋章を掲げる。門番は一瞬息を呑み、声を上げた。


「ビック家のヴェゼル様!……紋章も確かにビック家のもの。通行を許可します。先触れか、同行の者を出しましょうか?」


ヴェゼルは首を横に振る。「大丈夫です」


領内に足を踏み入れると、そこもまた雪に覆われていたが、道はきちんと整備されており、雪かきの跡が見える。


馬を飛ばして駆けたい気持ちは強いが、領内の規則と人々の安全を考え、馬を引き連れて慎重に進む。


冷たい空気が頬を打ち、馬の呼吸が荒くなるたびに、ヴェゼルはその胸を撫でながら励まし続けた。


道の脇では雪に覆われた樹木が静かに佇み、枝先には霜の華が輝いている。日没前の薄明かりの中で、馬の蹄音だけが静かな領内に響いた。


ヴェゼルの胸ポケットには、サクラの温もりが確かに収まり、凍えそうな指先の感覚をかすかに取り戻させる。それだけが、彼を支える小さな希望の光だった。


領内の家々の窓から漏れる橙色の明かりは、寒さの中でも温かさを帯びており、ヴェゼルの胸に焦燥と期待を同時に押し寄せる。


馬を引き、道を急ぐその背中には、冬の冷気に抗う少年の決意が確かに刻まれていた。





小一時間ほどの道のりを歩き、雪深い領内を抜けた先に、ようやくヴェクスター男爵の領館が姿を現した。


屋根や門に積もる雪が、冬の厳しさを容赦なく示している。ヴェゼルは馬を引き、深く息をつきながら門へ向かった。


門番に声をかける。


「ビック領、領主の嫡男、ヴェゼル・パロ・ビックです。火急の用で、私の婚約者であるアヴェニス・ヴェクスター嬢に話があって参りました」


一瞬の静寂。ヴェゼルの顔を覚えていた門番の目が大きく見開かれる。


「ヴェゼル様……!」


驚きと慌てを滲ませつつ、門番は急ぎ領館の中に案内した。廊下の奥、応接間に通され、ヴェゼルは馬の手綱を握り直す。


雪と寒気に震える馬が鼻を鳴らし、白い息を上げる。数分が経ったころ、ドアがノックもなく勢いよく開き、アビーが駆け込んできた。


その後ろからはランツェも驚いた表情で、アビーの後に控える。


「ヴェゼル!なぜこんな時期に……! 同行者や護衛は?」


アビーの声には驚きと不安が混ざる。ヴェゼルは馬の背から降り、凍てつく息を吐きながら、一言だけ告げる。


「アビーに会いに来た。会いたかった」


その言葉とともに、ヴェゼルはアビーを抱きしめる。


アビーは一瞬その腕に身を預けたが、すぐに体を離して顔を覗き込む。その目に映ったのは、あまりに冷え切った少年の頬。赤く裂け、血が滲んでいる。


「冷たい……!」


ここで胸ポケットからサクラがブルブル震えながらも顔をだし、血の気のない顔で話す。


「ヴェゼルがアビーに会いたいからって、朝からずっと飛ばしてきたの。私も付いてきたけど寒くって……」


すぐさまアビーはサクラをそっと両手で抱き抱え、ランツェに渡して、暖かい所に連れて行ってあげて。と、指示を出す。


アビーは今にも倒れそうなヴェゼルの手袋を取り、指先を見る。紫色に変色し、まるで壊死寸前のように見える。


ヴェゼルもそう言われてはじめて足の指も、頬も、彼の体中が感覚を失っていることに気づく。


その瞬間、バーグマンが応接間に入ってきた。


ヴェゼルが来たと聞いていたが、まさか単騎で、しかもこの真冬に――その事実に眉をひそめる。アビーは泣きながらバーグマンに叫ぶ。


「お父様、ヴェゼルの頬と指が……!」


バーグマンは近寄り、冷たく硬直した頬と指先を確認する。


「こりゃいかんな……!」


声を荒げると、すぐに侍女に回復薬を持ってくるよう命じた。


そこにオースターが慌ただしく運んできた回復薬を、バーグマンは手際よくヴェゼルの頬や指先、足の指先にかけた後、残りを飲むように促す。しかし、手を動かせないヴェゼルに代わり、アビーが薬を飲ませる。


すると、頬と指先から淡い光が漏れ出し、徐々に赤みが戻り始めた。しかし、その直後、ヴェゼルは急激に意識を失い、その場に倒れ込む。


そばにいたオースターが慌てて手を伸ばして、倒れそうなヴェゼルを抱きかかえた。それを見てバーグマンは冷静に告げる。


「急激な回復は体力を消耗する。意識を失ったのは効いている証拠だ。安心して大丈夫だ」


側にいた従者に命じ、ヴェゼルをベッドに運び、部屋を暖めさせる。


訳も分からず泣きじゃくるアビーに、バーグマンは優しく言った。


「賢い婿殿が、真冬に単騎で来たのじゃ。理由があるはずだ。さて、婿殿は何と言っておったのか?」


アビーは涙をぬぐいながら答える。


「私に会いに来たって……」


バーグマンは頷き、肩を落としつつ微笑む。


「ふむ……つまり、ビック領が危機に瀕しているわけではなさそうだな。起きるまで安心して待つがよい」


部屋には静寂が戻り、雪の冷たさとは裏腹に、ヴェゼルの存在が温かな緊張感を残して漂う。


アビーは涙を拭い、そっとベッドの傍に座り込み、凍えた彼の体を見守った。


冬の夜が長く感じられるほど、応接間の暖炉の炎が微かに揺れ、彼の回復を祈る二人の時間が静かに流れていった。

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