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第303話 ブガッティの報告

皇帝の執務室に入った瞬間、厚いカーテンに遮られた昼の光が淡く揺れ、壁に掛けられた盾や肖像画が幽かに浮かび上がっていた。


室内には、アネーロ皇帝、エプシロン皇妃、トランザム第一騎士団、ブルックランズ第二騎士団の団長とエクステラ宰相がいた。宰相は各騎士団長や魔法省のアヴァンタイムの取りなしによって、宰相に復帰していた。


アネーロ皇帝は机の後ろに腰掛け、手を組んだまま静かに考え込んでいる。隣のエプシロン皇妃は、眉を軽く寄せ、しかし目だけで室内の様子を注意深く見守っていた。


ブガッティは足を止め、深く礼をしようとしたが、皇帝の声が静かに制した。


「この顔ぶれであれば、挨拶は必要なかろう」


その一言に室内の空気がわずかに緩む。ベントレー公爵だけが、口元に笑みを忍ばせつつも、鋭い眼差しでこちらを見据えた。


「では、人払いを命じます」


皇妃の指先の合図で、侍女たちは整然と列を作り、静かに部屋を後にした。扉が閉まる音が、短く、しかし確かに余韻として室内に残る。


ブガッティは軽く肩を落とし、『真実の玉』が周囲にないことを確認してとりあえずは安堵する。存在すれば発言に制限がかかるが、今は心置きなく話せそうだ。


しかし、実のところ、真実の玉がどこにあるかは分からない。あると想定して、言葉には細心の注意を払う必要があるだろう。


「今回の報告は、教国のクルセイダー三百人が帝国貴族の騎士爵嫡男、ヴェゼル一行に対して行った襲撃による、ビック家側の事情聴取の結果報告でございます」


皇帝の瞳が鋭く光る。「既に報告は受けておる。だが、あらためて詳細を聞かせよ」


ブガッティは息を整え、ゆっくり口を開く。


「はい。ヴェゼル一行の行程の情報はエスパーダの従者キャリバーと第一方面軍のゼトロス団長へと流出ておったようです。それを元に、クルセイダーたちは帝都から二日の距離にあるシグラの街手前の峠の林に潜伏していた模様です」


「なるほど……」皇帝の声は低く、床に向けられた指先を微かに動かした。


「では、ヴェゼルたちは何も知らぬまま、遭遇したのか? なにか備えはなかったのか?」


ブガッティは慎重にゆっくりと口を開いた。


「おっしゃる通り、ヴェゼル一行は知らぬままに教国側の襲撃を受けたようでございます。結論から申しますと……そこでヴェゼル一行の所持するであろう“精霊の宝珠らしきもの”が、偶然クルセイダー側が所持していた“精霊の宝珠らしきもの”と干渉した可能性を、否定できませぬ」


エプシロン皇妃が、ほんのわずか息を吸う。


「……つまり、両者が同時に持っていた“精霊の宝珠”で、干渉が起きたという可能性があるということですわね?」


「左様にございます」ブガッティは静かに頷いた。


「精霊の宝珠は希少すぎるゆえに、本来、明確に所持しているなどとは言わぬものです。簒奪を恐れるからでございます。まぁ、帝国の“真実の玉”はそのなかでも、こちらが持っていると思わせることが重要ですので、喧伝していますがな」


ベントレー公爵がわずかに顎を上げ、含みのある微笑を浮かべる。


「ビック家は……初代皇帝直参の家系だったな。となれば“授かっていても”おかしくはない、という理由か」


「その通りにございます」ブガッティは簡潔に返す。


「現時点で、所持しているか否かは、我らですら断言はできませぬ。ただ“血筋上あり得る”ということでございましょう」


皇帝が目を細め、手を組んだまま静かに言葉を継ぐ。


「だが、精霊の宝珠は戦闘に使えぬ性質のものだと理解している。では何故、結果がこうなった?」


ブガッティは短く息を整えた。言葉の一つ一つを慎重に選ぶ。


「精霊の宝珠は“防御特化”の宝珠でございます。攻撃用途ではなく、拒絶、遮断、理解。そういった性格を持っております。ゆえに、今回は直接の“攻撃力”ではない。“拒絶による異常現象”が起こった可能性が否定できません」


「拒絶……」皇妃は静かに呟き、視線を伏せる。


ブガッティは続けた。教国はアトミカ教初代教皇の教えと精霊信仰を国家権威そのものに据えている国。彼らが宝珠を所持していた可能性は、むしろ自然な推測ですらある。過去にも宝珠同士の干渉で起きた暴走の記録は帝国史に散見される。


「双方が宝珠を持っていたのなら、干渉して暴発した可能性は十分にございます。妖精と誤認される異常な気配が検知されたとしても……それは不思議ではありませぬ」


皇帝はしばし黙し、指先で机を一度だけ静かに叩いた。


エクステラ宰相が、腕を組んだまま問いを落とす。


「……本当に、それだけで三百のクルセイダーが壊滅し得るのだと?」静かに、空気が沈む。疑い・警戒・計算。


ブガッティは静かに、しかし力強く答える。


「事情聴取の限りでは、それ以外に一般的な合理的要因は見当たりませぬ。亡きヴァリーの魔法は私が指導したものですが、他の魔法同様に遠隔攻撃に特化しており、近接ではせいぜい十人を殺傷できる程度。商会の護衛も従業員が護衛を兼務しているものですので、守備に特化しており、攻撃力は限定的です」


宰相は短く頷く。「……では、他の戦力は?」


「叔父ルークスも庶民ですので、身を守る程度の能力に過ぎません。エスパーダとその従者はクルセイダーに守られていたので除外しますと、その他の商会の従業員の女性と子供二人、そして残るはヴェゼル一人。魔法を使えるのはヴァリーを除けば彼一人ですが、帝都でも『りんご一個分の収納』しかできぬと、嘲りの対象となっているのは周知の事実です」


「……それで、あの結果か……」宰相の声には、眉間の皺とわずかな戸惑いが混じる。


ブガッティは視線を巡らせ、静かに部屋の者たちに問いかける。


「皆様もこの内容で異論があろうか」


全員が短く首を振る。沈黙が室内に漂い、光と影の間で全員の思惑が交錯する。皇帝の額の皺が微かに緩む瞬間、皇妃の視線もわずかに柔らかくなる。


「だが、もし宝珠の干渉であったとすれば……」


皇帝は口をつぐみ、間を置く。


「それを誰が操作したのか、見極める必要はあるな」


「はい、その点も引き続き注意深く調査いたします」


ブガッティは静かに答え、視線を伏せながらも、全員の反応を確認する。


彼の言葉は、現状の事実に基づきつつも、ヴェゼルが“精霊の宝珠を『今後』保持するであろう“と未来の取得も加味したとも取れる、あいまいな回答をしつつ、血筋と可能性を巧妙に絡めることで、真実の玉に引っかからぬようなギリギリの発言をしていた。


室内には緊張と静寂が交錯し、光が机上で揺れる。その揺らぎの間に、帝国の上層部の意思が密かに交わされ、戦略と推測が緻密に組み上がっていく。


ブガッティの発言は、ヴェゼルの秘密を守りつつ、場の全員に未来の可能性を想起させる巧妙な布石となっていた。



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