第294話 ケーつく02
「初めの一個は試作です。みんなで味を確かめましょう」
その一言を聞くや否や、アクティとサクラが同時に飛び出した。
「だーめ!」ヴェゼルが慌てて両手を広げて止める。
「生クリームをつけてからだよ。それで完成なんだ!」
二人は無言で、しかし確実に目を輝かせながら頷いた。
ヴェゼルは部屋へ戻ると、収納箱から新鮮な羊乳を取り出す。鑑定をしてから共振位相で魔力を通し、乳脂肪分と脱脂乳を分ける。淡い光が羊乳の表面を走り、瓶の中で二層に分かれた。上層は濃厚なクリーム、下層は淡い乳清。
「これが……生クリームのもとです」
「おお……すごいですね」
感嘆の声を漏らすアルテイシアに、ヴェゼルは苦笑して答えた。「魔法ですからね」
次にホーネットシロップを加え、皆でかき混ぜる。サクラが両手で泡立て器を握り、アクティが無駄に力を込めすぎて泡が跳ねる。アルテイシアは「もっと優しくやりましょうね」と宥め、パルサーは袖で顔を覆いながら笑いをこらえていた。
やがて、白くつややかなクリームができあがる。ヴェゼルは指先で少し掬い、舌にのせた。濃く、やわらかい。――成功だ。
心の中では、共振位相で生クリームまで全て魔法でできそうだな。と、思いつつも、手順を一度みんなに見せないと。と、いう思いから今回はみんなで泡立てたのだ。
「これを……ケーキの表面に塗っていくんです」
パルサーが頷き、ナイフを手に取る。最初は恐る恐るだったが、やがて職人の顔つきに変わる。薄く、滑らかに、均一に。彼女の手でケーキは白く衣をまとい、見違えるようになった。
「うん、いい仕上がりです」
「……食べていい?」
「もうたべれるの?」
サクラとアクティが同時に身を乗り出す。
その時だった。「――待ってください」
パルサーが声を上げた。皆の視線が集まる。「彩りが……寂しいですね」
その言葉に、ヴェゼルは思わず笑った。
「さすがですね、パルサーさん。果物のシロップ漬けでもあれば完璧なんですが」
言い終わるより早く、サクラとアクティはシロップ漬けのある棚へ駆け出していた。
彼女たちが持ち帰ったのは、野苺とベリーのシロップ漬け。初夏に煮詰めてシロップに漬けておいた宝石のような輝きのある果実だ。パルサーは息を整え、慎重に飾り付けを始める。
赤、紫、そして透けるような琥珀色。果実が並ぶたびに、ケーキが息を吹き返すように艶めく。
完成した瞬間、誰もが息をのんだ。
サクラもアクティも、すでに涎が垂れている。アルテイシアでさえ、口元を押さえていた。
「……では、切り分けましょう」
パルサーがナイフを入れた瞬間、ふわりと甘い香りが広がる。
そして、みんなで――食べた。無言のまま、ただ夢中で。
一気に、ケーキは消えた。「……うぅ、私、泣いてしまいそうです」
最初に声を上げたのはアルテイシアだった。彼女は本当に泣いていた。
「わたし……人生で今日がいちばん幸せです!家で焼くふわふわパンが、今までの最高の幸せでした。でも……それを超えました! 私、ケーキ職人になります! ヴェゼル様、弟子にしてください!」
ヴェゼルは苦笑して、手を軽く上げた。
「パンを焼きながらでもケーキは作れるますよ。焦らないでください」
その言葉に、アルテイシアは胸に手を当て、深く頷いた。
ふと、ヴェゼルの視線が皿に戻る。
そこには、サクラが名残惜しそうに、生クリームの残りを指で掬って舐めていた。
「サクラ、はしたないよ」
「もう一回食べたい!」
「わたしも!」とアクティが続く。
ヴェゼルは困ったように笑い、首を横に振った。
「結婚式のケーキがなくなるから、我慢してね」
二人はしぶしぶ頷いた――が、その顔はすでに「次の機会」を狙う顔だった。
ヴェゼルは再びスポンジを焼き、生クリームを作る。するとサクラが、渋々という顔でヴェゼルの収納箱の自分の部屋から新鮮な野苺を出してきた。
どうやら、初夏に採ってこっそり自分だけで食べていたらしい。収納箱の中では時間が止まるから、いつでも新鮮なまま。
「……サクラ、どれだけ食いしん坊なんだよ」
ヴェゼルが呆れつつも微笑むと、パルサーが再び仕上げに取りかかる。
やがて、純白に包まれたそのケーキは、見事なウエディングケーキとなった。
「これを結婚式のサプライズにするから、みんな内緒ね」
そう言ってヴェゼルはケーキを収納箱に収めた。
だが、彼は気づかなかった。
――小さな指で救われた跡と、野苺がひとつ足りないことを。
そして、その脇で口をもぐもぐさせていた二人の妖精と少女の存在を。




