題31話 実験農場その2
新しい畑ができてから、毎日の暮らしに一つの習慣が加わった。
朝起きると、まずヴェゼルとオデッセイは畑へ足を運ぶ。まだ空気が冷たい早朝、土からは夜露の匂いが立ちのぼり、鳥の声が森の方から響いてくる。
「お母さん、芽が……昨日より少し大きくなった気がします」
小さな畝にしゃがみ込み、ヴェゼルが目を凝らす。土の間からのぞく淡い緑色の芽が、昨日よりもまっすぐ天に伸びていた。
「ほんとうね。……強いわ、この畑のこたち」
オデッセイは指先でそっと土を押し、芽の周りを固める。その手つきは優しく、まるで赤子をあやすようだった。
村人たちが通りがかりに足を止めるのは、いつものことになっていた。
「おや……もう芽がこんなに?」
「うちの畑よりも植えたのが遅かったのに、こんなに早く育つのか?」
「不思議だな……うちの畑じゃ、まだ小指の先ほどなのに」
驚きと好奇心が入り混じった視線が、実験畑に注がれる。最初は半信半疑で眺めていた彼らも、次第に「これはただ事じゃないかもしれない」と囁き合うようになっていた。
日中はフリードが中心となって雑草を抜き、水を運ぶ。彼は脳筋らしく力任せに鍬を振るい、雑草ごと畝をえぐってオデッセイに叱られた。
「フリード、そこは抜きすぎよ! 芽まで傷つけたらどうするの!」
「わ、悪い! ほら、力加減ってやつがな……」
額に汗をかきながら苦笑する父の姿に、ヴェゼルは思わず吹き出してしまう。
一方、アクティは「てつだう!」と元気よく駆けつけては、すぐに土遊びへと夢中になった。
「みて! どろだんご!」
「アクティ様、それは……手伝いじゃなくて遊んでるのでは?」
セリカが呆れたように肩をすくめると、オデッセイも苦笑した。
「でもね、土と仲良くなるのも大事なことよ」
そう言われて、アクティは得意げに泥の手を突き出した。
フリードはそんな娘を見てはすぐに大声でそばにいく。
「おっ、団子か! よし、俺がもっと大きいの作ってやるぞ!」
アクティは耳をふさぎながら、「いらない!」
「えっ……」
あまりに素っ気ない返事に、フリードの顔が固まる。みんなが遠巻きに笑いをこらえ、オデッセイも肩を震わせた。
「フリード……少し、放っておいてあげなさい。遊びたいように遊ばせるのも大事よ」
「う、うぅ……俺は、また嫌われたのか……」
落ち込む背中に、ヴェゼルは「声が大きすぎるからですよ」と小声で突っ込みを入れる。
けれど、そのどこか間の抜けたやり取りも、畑の空気を柔らかくしていた。子どもの笑い声や、家族のからかい合いが響く中で、芽は日々、太く、逞しく育っていく。
数日もすれば、畝ごとに伸びる芽ははっきりと揃い、葉も濃い緑を帯びてくる。村の老人が眉をひそめて畑を覗き込んだ。
「……おかしいな。普通ならもっと黄ばんで細いはずだが、こりゃ随分としっかりしてる。茎も太い。……何が違うんだ?」
オデッセイは言葉を選びながら答えた。
「土に工夫を加えただけよ。森の黒土や灰を混ぜて、少しでも元気に育つように」
「なるほどな……」
老人は顎をさすりながら、驚きと興味を隠さなかった。
その夜、夕食の席でフリードが杯を掲げた。
「よし! この調子なら、今年はきっと豊作だ! 俺の鍬さばきのおかげだな!」
「違います。芽を折りかけたのはお父さんです」
即座にヴェゼルの突っ込みが入る。アクティも「おとうさま、どじ!」と声を上げ、家族の笑い声が囲炉裏の周りに広がった。
ヴェゼルが本当に畑の成長を見ると感慨深い。そう浸っていた。
すると徐に父が「よし、今日の畑はひと段落だな。それじゃ、ヴェゼル、これからは鍛錬の時間だ!」
「えっ、今日は畑でかなり疲れたし。それに……」
「その油断が魔物の前では命取りになるぞ!」の声で無理やり引き摺られていくヴェゼルであった。
こうして、芽吹きから日ごとの世話へ。実験畑は家族の絆を深め、村人の好奇心を集めながら、着実に成長を続けていった。




