第285話 ブガッティの事情聴取の後
事情聴取後、ブガッティは深く椅子に腰かけ、瞑目したまま指先で机を叩く。その指の動きが止まるたびに、蝋燭の火がわずかに震えた。
やがて老魔道士は、ふう、と長い息を吐き、静かに口を開いた。
「……難しいのう。どこまで公にし、どこまで秘すべきか。まず――サクラ殿の件は当然、言わんわい。妖精など口にした時点で、帝都の連中が祭りを始めかねん」
彼の声は、柔らかいが底の見えぬ深みを帯びていた。卓の端に控えるヴェゼルとオデッセイは黙って頷く。ルークスも書簡を手にしたまま、じっとブガッティの言葉を待っていた。
「それとな、ヴェゼル殿の収納魔法――あれも言えん。あれを“兵器”とみなす輩が出てくる。さらに、エスパーダ殿がこの領におると知れたら……裏で繋がっておるなどと邪推するものもいるかもしれぬ。これも秘匿じゃ」
言い切って、ブガッティは顎に手を当てる。
「さて……問題は、クルセイダー三百の殲滅をどう説明するか、じゃな。ヴァリー殿の魔法の威力が上がっていたとはいえ、全てを亡き者に押しつけるのも、どうにも後味が悪い。死者を盾にするような真似は、儂も好きではない」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。オデッセイが軽く咳払いをして口を開く。
「クルセイダーが展開していた結界が、何かの干渉で暴走した、というのはどうなのかしら。何かの属性の障壁が干渉して暴発したけど、ヴァリーさんの魔法がみんなを守ったと……」
「暴走、か」ブガッティは目を細める。
「うむ、理には適っておるが、説明としては漠然としておるのう。“何かの干渉”では、学者どもがうるさそうじゃわい」
オデッセイも腕を組み、「そうね……」と唸る。
すると、静かに控えていたエスパーダが体を前に乗り出す。彼の声は落ち着いていて、どこか説法のような響きを持っていた。
「ブガッティ様。このビック領は初代皇帝から連なる由緒正しき地。初代領主様が精霊から授かった“加護の宝珠”を代々守ってきた――という形ではいかがでしょうか。教国にも同様の伝承がございます。“精霊の宝珠”は互いに干渉しあうため、近づけてはならぬ、という教義も。それを知らず、ヴェゼルさんが持っていた宝珠と教国の宝珠が共鳴し、クルセイダー側の宝珠が暴発――……という理屈なら、妖精の件を匂わせずに説明できます」
部屋が静まり返った。ブガッティは肘をつき、しばし思案の沈黙を保つ。
「それに、ヴェゼル殿の持っていた宝珠の気配を、クルセイダー達が妖精の気配と勘違いして襲撃してきた、という理由づけにもなりそうじゃな」
そして、やがてにやりと笑った。
「ふむ……面白い。確かに帝国にも“真実の玉”がある。あれは嘘を見抜く聖珠として公にしておるが、他の家が秘宝を隠しておることは珍しくもない。……それでいこう。帝都には“精霊宝珠の共鳴による暴発”と報告するのじゃ。それなら誰も深入りせぬだろうて」
ブガッティが膝を打つと、オデッセイがほっと息を漏らした。
ヴェゼルは安堵の笑みを浮かべつつ、胸元に手をやる。その内ポケットには、かの妖精――サクラが小さく潜んでいた。
「ねぇ、サクラ」ヴェゼルが小声で囁く。「俺もサクラの宝珠がほしいんだけど」
ポケットの中から、もぞもぞと動く気配。そして、可愛らしい声が漏れた。
「うーん……ヴェゼルに私のものをあげたいのは山々なんだけどねぇ。大きな体の精霊になったらできるかもしれないけど、今の私だと大きくなっても多分無理! きっと干からびて燻製妖精になっちゃうと思うわ」
「燻製妖精……」ヴェゼルは肩を落とした。ルークスが横で吹き出し、オデッセイもつい笑みをこぼす。
だがサクラはしばし考え込み、ひょこっと顔を出して言った。
「でもね、どうしてもって言うなら……“エリクサー”があれば、多分できると思う」
「エリクサーですって?」
オデッセイが眉を上げる。「あれ一株で、高位貴族領の年収に匹敵するって言われるほどよ。この帝国でも、持ってる人なんて、まずいないわ」
「うーん。そんなもの、誰が――」とヴェゼルが言いかけたその瞬間、ブガッティが紅茶のカップを持ち上げながら、あっさりと言った。
「ワシ、持っとるぞい」
一同が固まる。オデッセイの目が点になり、ルークスは口を半開きにした。
ヴェゼルだけが「……は?」と呟く。
「いや、今は持っとらんがの。帝都の屋敷の書庫の奥じゃ。もう追い先短い老骨が持っておっても仕方あるまい。サクラ殿にくれてやってもええぞい」
「そ、それは流石に悪いですわ!」オデッセイが慌てて立ち上がる。
しかし、ブガッティの瞳がきらりと光った。「ふむ。では交換条件じゃ。ヴェゼル殿の知識と、どうかの?」
「知識、ですか? そんなもので良ければ、いくらでも……。けれど、それでは対価として釣り合いませんよ」
ヴェゼルが真面目に返すと、ブガッティはゆっくり口角を上げた。
「……そうか。ならば――やはり、儂の婚約者になってもらおうかのう」
その瞬間、ヴェゼルのポケットからピョンとサクラが飛び出した。両腕を交差して、大きく「×」を作る。
「だめーーーっ!!」部屋中が静まり返り、次の瞬間、笑いが弾けた。
ブガッティは「フォッフォッフォ」と上機嫌で笑いながら、杯を掲げた。
「愛されておるのう、ヴェゼル殿。……よかろう。エリクサーは後日、帝都より届けさせよう。ただし、儂が死ぬ前に“燻製妖精殿”を見てみたいものじゃ」
「そんな物騒な願望やめてください」
ヴェゼルが苦笑し、サクラはぷいと顔を背ける。笑いの余韻が落ち着くと、ブガッティは杯を置き、改まって言った。
「――さて、報告書は儂がまとめよう。帝都には“精霊宝珠の共鳴暴発”として提出する。お主らは、しばらくこの領で静かにしておれ。嵐が過ぎるまでは、なにより沈黙のほうが賢明じゃ」
ヴェゼルは深く頭を下げ、静かに応えた。
「感謝します。ありがとうございます」
その言葉に、ブガッティはにっこりと笑い、
「うむ。……ただ、儂の心臓が先に暴発せぬように願うばかりじゃ」とぼやいた。
室内には、再び穏やかな笑いが広がった。諍いの報せが遠ざかり、灯火だけが静かに揺れていた。




