第282話 ルークスが帰ってくる
夜更け、吹きすさぶ雪が屋敷の窓を叩いていた。その白い幕をかき分けて、馬車の影が門をくぐる。
――ようやく、ルークスが帰ってきた。
外套は雪で真っ白になり、髪も凍りついている。まるで氷の彫像のような顔で、彼は言った。
「……いま、戻ったぞ」
フリードは一瞥して、すぐに笑った。
「話はあとでいい。まずは湯に入れ。死人みたいな顔してるぞ」
「……ありがたい」
ルークスは小さく頭を下げた。背後には、ジールたちの姿もあった。皆、馬車での長旅の疲れがにじんでいる。
オデッセイが柔らかく言う。「ジールたちもお風呂へどうぞ。貯蔵庫は後で指示するわね」
ステリナを先頭に使用人たちが慌ただしくタオルと衣を運び、雪まみれの一行は湯屋へ消えた。
湯気が立ちのぼる間、屋敷は静かだった。暖炉の薪がぱちぱちと音を立て、外の風雪を遠くに追いやる。
やがて、湯あがりのルークス達が戻ってきた。頬は赤く、目にはようやく生気が戻っている。
フリードが手を振った。「さあ、こっちだ。報告はいつもの応接室で聞こう」
そしていつもの四人――フリード、オデッセイ、ヴェゼル、ルークスが入る。
卓の上には、湯気の立つ茶とふわふわのパンが置かれていた。ルークスは腰を下ろし、息を整えて語り出した。
「――ローグ子爵は、ビック家と正式に同盟を結ぶと確約した。万一、教国と戦になった場合も、兵と物資の供出を約束してくれた」
フリードが頷く。「ほう、手紙をもらってはいたが、あの慎重な子爵がそこまで言ったか。本当にありがたいな」
「さらに、武器や食糧を格安で卸してくれるそうだ。それと――嫡男のスイフトくんから、アクティへの手紙を預かってるので後で渡しておく」
その言葉に、オデッセイが小さく笑った。
「スイフトくん、まだ幼いのに意外と情熱的なようね。恋文かしら?」
ルークスは苦笑して、「さあ、それは本人が読んでのお楽しみだな」と肩をすくめた。
オデッセイが続ける。
「それと、帝都から事情聴取に来たのは、魔法省のブガッティ第一席よ。もう話はしたわ。サクラちゃんやヴェゼルの収納魔法の件も、秘匿の約束を得ているわ」
「ブガッティ第一席が? 帝国を第一に考えているように見えたが、よく約束したな」
ルークスが目を丸くする。
ヴェゼルは微笑む。
「ブガッティさんも、納得してくれましたよ。報告には、こちらの思惑に沿った内容を報告してくれそうです」
ルークスは深く息を吐いた。
「それを聞いて安心したよ。あの方が敵に回れば、帝国全体を相手にするようなものだからな」
そしてヴェゼルは言う
「もう一つ。エスパーダさんがこちらを訪ねてきました。父さん、母さん、そして俺と話し合った結果……俺の先生兼側近として、仕えてくれることになりました」
室内にルークスの驚きの声が走った。「エスパーダ殿が、ここに……?」
フリードは笑みを浮かべる。「おぅ、エスパーダ殿は誠実だし、信頼できそうだ。俺は賛成したぞ」
オデッセイも頷いた。「彼は聖魔法も使えるそうだし、あの心根であれば、みんなと協調できそうよ」
短い沈黙ののち、ルークスがふと口を開いた。
「そうか……もしブガッティ様が帝都に戻るようなら、俺も同行しようかな。帝都の動向を探る必要があるし、ベンティガのオヤジや、カデット兄とも相談しておきたいしな」
その提案に、オデッセイが少し申し訳なさげに目を伏せた。
「……申し訳ないわね。ビック領のことで、バネット商会を巻き込んでしまったようで……」
ルークスは笑った。
「気にしないでいいよ。オヤジも言ってた。“ビック領とは一蓮托生のつもりだ”って。俺にしてみりゃ『毒を食らわば皿まで』……じゃなくて――『妖精を食らわばクッキーまで』だよ!」
フリードが吹き出した。「なんだそれは!」
その瞬間、胸ポケットからサクラが勢いよく顔を出した。
手にはしっかりクッキーを握りしめたまま。
「そんな例え、やめてよねっ! わたし今まさにクッキーを食べてるんだから!」
室内が一瞬、凍りつき――次の瞬間、爆笑が起こった。
ヴェゼルはただ苦笑しながら、肩の上でぷんすか怒るサクラをそっと撫でた。
「まぁまぁ、サクラが可愛いからこその比喩だよ」
「可愛くても、食べられたら困るのよ! 私を食べられるのはヴェゼルだけなんだから!」
再び、どっと笑いが広がった。窓の外では、雪が静かに舞い続けている。
騒乱の影が迫りそうなのに、この屋敷の中には、温かい笑いと湯気があった。
それが、この夜のビック家らしい光景だった。笑いの中に、覚悟と絆が静かに息づいていた。




