第278話 ブガッティを紹介する
昼下がりの応接室には、紅茶の湯気と書類の匂いが漂っていた。その静けさを破るように、扉が開く。ヴェゼルが入ってきた。
ヴェゼルの頭には厚着のサクラをはじめ、アビー、エスパーダ、そして侍女ランツァとアトンが続く。その背後には侍女としてベテランの雰囲気を醸し出すセリカ。アトンはとりあえず、侍女の仕事を覚えたいと言う事で今はセリカと行動を共にしている。
アクティとカテラは学習中、オースターのもとで算術を学んでいるという。屋敷全体が少しずつ再び日常を取り戻しつつあった。
ヴェゼルが足を止めるより早く、サクラがぴょんと飛び上がり、机の上に降り立つ。仁王立ちの姿勢で、腰に左手をあて、右手を掲げて言った。
「おぅ!ブガッティ!よく来たな!」その堂々たる態度に、一瞬場の空気が止まった。
だがブガッティは腹を抱えて笑い出す。「はははっ、相変わらず面白い妖精殿だのう!」
ヴェゼルは額に手をあてて小さくため息をつく。きっとアクティあたりに何か唆されたのだろう。
「サクラ……それ、おっさん臭いよ。父さんみたいだ」
「えっ!? じゃあやめる!」
サクラは慌てて手を下げる。その様子に、ソファにいたフリードが妙に傷ついた表情をしていた。オデッセイはその様子を見て、口元だけで笑う。屋敷には今日も変わらぬ空気が流れていた。
ヴェゼルは場を整え、まずブガッティを紹介した。
「こちらの方が帝国魔法省第一席ブガッティさんです。母さんとヴァリーさんの師匠だった方です」
そして、順次紹介していく。
「こちらはアビー。ヴェクスター男爵の長女でヴァリーさんの元弟子でした。今はホーネット村で一緒に学んでいます」
ブガッティは目を細め、感心したように頷く。
「ほう、お前さんがかえ。ヴァリーとウルスから話は聞いておったぞ。とても優秀な魔法使いだそうじゃな。今は魔法省からの派遣が途絶えておるが……あのアヴァンタイムめ、采配が遅いのう。わしからもあらためて講師を頼んでおこうか?」
アビーは慌てて両手を振る。「いえ、ヴェゼルとオースターさんがいらっしゃるので今のところ十分です」
その律儀な答えにブガッティは頷き、温かな目で微笑んだ。
続いてヴェゼルは、エスパーダを紹介する。「そして……彼はエスパーダさんです。元教国の主教だった方です」
ブガッティの笑顔が、一瞬だけ凍った。
彼の視線が自然と、エスパーダの左腕へ向かう。あるべき左腕がなく袖が揺れている。それを見てすぐに察したのだろう。
「まさか、クルセイダー襲撃の――」その言葉を遮ったのは、オデッセイだった。
「その話は、もう私たちの間で済んでいます。ブガッティ様」オデッセイの声音は穏やかだが、言葉の裏には確かな圧があった。
ブガッティは短く息を吐き、頷く。「……そうかえ。ならば、詮索はやめておこう」
エスパーダは静かに一礼した。
ヴェゼルは、まっすぐにブガッティへ向き直る。「彼は今後、私の師であり、側近として助けてもらいます」
「ヴェゼルさんのもとで、しばらくは一緒にいようと思っています」エスパーダの声には、穏やかな決意が宿っていた。
その空気をあっさり壊したのは、やはりサクラだった。「アビー! 私たちのライバルよ!」
「えっ!? エスパーダさんは男性だから大丈夫よ」
「いやいや、ヴェゼルはそれすら乗り越える男よ! だって妖精の私が婚約者なんだから!」
その無邪気な宣言に、アビーが本気で悩み始めた。「…えっ…そんな、そう言われれば…確かに……」
ヴェゼルは真っ赤になり、慌てて声を上げる。「サクラ! やめてよ、アビーは真面目なんだから!」
それが冗談だったと気づいたアビーは、急に顔を赤らめて口をつぐむ。
場の空気が一瞬ふわりと和らいだ。そんな中、エスパーダが静かに言った。
「私はもちろん、女性が好きですよ?」その言葉に、窓際に立っていたアトンが思わず赤面する。ヴェゼルだけがその変化に気づき、苦笑を隠すように視線を逸らした。
軽口と笑いが交わる中、オデッセイが一拍置いて口を開く。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」その声に、場の空気が再び引き締まる。
「今回ブガッティ様は、皇妃様の代理としていらっしゃったのです。――クルセイダー襲撃の顛末について、事情聴取に」
ヴェゼルが静かに頷く。オデッセイが表情を改め、ゆるやかに言った。
「そうですね。せっかくなら、皆が揃った時に話すのが良いのではないですか?あの襲撃時に采配を振るって一行をノアへ導いたのはルークスですから」
「そうですね。サマーセット領で商談を済ませているので、そろそろ戻る頃だと思います」
ヴェゼルが答えると、ブガッティは頷き、少しだけ声を落とした。
「ならば、それまでは別の話でもしようかのう。ヴェゼル殿、そなたと……オデッセイ殿と…………フリード殿とだけで話をしたい。よいかの?」
オデッセイが一瞬だけヴェゼルに目をやり、軽く頷いた。
フリードは察したのか「オデッセイが入ればよいだろう。そういう密談は人数が最小限の方がよい」
「では、そうするかのう。こうして話せる機会はそう多くないでな」
その言葉に合わせ、三人は静かに立ち上がった。
サクラは「私も行くー」と言いながら、ヴェゼルの肩までひらりと飛び乗る。
「でも静かにしててね」と言われると、毛布を肩からかけ、お菓子を抱えたまま、ヴェゼルの胸ポケットに潜り込んだ。
「うん、準備完了!」と小声で言いながら。笑いを堪えるブガッティ。
呆れたように肩を竦めるオデッセイ。そして、苦笑しながら歩き出すヴェゼル。
廊下には陽光が差し、外では小鳥の声が聞こえていた。
次の扉の向こうに、どんな話が待つのか――その予感だけが、少し重たく、静かに三人の背を押していた。




