第265話 モノづくりフェイズ03
次の日の早朝、冷えきった空気の中、澄み渡る空に馬の嘶きが響いた。
ルークスとジールが、ローグ子爵の治めるサマーセット領――領都モンディアルへと旅立っていく。馬車の車輪が雪を蹴り、吐く息が白く揺れた。
ヴェゼルは門前に立ち、二人の背を見送りながら深く息を吐く。今の時期ならばまだなんとか馬車で往復できるだろう。
「……これで、また少し静かになるかな」しかし、その静けさは長くは続かなかった。
今は、ステリナが大忙しだった。バネット商会のホーネット支店――新店舗の開店準備に追われ、朝から帳簿と人員配置を確認している。そんな慌ただしさの中、突然、玄関がバンッと開いた。
「ヴェゼル様ぁ! 試作品が、ついに完成しましたぉぉ!!」
飛び込んできたのは、顔を真っ赤にしたパルサーだった。両手には、鉄の光を宿したスコップとツルハシを抱えている。
どうやら、オデッセイが「ヴェゼルは防壁工事で忙しいので、十日ほど待っていてくださいね」と伝えていたらしい。しかし、工事が一段落したと聞くや、待ちきれずに飛び出してきたようだ。
「ヴェゼル様! これを受け取ってください!」
勢いに押されるように、ヴェゼルはその試作品を受け取った。
「これが……新型のスコップとツルハシ?」
「はい! 簡易版と高性能版、二種類ございます!」パルサーは鼻息も荒く説明を始める。
簡易版は先端だけが鉄で、軽く扱いやすい。高性能版はシャフト以外すべて鉄製で、重いが圧倒的に丈夫。
「試しに庭を掘ってみたら……簡単に掘れる! すぅーーんごく掘れるんです!! 今までの苦労はなんだったのかと! 思わず掘りすぎて、旦那のガゼールに怒られました!!」
語尾が完全に上ずっている。その興奮が屋敷に伝染したのか、そばで紅茶を飲んでいたフリードが勢いよく立ち上がった。
「よし! 実際に使ってみよう!」
そのまま庭に駆け出し、畑へ向かう。しばらくすると――
「うひょー! こりゃすげぇぇぞー!!」屋敷中に響く歓声。領主が畑でテンションを上げている。
オデッセイは額に手を当て、静かに呟いた。
「……領主があれでは、うちの格が下がるわ。まあ、もう底辺まで下がってるけど……」
そんな主婦のようなぼやきをよそに、パルサーはさらに意気揚々とヴェゼルを玄関の外へ引っ張り出した。
「そしてこちら! 一輪車の試作品でございます!」
布をめくると、庭には木と鉄で組まれたコンパクトな一輪車が現れた。ややごついが、どこか“未来”の匂いがする。
「車軸の強度と摩擦の軽減に苦心しました。それと、タイヤの硬さが……いやもう、難題でして!」
パルサーは輪を撫でながら説明する。ヴェゼルの描いた図面を参考に、リムの間を放射状の木で支えるものと、丸太を円盤状に切り出したものの二種を試作したという。最終的に、重いが頑丈な後者を採用したようだ。
ヴェゼルが押してみる。ギギギ……重い。「うーん……想像より力が要るな」
「やっぱり、ですかぁ……摩擦が……」
そんな会話の最中、フリードが畑から颯爽と戻ってきた。
「どれどれ! 一輪車も見せてくれ!」言うが早いか、走り出す。
「うひゃあ! こりゃ便利だ! 今までよりずっと楽じゃないか!」
ヴェゼルは呆れ、オデッセイは遠くから腕を組む。
「……はしゃぎすぎて領主らしさゼロね。まあ、今更だけど」
二人は笑いながらも、一輪車を押すパルサーの手元に目をやる。完璧ではない。それでも、ゼロから形を生み出す職人の努力に、ヴェゼルは心の底から感心していた。
「いい出来です、パルサーさん」
「おおっ……! ありがとうございます!!」
喜びに跳ねるパルサー。しかし次の瞬間、腕を組んで唸った。
「ですが……やはり車軸が納得いきません。理想はもっと……こう、滑らかに回る構造で……」
ヴェゼルは少し考え、ぽつりと呟く。「ベアリング……っていう仕組みがあるんですけどね」
ヴェゼルは地面に棒で円を描きながら、ゆっくりと話し始めた。
「たとえば、この車軸の中心に、もうひとつ小さい円を入れるんです。その間に“玉”をいくつも並べて、外側と内側の円が、玉の上で滑るように回る仕組みなんです。」
パルサーは首を傾げた。「玉で滑る? 摩擦が増えそうですが……?」
ヴェゼルはにやりと笑う。「逆ですね。玉が転がるから滑らない。摩擦じゃなく“転がり”で支えるんですよ。油を少し塗れば、ほとんど抵抗がなく回ると思います」
パルサーの目が丸くなる。「つまり、軸が回っても木がこすれない?!」
「そう。だから、重い荷を運んでも軽く感じるんです。滑るより“転がる”方が力はずっと少なくて済むんですよ」
パルサーは腕を組み、口を半開きにして唸った。「……それは、魔法か何かですか?」
「いや、原理は単純ですよ。丸い玉が転がるだけ。ただ、作るのはちょっと面倒ですねぇ」
パルサーは拳を握った。「面倒でも、やります!すぐにやりたい!」
「いやいや、落ち着いて。まずはスコップにツルハシに一輪車の量産体制の方を考えないと」
「はっ! そうでした……! スコップにツルハシに一輪車……全部軌道に乗せねば! ですが! 落ち着いたら絶対教えてくださいね!」
「はいはい、また今度ね」
ヴェゼルは笑って肩をすくめた。新しいものに貪欲な職人――そんな人間がこの領地にいる限り、未来は明るいだろう。
ふと横を見ると、庭が騒がしい。一輪車の上に、アクティとサクラがちょこんと座り、フリードが全力で走り回っていた。
「うわー! はやいー! たのしぃー! きゃー!」
「や、やめて! 風が強いぃぃ! 私は小さいから揺れが直接響くのー!」
「父さん!? それ遊び方違うよ!!」
オデッセイは遠くから見て深くため息をつく。「……ほんと、うちはいつも騒がしいわね」
その横で、アビーが腕を組みながら小さく呟いた。「……いいなぁ。私も一輪車、乗ってみたい」
ヴェゼルは笑う。「うん、じゃぁ、順番待ちだね」
防壁が凍り、風が冷たい冬の日。
けれど、この領館の中だけは――どうにも、やけに暖かかった。




