第263話 ローグ子爵からの手紙
――夕刻。
赤く染まる空を背に、ヴェゼルとトレノは領館へ戻った。サクラは胸のポケットの中で「寒い寒い」と呟きながら、さらにハンカチ毛布に潜り込んでいる。館の扉を開けると、暖かな空気とスープの香りが迎えてくれた。
出迎えたのはオデッセイ、グロム、そしてコンテッサ。いまやコンテッサはグロムの婚約者として完全に家族の一員であり、一応ベントレー公爵家の出向という立場なので、公爵の正式な許しを待っている状態だ。
「お帰りなさい。防壁の様子はどうだったの?」
「順調です。プラウディア爺も太鼓判を押してくれました」ヴェゼルがオデッセイに報告すると、トレノも真剣な顔で頷いた。
暖炉の火がぱちりと鳴る音を背に、フリードが楽しげに口を開く。
「常備兵の募集も、予想以上の応募だ。百人を超えたぞ」
「そんなにですか!?」トレノが思わず声を上げる。
「村の若い者だけでなく、近隣の冒険者上がりまで来ているようだぞ。面接を今日から始めたところだ」
オデッセイが愉快そうに微笑んだ。
「冬の寒さより、人の熱気のほうが熱そうよね」
「それは領主が良い面構えだからだな!」
「……それって褒め言葉かしら?」
「多分な!」そんな軽口が飛び交い、部屋に笑いが満ちた。
その時、執事が封書を携えて現れた。「フリード様。ローグ・フォン・サマーセット子爵からのお手紙です」
封を切ったフリードは、静かに文面を追う。その表情にわずかな熱が差した。
「ヴァリーさんのお悔やみと、ヴェゼルが無事でよかったと書いてある。……それと、……“今後、外敵からの争いに関して、サマーセット家はビック家に全面的に協力する”……とあるな」
オデッセイが真剣に聞いていたが、次の瞬間、柔らかく微笑んだ。
「つまり、彼らが本格的に私たちの味方になるということね」
フリードは深く頷き、腕を組む。「これで、ヴェクスター領とサマーセット領、そして我らビック家の三領が同盟になるな」
ヴェゼルはその手紙を見つめ、胸の奥で言葉を漏らした。「ヴァリーが見たら……少しは安心したかな」
その声音には寂しさと誇りが入り混じる。
オデッセイはあえて明るく微笑んだ。
「安心するどころか、『よかったですね』って笑って言ってくれるわよ」
サクラがポケットからひょこりと顔を出す。「ヴァリーなら“ヴェゼル様が良いなら私も良いと思います!”って言うと思うわ」
その一言に広間がふっと和み、笑いが連鎖していった。封書の後半には、さらに取引と支援の記載があった。
――サマーセット領はヴェクスター領と協調し、物資と交易路を共有する。ビック家の要請があれば、食料・武具を優先的に融通する――。
フリードは手紙を閉じ、短く言った。「ルークスに任せよう」
オデッセイが頷き、書類を整える。
「ルークスならうまくやるでしょう。ジールのことももうまく使いこなしてるし、交渉事は得意よ」
応接室の扉が開き、ルークスとステリナが入ってきた。ヴェゼルたちはすでに席についており、湯気の立つ茶が並べられていた。
フリードが穏やかな口調で切り出す。「ルークス、ローグ家との交渉を頼みたい」
ルークスは片眉を上げ、わずかに笑みを浮かべた。「……おや、ずいぶん急だな」
「向こうも少し動きがあるようだ。年が明ける前に話をつけておきたいんだ」
ルークスは腕を組み、ひと呼吸ののち、低く力強く言い切った。
「任せろ!」
その声には、部屋の空気がわずかに引き締まるような響きがあった。フリードがうなずくと、ルークスは迷うことなく立ち上がり、すぐに領館を後にした。
――しばらくして。玄関先に、蹄の音が響いた。
「カツン、カツン」と、霜を割るような音が冬空に吸い込まれる。扉が開き、外の冷気とともにルークスが戻ってきた。コートの裾に薄く雪をまといながら、彼は軽い口調で言った。
「早速、明日の朝には出立するよ」
その言葉に、場の空気が少し動く。ヴェゼルが驚いたように顔を上げ、アクティが身を乗り出す。
「もう? じゅんびがはやいね」
ルークスは笑みを浮かべたまま、ひときわ悪戯っぽく言葉を続けた。
「サマーセット子爵の嫡男、スイフト様にもお目にかかるかもな」
その一言で、アクティの目がぱっと輝いた。「えっ!? スイフトくんにあいたい! わたしもいく!」
勢いよく立ち上がるアクティを見て、周囲が一瞬固まる。そして、すぐにオデッセイの声が飛んだ。
「だーめ。この雪の中だし、年末の冬の道は危ないの。それに春の総会で会えるでしょ?」
「むぅ……はるなんて、まだまだだよ!」アクティは唇を尖らせて座り込み、髪を揺らしてふてくされる。
ルークスは肩をすくめ、軽く笑って言った。
「待てば海路の日和ありってな。焦らずに待っていれば、そのうちによい機会がめぐってくる、ってことさ!」
「うるさい! ルークスおじさんのずるっこ!」と、アクティが真っ赤になって叫ぶ。
その光景に、ステリナが小さく吹き出し、フリードは喉の奥で笑いを押し殺した。
「来年にはあなたも五歳。スイフト君と同じ年で“鑑定の儀”を受けるのよ。その時に会えるわ」
「じゃあそのときに、スイフトくんとしょうぶする!」
アビーがくすくすと笑った。「何の勝負なのよ、それ」
「こいのしょうぶよ! スイフトくんをわたしが『おとす』の!そうするとわたしのかち!」
オデッセイがその答えにちょっと驚いた後に微笑んで、暖炉の火を見つめた。
「今回の春の総会では、学園入学前の子供たちによる剣の競技会や魔法のお披露目もあるのよ。きっと賑やかになるわ」
ヴェゼルは窓の外を見上げる。雪を孕んだ雲が流れ、空は鈍く沈む。
「俺は出る気はないけど……見てみたいな。他の同年代の子の実力がどんなもんなのかを」
アビーは微笑み、静かに言った。「ヴェゼルも出たら良いのに。出てるほうが似合いそうだわ」
暖炉の火が弾け、柔らかな橙の光が壁を照らした。オデッセイが最後に、まるで未来を見通すような声で言葉を添える。
「あなたたちの世代には、皇子様も皇女様もいるわ。次の時代を担う子たちの春の到来――ね」
雪の夜。三領の同盟と交易が確実に動き出し、帝国北端のビック家に新たな絆が芽吹き始めていた。その火はまだ小さいが、確かに冬を照らす温もりを持っていた。




