第262話 プラウディア爺と防壁の確認
冷たい風が大地を渡っていく。冬枯れの畑の向こうに、半ば完成した防壁が鈍い光を帯びて立っていた。その表面には霜が薄く張りつき、陽が傾くたびに微かにきらめく。
凍てつく大地の中で、それはまるで、春を待つ希望の象徴のようにも見えた。
ヴェゼルは元石工のプラウディア爺と肩を並べ、その光景を見上げていた。傍らには従者見習いのトレノが立ち、寒さに鼻を赤くしながらも、主の姿勢に倣って背筋を伸ばしている。ヴェゼルの胸ポケットの中では、サクラがハンカチ毛布にくるまり、もぞもぞと動いていた。
この頃のサクラは、やたらと「ヴェゼルの胸ポケットが寒い」と文句を言うのだ。
「収納箱か家の中にいたほうが温かいよ」とヴェゼルが言うたびに、サクラは小さな声で反論する。
「でも、ヴェゼルの鼓動の音と匂いが落ち着くんだもの……」
その一言に、ヴェゼルは押し切られた。厚手のハンカチを胸に詰め、その中にサクラを包み、さらにお菓子まで一緒に入れるという結果になったのである。
おかげで胸元が妙に膨らみ、まるで子供の隠しポケットのような見た目になっていた。本人もそれを自覚しているが、今ではもう諦めの境地だ。
「ふぁ〜……冬の朝は妖精にも厳しいわ……私、凍るかと思ったわよ……」
「サクラは闇属性なんだから、寒さに強いんじゃないの?」
「闇と寒さは違うのっ!」
そして、プラウディア爺と合流して、ヴェゼルが作った防壁の土台を見ていく。
プラウディア爺が指先で防壁の表面をなぞった。指先に冷たさが染みる。だが、その冷たさこそが、この地に生きる実感でもあった。
「この基礎の土台が……たった二日でできるのか」プラウディア爺は分厚い手でひげを撫で、低く唸った。
「ヴェゼル様、これは驚きましたぞ。土の基礎にこの硬さ……それに、土レンガの間に詰めるあの白いもの、あれは何じゃ?」
「石灰に火山灰を混ぜたんです。帝国の書庫で見た“コンクリート”という記述を真似てみました」
「ほぉ……土と石の掛け合わせみたいな硬さですな。こいつぁ、戦でも簡単に壊れねぇでしょうな」
老人の瞳には、久しく眠っていた職人の熱が宿っていた。霜を踏む音と共にヴェゼルが頷く。
そして、彼の脇には、トレノと二人で作った土レンガの巨大な山が広がっていた――その数、四万個。小さな山がいくつも並ぶその光景は、まるで努力の碑のようだった。
「これもすごいですなぁ」プラウディア爺は感嘆の声を上げた。
「これを職人が作るとなると、途方もない人手と時間がかかるというのに、ヴェゼル様はお一人で十日間で……まったく、たいしたもんだ」
横で聞いていたトレノが、自分まで褒められたようににっこりと笑う。
プラウディア爺は一つの土レンガを手に取り、厚い指で表面を撫でた。
「ほう。これも硬いですな。大きさもちょうど良い。これをヴェゼル様が魔法で作られるとは……こりゃ、他の貴族に知れたら取り合いになりそうじゃのう」
「そんなつもりじゃないけど……知られたら確かに面倒そう」
「ふむ。では、ワシも他の職人には“多言無用”と言っておきますじゃ」
老職人は目を細め、寒風に混じって笑った。
ヴェゼルは一歩下がり、完成間近の防壁をもう一度見上げる。白く凍りついた大地に、その影が長く伸びていた。
「これで、強力な防壁ができるといいなぁ」
「うむ。二十人いれば……この冬だとしても二ヶ月はかからんでしょう。仕上げが楽しみですわい」
凍てついた風がふっと緩み、積もりかけた霜がきらりと光を返した。まるで、大地が彼らの努力に小さく頷いたかのようだった。
冬は厳しい。だが、この防壁はきっと、春の風を迎える日まで、この地と人を守ってくれる。




