第261話 防壁をつくろう 一緒に遊ぼう
四日目の朝――。
夜明け前の空はまだ青く霞み、村の屋根にはうっすらと霜が降りていた。息を吸うたびに鼻の奥が痛い。そんな中、ヴェゼルはすでに地面に膝をついていた。
掌を地に当てると、じんわりと冷気が染みてくる。凍った大地の硬さが、皮膚の下まで伝わるようだった。
「収納……からの、共振位相。」
低い唸りが響き、箱から取り出した土が渦を巻く。冬の朝日に照らされ、土は淡い光を帯びながらヴェゼルの掌の上で震え――ぎゅ、と共鳴。
圧縮され、形を変え、ぽん、と乾いた音を立ててひとつの煉瓦になる。
「……よし、今日も四千個いくぞ」
冬の空気の中、静寂を切り裂くように「ポン、ポン」と響く音。雪を含んだ風が頬を刺し、吐く息は白く立ち上る。
地面は冷たく、指先はすぐに感覚を失う。けれどヴェゼルは止まらない。
――だが。
「……あれ、サクラは?」
いつものやかましい……いや…楽しげな声が聞こえない。妙に静かだ。
代わりに、小走りでアビーが現れた。
「ヴェゼル! サクラは“用がある”って言って、アクティと遊びに行っちゃったようよ」
「……用があるって、遊びにか………」
「さぁ? “急ぎの甘いお菓子の研究”とか言ってたけど、本当かどうか……」
「逃げたな……完全に逃げたな……!」
ヴェゼルの額に青筋が浮かぶ。拳を握る音と同時に、横のレンガがぽんっと弾け飛んだ。冬の冷気が彼の怒気を冷ますどころか、余計に白く際立たせる。
アビーは気まずそうに笑いながら口を開いた。
「あの……私も今日は魔法の鍛錬があるの。午後からオースター先生と……」
「あ、アビーも!?」
「えぇ……ごめんなさいっ!」風のようにアビーは去っていった。
さらに追い打ちのように、ランツェが神妙な顔で頭を下げる。「わ、私はアビー様のお世話を……」
「ランツェもかッ!?」
……沈黙。
白い息が、やけに広がって見えた。残されたのはヴェゼルと――トレノ。トレノはレンガを抱えたまま苦笑した。
「……自分は、ヴェゼル様と一緒に……というか、……どうやら…逃げそびれ…ました……」
「……そうか。うん、逃げるなよ!」
ヴェゼルは空を仰ぎ、凍てつく冬空に向かって呟く。
「――もう黙々とやるしかないな」
雪の匂いが混じる風が、二人の外套を揺らした。
――地獄の一週間が始まった。
共振、圧縮、生成。 箱、土、共鳴、圧縮、生成。
終わらないリズムが凍りついた空気に響く。トレノは黙々と積み上げ、運び、整理。
ヴェゼルはただ黙って新しい煉瓦を生み出す。ときどき手がぶつかる。
「あっ……すみません」
「あ、いや……」
それだけの会話。けれど、不思議と息は合っていた。指先は痺れ、鼻水は凍りかけ、風が肌を切る。
「……寒いね、トレノ」
「はい。焚き火、もう少し近づけましょうか?」
「いや……レンガが焦げるから」
「焦げる、ですか」
「……焦げる気がする」
「気がするだけ、ですね」
二人の会話はすでに理性を越えていた。それでも午後には焚き火を囲み、凍りそうに冷えたスープを温め合って食べた。
地面には霜が降り、まるで氷の粒のように冷たい。
サクラたちは三日目以降、もう姿を見せない。アビーは「勉強」と称して屋内でぬくぬく。ランツェは「アビー様のお世話」とかいう言い訳を残して消えた。
残るは男二人――孤独な作業戦線。
六日目の夕方。息をするたび、白い霧が空を漂う。
ヴェゼルの顔は土と煤で真っ黒になり、トレノの髪も砂で灰色に染まっていた。
「……ヴェゼル様、あと何個ですか……?」
「……残り千。あ、九百八十七」
「……それ、数えてるんですか?」
「いや、数えてる“気がする”」
「……気がする、んですね」
二人の間に、雪よりも静かな連帯感が生まれていた。
――そして七日目の夕刻。
オレンジの光が雪雲の隙間から差し込む。最後の一塊を圧縮し終えた瞬間、ヴェゼルは立ち上がり、息を白く吐いた。
「……終わった……!」
その声は、寒空に小さく溶けた。全身の力が抜け、思わずトレノを抱きしめる。
「トレノ……トレノがいてくれて……ほんとによかったよ……! 今なら言える! おぉ、心の友よ!」
「え、あ、あの……!」
「泣くなよ、俺も泣くから……!」
「いや、泣いてません!」
「泣いてるだろ!」
「泣いてませんってば!」
夕焼けが二人を包み、レンガの山を金色に照らす。遠くでルークスとステリナが立ち止まり、ひそひそと囁いた。
「……あれ、なんか……そういう関係? ……見ちゃ…いけなかった?」
「うーん……たぶん友情?だと思いますけど……どうなんでしょう…」
「だよな……」
けれど二人は気にも留めず、ただ冬の空に笑っていた。
指先も、頬も、寒さで真っ赤。けれど確かに――温かかった。
その夜。
全員で食卓を囲む。
ヴェゼルはこれ見よがしにトレノの肩に、腰に、首に腕を回した。
「やっぱり、最後は男の友情だよねぇ!」
「……なんなのよ、その主張」とアビーが眉をひそめる。
「べ、別に、私だって手伝おうと思ってたのよ!」サクラが慌てる。
「じゃあ来ればよかったじゃないか!」
「だって寒かったし!」
「寒いとか言わないでよ! 俺たち鼻水凍らせながらやってたんだよ!」
「ふふ……お二人とも、日焼けしてますね」とランツェが微笑む。
「冬に日焼けなんて、聞いたことありません」
「それが現場の男ってやつさ」
ヴェゼルがドヤ顔で答えると、アビーは呆れ顔で笑い、サクラは唇を尖らせる。
「なんか……トレノにだけ優しい気がする」
「え、そうか?」
「そうだよ! なんかずるい!」
「ずるいって言われても……そうか! トレノ! 今日は一緒に寝ようか!」
「いや、それは……」
「なによ! トレノにだけ!」
トレノは真っ赤になり、アビーは冷ややかに目を細め、ランツェは静かにため息をつく。
グロムが食卓の端で呟いた。「……なんの諍いだよ…」
食堂に笑いが広がり、外の窓にはうっすらと霜の花が咲いた。初冬の夜風が屋敷を撫でる。
明日からはいよいよ積み上げ作業――
だが、この10日間を乗り越えた二人の間には、レンガよりも固い、ちょっとおかしな絆ができていた。




