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第248話 ヴェクスター男爵来訪

バーグマン・フォン・ヴェクスター男爵の馬車が、午後の陽を浴びながら領館の前で止まった。


砂煙が静まりきるよりも早く、扉が開く。中から飛び出してきたのは、久しく見なかった少女――アビーだった。


彼女はそのまま駆け寄り、ためらいもなくヴェゼルに飛びついて抱きつく。その勢いに、ヴェゼルは思わず体を支えるように腕を回した。


「ヴェゼル……! 本当に……本当に無事で……!」


「アビー……久しぶりだね」


震える声が服に染み込む。ヴェゼルが名を呼ぶと、アビーの肩がさらに小刻みに震えた。だが次の瞬間、彼女の瞳が真剣な色を帯び、唇が震えながら問う。


「ヴァリーさんは……本当に……?」


ヴェゼルは静かに、抱きつく彼女をそっと離した。


そして、まっすぐに目を見て――何も言わず、ただ一度、頷いた。その瞬間、アビーの目から涙が溢れ、頬を伝い落ちる。


言葉を失ったまま、再びヴェゼルの胸に飛び込み、嗚咽をこらえるように顔を埋めた。そんな二人を、少し離れたところから見つめる男の声が響く。


「婿殿――今回は、難儀だったな」


豪奢な外套をまとったバーグマン・フォン・ヴェクスター男爵が馬車から降り立つ。その後ろには、アビーの家庭教師であるオースター司祭の姿も見えた。


「ヴァリー殿の件は、帝都の屋敷にいたうちの使者から早馬で聞いた。……まったく、教国の連中め、どこまで腐っておるのか」


「……ええ、まさか直接クルセイダーが来るとは思いませんでした」


ヴェゼルが答えると、バーグマンは重く頷いた。


「だが、こういうのは憚れるのかもしれんが、婿殿が無事だったのは、不幸中の幸いだ」


そこに、領館の玄関からフリードとオデッセイが姿を見せた。フリードが深く礼をし、オデッセイが落ち着いた声で口を開く。


「お久しぶりです、バーグマン男爵。どうぞ中へ。……ヴァリーの墓にもご案内します」


「ああ、頼む」


三人と司祭、それにアビーが並び、領館脇の墓地へと向かった。静かな風が吹く中、ヴァリーの墓前で全員が膝をつき、手を合わせる。


バーグマンはしばらく無言のまま祈り、やがて目を閉じた。


「――ヴァリー殿の笑顔、忘れんよ」


オースターも小さく祈りの言葉を捧げる。



一同は再び館に戻り、応接間で向かい合った。


温かな茶が配られ、空気がようやく落ち着いた頃、バーグマンが低い声で切り出す。


「して、婿殿。……そのクルセイダーとの戦い、詳しく聞かせてくれんか」


ヴェゼルは頷き、戦闘の経緯を包み隠さずに語った。収納魔法の件も、すべて正直に。話を聞き終えたバーグマンはしばらく沈黙したあと、眉を上げた。


「――やはり、規格外だな。婿殿の魔法は」


「……少しだけです。独自の工夫です」


「ははっ。帝都の魔法省に聞かせてやりたいものだ」


アビーが横で目を丸くし、「そんなことまでできるの……?」と呟いた。


「今後はどうするつもりだ?」とバーグマンが問うと、代わってオデッセイが静かに答える。


「基本的には、向こうから仕掛けてこない限りは、こちらから正面からは戦いません。方針は――“専守防衛”です」


「……専守防衛?」初めて聞く単語に、バーグマンは首を傾げた。


オデッセイは隣のヴェゼルを見てから微笑む。


「この言葉は、ヴェゼルが教えてくれたのです」


「相手から武力攻撃を受けた場合にのみ防衛力を行使し、その行使も必要最小限にとどめる――という意味です」


フリードが腕を組み、重々しく頷く。


バーグマンはその言葉を噛みしめるように呟いた。


「……専守防衛、か。なるほど、理に適っている。わしの領も、それを方針としよう」


バーグマンは笑みを浮かべ、杯を傾けた。そして、力強く言い切る。


「もしも教国との戦いになったら、真っ先に声をかけてくれ。うちの領が全面的に協力する。いわば同盟だ!」


その豪快な笑いに、ヴェゼルも思わず笑みをこぼす。フリードとオデッセイも立ち上がり、三人揃って深く頭を下げて、オデッセイが感謝を述べる。


「ありがとうございます、バーグマン様」


「よい、婿殿の家族だ。困ったときは持ちつ持たれつだ」


(帝国内の法では、貴族同士の私戦で他貴族が参戦することは禁止されている。だが、教国は国外勢力――この“同盟”は、法の外側にある絆だった。)



そして、バーグマンがふと真顔になり、ヴェゼルたちを見回した。


「しばらく、アビーをここに滞在させようと思う。……預かってくれるかな?」


「もちろん。歓迎します」


オデッセイが即座に応じると、バーグマンは満足げに頷き、唐突に笑い声をあげた。


「婿殿、手を出しても構わんのだぞ?」


その瞬間、アビーの拳が閃いた。


「お父さまっ!!」怒号とともに、彼の脇腹に全力の一撃がめり込む。


「ぐっ……! こ、これは効いた……ぞっ!」


呻きながら悶絶するバーグマンを見て、アビーは真っ赤になった顔を両手で覆う。


「もうっ、そんなこと言わないで!」


その場の空気が笑いに包まれる。ヴェゼルも思わず苦笑し、アビーが改めて彼の方を向いた。


「よろしくね、ヴェゼル!」


「こちらこそ」


少し離れたところで、バーグマンはまだ脇腹を押さえながら呟く。


「まったく……困ったものじゃ。魔法省に戻ったアビーの講師のウルス殿が、その後戻ってこんのだ。あやつがいれば……」


オデッセイが肩をすくめた。「魔法省も、最近は何かと静かですからね」




フリードがアビーにやりと笑って言った。「義父さんでも構わんぞ!」


その発言をした途端、フリードに厳しいオデッセイの視線が突き刺さる。


「おばさんはやめてね」とオデッセイが冷ややかに返すと、アビーは無言で頷いた。


そのとき、ヴェゼルのポケットから小さな声がした。


「私もよろしくね! あと、夜になると面白いことが起こるから驚いてね!」


顔を出したのは、妖精サクラだった。ヴェゼルは苦笑いする。


「アビーがいれば、婿殿の心も少しは軽くなろう」バーグマンがそう言って微笑む。


出立の支度を終えたアビーが、再び振り返り、明るく笑った。


「フリードおじさん! オデッセイおば……オデッセイさん! お世話になります!」


「よろしい」とオデッセイが満足げに頷く。


アビーの後ろで、アクティが飛び跳ねていた。「アビーおねーちゃん! いっぱいあそぼうね!」


「ええ、もちろん!」とアビーが手を取ると、二人の笑顔が重なった。


その横で、サクラが得意げに言う。「でも夜は、ヴェゼルと寝るのは私だからね!」


「な、なにそれ!」とアビーが赤面し、館の中に笑い声が広がった。


――そうして、ビック領に新しい風が吹き込んだ。


それは悲しみの余韻をそっと包み、次の時代への小さな希望を告げるようでもあった。

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