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第245話 アヴァンタイムの審問02

アヴァンタイムは、数人の護衛を連れて帝都を発った。


影の報告とベンティガの話をまとめると、目的地はノア――ヴェゼル一行が最後に立ち寄ったであろう町だ。


乾いた街道を馬蹄が打ち、夜明けとともに霧が上がる。二日後の夕方、彼らはようやくノアの城下に辿り着いた。


石畳の広い大通り、その中央に威容を誇るバネット商会の看板が見える。アヴァンタイムは一行を従え、ためらいもなく正面の扉を押し開いた。


突然の闖入に、商会の客や従業員が息を呑む。


「お、お客様……!」


「バルカン帝国皇帝の命を受けた審問官である。すぐに商会長か代理を呼べ」重々しい声が店内に響く。


その騒ぎを聞いて奥から現れたのは、柔らかな笑みを浮かべた青年――カデット。ルークスの兄であり、現在は本店を父ベンティガに代わって取り仕切る男だ。


「これはこれは、帝都よりお越しとは。こちらへどうぞ、応接室をご用意しております」


慇懃に頭を下げながらも、その声音にはどこか皮肉めいた響きがあった。アヴァンタイムは眉をひそめつつも、無言で案内に従う。


重厚な扉の奥、応接室。高級な茶器が並ぶテーブルを挟み、二人は向かい合った。


アヴァンタイムは椅子に深く腰を下ろし、組んだ指の間から鋭い視線を投げる。


「単刀直入に聞く。ヴェゼル一行がここに立ち寄ったことは知っている。ヴェゼル達とクルセイダー襲撃事件――その知っていることの全ての詳細を話せ」


カデットは一瞬、眉を上げる。


「その件でございますか。ええ、聞いております。しかし……」


「しかし?」


「残念ながら、我々も多くは知りません。ヴェゼル殿たちは当商会に一日ほど滞在し、すぐに出立されました。みな疲れ果てており、ヴェゼル殿ご本人は口を利くこともままならぬご様子で。


聞けたのは、“教国のクルセイダーに襲撃された”という一点のみです」


その穏やかな口調に、アヴァンタイムの眉間が深く寄る。


「そんなことがあるわけがなかろう!」


怒号が響く。護衛たちが身を固くし、使用人たちは廊下に身を潜めた。


だが、カデットは微動だにしない。その表情は、嵐の前の湖面のように静かだった。


「では、アヴァンタイム様。あなたは、我々が嘘を申していると?」


「……嘘ではないかもしれん。だが、隠していることはあるはずだ」


「隠している、とは?」


「女と子供を含む十人ほどの一行が、教国の精鋭クルセイダー三百人を殲滅した――常識で考えればありえぬ! 妖精か精霊の加護でもなければな!」


アヴァンタイムの声が響いた。机の上の茶器がびくりと震える。


カデットは静かに目を伏せ、しばしの間、湯気の立つ茶を見つめていた。やがて、ゆるやかに口を開く。


「残念ながら、加護のほどは存じません。ただ――ヴェゼル殿は姉の薫陶の賜物か、人を傷つけることを好む方ではありません。その彼が戦わねばならぬほどのことがあったのだとすれば、我々が語るべきことなど、何もないでしょう」


その口調は淡々としていて、まるで帝国の役人に語るというより、茶席で季節の話でもしているかのようだった。アヴァンタイムは歯噛みした。


「では、妖精の件はどうだ!」彼は身を乗り出す。


「ヴェゼルの周囲にはいつも妖精が飛んでいたという噂がある。そして教国の主張が真実ならば――その小さい妖精をヴェゼル殿か、その父か母かは知らぬが、どこからか攫ってきたということではないか! 教国はそれを保護しようとして戦闘になったと主張している! それについてはどうだ!」


「どうだと言われましても」カデットは苦笑し、茶を一口含んだ。


「その件に関しましては、まず、私は小さい妖精なるものを見たことがございません。ヴェゼル殿の周囲を飛んでいたのも、残念ながら見た覚えがないのです。これに関しては一切の偽りはございません」


口では穏やかにそう言いながら、心の中では別のことを思っていた。――私が会った妖精殿は十代半ばの娘ほどの大きさだったしな。小さいとは言いがたい。――しかも飛んでいなかった。夜は歩いていたし、朝はヴェゼル殿のポケットからひょっこり顔を出していたくらいだ。


思考の端で、自分が父ベンティガに似てきたと自嘲した。あの人もこうして、相手の怒りを楽しむように会話を転がしていたものだ。


「……ふん、まるで他人事のように言うな!」アヴァンタイムが声を荒らげる。


「帝国の審問を侮るか、貴様ら商人風情が!」


その瞬間、カデットの目尻がすっと下がり、年相応の柔らかい笑みを浮かべた。


「とんでもございません。帝国の威光は海より深く、星より高いものと承っております。ただ……」


「ただ?」とアヴァンタイムが苛立ちを隠せず問い返す。


「――それほど深く高い威光であれば、私のような下賤の商人が届くこともありますまい。届かぬ相手を侮ることなど、どうしてできましょう」


一瞬、部屋の空気が止まった。アヴァンタイムの顔が引きつる。やがて「もう良い!」と怒鳴り、卓を叩いて立ち上がった。


外套を翻し、靴音も荒く部屋を出ていく。その背中を見送りながら、カデットは静かに茶を啜った。


――やれやれ。父上なら「もう少し泳がせてから怒らせろ」とでも言うだろうな。


唇の端をわずかに吊り上げ、湯呑の中の薄茶を見つめた。湯気の向こうに、商人らしからぬしたたかな光が、ほんの一瞬だけ揺らめいた。




宿へ戻ったアヴァンタイムは、窓辺に立ち、煙草に火をつけた。夜風が帳を揺らし、薄い煙を外へ攫っていく。報告に値するものは――何もない。


だが、なにもないことこそが、不自然だった。普通なら、あれほどの戦いの後、療養の期間を置いて再出発するのが常だ。


それをヴェゼルたちは、まるで追われるように、傷の癒えぬうちに旅立っている。アヴァンタイムの眉間に皺が寄った。


「……何かを隠しているのではないか」灰を払う指先に、無意識の力がこもる。


クルセイダー三百人の全滅。


女子供を含む、わずか十人の一行。


ヴェゼルの周囲を飛ぶ妖精の噂。


そして、“ハズレ収納魔法”のヴェゼル。


点と点が、頭の中でゆっくりと繋がっていく。やがて浮かび上がったのは、薄闇に似たひとつの仮説だった。


――凶悪な加護、もしくは強力な加護を持つ妖精か精霊? それはもう邪神か魔王ではないか……。


それも、教国が恐れるほどの存在。だから教国は国境を侵してまで奪おうとした。ヴェゼルは知らず知らずか知ってか、それを庇護しているのではないか。


「妖精は普通は女だ……」と、煙草をくゆらせながら呟く。


「ヴェゼルの噂に“スケコマシ”とある。あの固かったヴァリーが死を賭して守るほどなら……」


アヴァンタイムの中で、確信とも妄想ともつかぬ思い込みが、次第に硬化していった。真実は遠のき、確信だけが形を持っていく。


――ヴェゼルは妖精か精霊を抱えている。


――それも、帝国、いや世界の均衡を乱すほどの存在を。


夜の帳が降りる中、アヴァンタイムの胸には、恐れと興奮が入り混じった奇妙な熱が渦巻いていた。



数日後。


帝都へ戻ったアヴァンタイムは、報告のために宰相エクステラの執務室へと足を運んだ。黒曜石の机が重々しく光り、厚い絨毯の上に彼の足音が吸い込まれていく。


「ノアの商会を訪問いたしましたが、彼らは一様に口を閉ざしておりました」


アヴァンタイムは背筋を伸ばしたまま報告を続ける。


「ただ、ヴェゼル一行は襲撃の後、すぐに出立した模様。通常であれば、療養を要するほどの負傷があるはずです。あの早さには、強い――何かしらの意図を感じます」


エクステラ宰相は、黙って聞いていた。薄い金縁の眼鏡の奥で、瞳がわずかに光る。


「……つまり、何かを隠していると?」低く抑えた声が室内に響く。


「はい。個人的見解ですが――」アヴァンタイムは小さく息を吸い、確信めいた声で続けた。


「彼らを守護する“何か”。妖精、あるいは精霊の存在が、事件の鍵ではないかと」


長い沈黙が訪れた。


時計の針の音だけが、やけに大きく響く。やがて、エクステラが重く口を開いた。


「続きを」


「はっ。教国が国境を犯してまで躍起になって奪おうとするような――強力な何か。妖精か精霊の存在。その力によって、クルセイダー三百が殲滅された可能性もあるかと」


その言葉に、宰相の表情が僅かに変わる。


静かに机を叩き、「……ご苦労だった。下がれ」とだけ言った。


アヴァンタイムが一礼し、足音を残して退出する。扉が閉まると、室内に再び沈黙が満ちた。


エクステラは指先で机の表面を軽く叩き、思考の底へと沈んでいく。


――ヴェゼル。あのハズレ魔法使いの小僧が本当にそんな存在を?


あの力は何だ。知識か、精霊か、妖精か……それとも、彼自身が“新たな種”なのか。


それに、皇妃は彼を庇い、皇帝は皇妃の言葉に従っているようにも見える。ベントレー公爵は恐れて、同時に阿っているようだ。あの強硬な男が、だ。


人は未知のものを最も恐れる。ならば――ヴェゼルは、帝国がまだ知らぬ“未知そのもの”ではないのか。


宰相の脳裏に、静かな寒気が走った。黒曜石の机に映る己の顔が、ふと老けて見える。


「……巨悪か、希望なのか」


エクステラは低く呟いた。


「どちらにせよ、放置はできん。帝国の名の下に、膝下に跪かせなければ……」


その声は、誰にも届かぬほど小さく、しかし確実に帝国の歯車をわずかに回す音を孕んでいた。

大いなる勘違いですね。。

それを『幻想の暴走』とでも呼びますか。

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