第244話 アヴァンタイムの審問01
エクステラ宰相は、重厚な書庫の一角で、魔法省第二席アヴァンタイムを呼びつけた。机の上には、封蝋の切れ目が鮮明な封書が置かれている。宰相は書類に視線を落としたまま淡々と言う。
「この報告書の件だ。教国のクルセイダーがヴェゼル一行を襲撃した――その真相を調べ、審問してこい」
アヴァンタイムは立ち上がり、一礼して退出しようとした。しかし、宰相はふと低く囁いた。
「……私はヴェゼルという人間を信用しておらん。わかっているな?」
その言葉が、アヴァンタイムの耳を貫く。冷たい刃のように。アヴァンタイムはその声音に、宰相がヴェゼルに不信感を抱いていることを悟った。
心の中で静かに戒める。報告の際は、ヴェゼルに有利な言葉は避けなければ――と。帝都へ戻ったアヴァンタイムは、すぐさまバネット商会に呼び出しをかける。
応接室には、すでにアヴァンタイムが座っていた。そこに挨拶をしてから商会長ベンティガが座る。
「その方、知っていることをすべて話せ。ヴェゼル一行とクルセイダー襲撃の件だ」
アヴァンタイムの声には高圧的な響きがあり、まるで尋問そのものだった。ベンティガは冷静に答える。
「皇妃様に報告した手紙の通りです。私の知る限り、ヴェゼル一行はビック領へ直接行ったか、ノアへ向かったのではないかと存じます」
アヴァンタイムは鋭い視線を向ける。
「なるほど。だが、ヴェゼルとはどういう人物か。周囲では、可愛らしい妖精がいつも彼の周りを飛んでいると聞くが――真実はどうだ?」
ベンティガは少し笑みを浮かべ、ゆっくりと答える。
「ヴェゼルは、私の孫にあたります。賢く、可愛らしい孫でしてな。もしビック領の嫡男でなければ、我が商会に迎え入れ、将来を託したいほどの才覚と人柄です」
アヴァンタイムの目が鋭く光る。
「ではヴァリーのことは? ヴェゼルと仲が良く、常に周囲に妖精がいると聞く――」
ベンティガは小さく息を吐き、ため息混じりに答える。
「ヴァリーもヴェゼルと親しく、年は離れておりましたが、将来は良い夫婦になるだろうと思っていたのに、残念です。妖精の件ですが……周囲では、ヴェゼル殿の周りに可愛い妖精が飛んでいるという噂でしたな。しかし、私自身は実際にそんな可愛い妖精なぞ、見たことはありませんな」
そう言って、ベンティガは一呼吸置く。
表情は変わらない。しかし、心の中では小さく苦笑していた。
――“可愛らしい妖精”ねぇ……。
確かに、ヴェゼルの傍にいつも妖精のサクラがいた。だが、可愛いというより……なんと表現すれば良いのだろうか……いつもヴェゼルの頭の上でお腹を出して涎を垂らして寝ているだけだし、起きたら起きたで、横になっては、お尻をぼりぼり掻きながらお菓子を貪って…ボロボロと溢す……。
あのだらしない妖精、見かけは確かに可愛いのかもしれんが、ベンティガからすると可愛さはゼロだな……とてもじゃないが周囲を「飛んでいる」とは言えん。という判断だ。まぁ、ある意味、別の意味で『飛んでいる』のだが。
“周囲を飛ぶ可愛い妖精”など見たことがない。
もし“腹を出して寝ているだらしない妖精”がいるか?と聞かれたら、さすがに言葉に詰まったろうな……。ベンティガはそんな心の声を飲み込み、静かに微笑んだ。
アヴァンタイムはわずかに目を細め、彼の表情を読み取ろうとする。
「そうか。……実際に目撃してはいないのだな?」
「ええ。少なくとも、私の目には」
「それと――教国の主教、エスパーダとか言ったか。彼のことは何か知っているか?」
問われた老商人は、わずかに顎を引き、落ち着いた声で答える。
「ええ。ヴェゼル殿の一行が滞在していた折、その方にお目にかかりました。最初に見た時は、身なりも貧しく、正直、教国の聖職者とは思えぬほどに荒んでおられた。しかし、話してみれば静かで思慮深い方でしてな」
ベンティガは軽く息をつき、遠くを見るように目を細める。
「ヴェゼル殿の連れの一人――侍女見習いの幼い娘、カテラと言いましたか。重い病にかかっていたのですが、あのエスパーダ殿の聖魔法で、ほんの数日で回復して、旅立てるまでになったのです。私は、恩を感じておりますよ」
アヴァンタイムの眉がぴくりと動く。
「ふむ……つまり、聖職者としての力は確かだったと?」
「はい。しかし、それ以上は存じません。のちに、従者のキャリバーと名乗る男が加わりましたが、その者については詳しくは。控えめで、どちらかと言えば、主の陰に徹するような印象でしたな」
淡々と答えるその口調には、一切の虚飾がない。だが、老練な商人の声はどこか“語るべきことだけを語っている”響きを持っていた。
アヴァンタイムは机上のペンを指先で転がしながら、静かに次の矢を放つ。
「……想像でも構わん。十人そこそこの旅の一行が、教国の精鋭クルセイダー三百名を殲滅した。何か心当たりはあるか?」
ベンティガの表情は変わらない。長年の商談で、王侯貴族を相手にしてきた者特有の沈着さだ。
「さあ、想像の域を出ませんな。私はヴェゼル殿の魔法を見たことがありませんし、ヴァリー殿の力も拝見したことはございません。ですから、どう戦ったかは何とも言えませぬ」
「……つまり知らぬと?」
「知らぬ、と申し上げております」
アヴァンタイムはその無表情を測るように、目を細める。だがベンティガは怯まなかった。むしろ、彼の言葉の節々に“商人らしい計算”が滲む。
「ただ、我が商会から供をした者たちの構成は申し上げられます。次男の息子ルークスと、その同行者のステリナ――どちらも旅に慣れた者でして、自衛の術は心得ております。ですが、決して戦士ではありません。護衛たちも夜の見張りや荷馬車の防衛を主に担当しておりました。あくまで“守るための護衛”であって、“戦う兵”ではなかった」
アヴァンタイムが小さく唸る。
「……守りに比重を置いた、か」
「ええ。今回の戦闘も、恐らくは“生き延びるための防戦”であったのではないかと。ヴェゼル殿もヴァリー殿も本来は命を無駄にするような人ではありません。逃げることも戦いのうち――そうお考えの方でした」
言葉は穏やかだったが、その裏には確固たる信頼があった。アヴァンタイムは腕を組み、長い沈黙のあと、わずかに口元を歪めた。
「……なるほど。随分と見事な弁舌だ。事実しか言っておらんのに、こちらの疑念をかわすとはな」
ベンティガは微笑を浮かべる。
「帝都の方にはかないますまい。ですが、商いというのは“信を売る”仕事です。嘘を混ぜると、いずれ信用を失いますからな。私は、言わぬことはあっても、偽ることはいたしません」
その言葉に、アヴァンタイムの頬がぴくりと動く。まるで自分の術を見透かされたかのようだった。
「……老獪な商人だ」
「お褒めにあずかり光栄です」ベンティガは、軽く頭を下げた。
やがてアヴァンタイムが立ち上がる。
「――よかろう。貴殿の言葉はすべて記録に残す。今後、再び召喚があるかもしれん」
「その際は、正しく記録されていることを願いますよ」老商人の目が、わずかに細く笑った。
アヴァンタイムはその視線を受け止めきれず、外套を翻して部屋を出ていった。残されたベンティガは、誰もいなくなった応接室でひとり、ゆっくりと息を吐いた。
――まったく、あの魔法使いの若造。帝国の犬め。
だが、老獪な笑みが浮かぶ。
「商談も尋問も、駆け引きに変わりはない。相手に“自分が勝った”と思わせるまでが勝負、か……」
冷めかけた茶に、夕陽が映っていた。
――それにしても、可愛い妖精、ねぇ。世間の噂ってのは、どうしてこう美化されるんだろうな。
あの妖精、寝るか食うか、しゃべるかだけしか、してなかったぞ。というか、食べながら喋って、食べながら寝ていたな……。まあ……それでも、ヴェゼルの傍にいるのが似合っていたから、良しとするか……。
老商人の口元に、ほんのりと優しい笑みが浮かんだ。
『まあ、孫と家族が仲良くしているなら、それで良い。妖精の真実の姿は、秘密ということで――』…………
……サクラ………………、君は……なんて低い…評価なんだ……………………。




