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第236話 ヴェゼルの思い

ヴェゼルは、サクラのおかげもあって、ようやく自我を取り戻しつつあった。


隣では、精霊となったサクラが、ヴァリーのようにヴェゼルのベッドで静かに眠っている。その寝顔を見ていると、どうしても胸がちくちくと痛んだ。


思い出してしまう——ヴァリーの穏やかな寝息、温もり、そして笑顔を。まだ数日しか経っていないのだから、当然だった。


ヴェゼルは、ようやく冷静さを取り戻し、現実を見つめようとしていた。あの襲撃の光景が、ようやく「夢」ではなく「事実」として胸に沈みはじめていた。


ヴァリーがいない夜。手を伸ばしても、もうそこに温もりはない。いくら目を開けていても、もうあの笑顔は戻らない。


「……ヴァリーさん」


呟いた名は、夜の闇に溶けて消えた。ほんの少し前まで、一緒に手をつなぎ、同じ布団に潜り込み、笑い合っていた。


朝が来れば、サクラと三人で他愛もない話をし、昼は肩を並べて歩いた。その日々が、唐突に終わってしまった。


現世でも母の死を経験していたが、あのときはまだ心の準備ができた。時間をかけて「別れ」に向き合うことができた。


だが今回は違う。


ヴァリーは突然、理不尽な暴力に巻き込まれ、奪われた。その瞬間を自分の目で見たのに、心が現実を拒み、怒りと絶望だけが残った。


——燃えるような怒り。壊れるような喪失。理性を焼き尽くすほどの激情が、彼の心を飲み込んでいた。


「……話し合いで、何か変えられたのかもしれない」


呟いても、もう返事はない。あのとき、もっと冷静に交渉していれば。あるいは、力づくでも止めていれば——未来は、違っていたのだろうか。


エスパーダの真意も分からないまま、怒りに任せて腕を落とした。カテラを助けてくれた人だったのに。


「……俺は、あのときもう少し考えるべきだった」苦笑に似た息が漏れる。


そして、キャリバー。裏切りの報いだと割り切っても、胸の痛みは消えない。理屈ではなく、心が追いつかないのだ。


ヴァリーを失って、初めて知った。自分がどれほど彼女に支えられていたか。あの日、怒りの中で吐き出した言葉が、今も心に残る。


——教国を滅ぼす。聖職者を殲滅する。総主教をこの手で殺す。


子供の復讐のような言葉だと笑われるだろう。だが、誰かがあの理不尽を正さなければ、世界はまた同じ過ちを繰り返す。


「ヴァリー……俺は、まだ終われない」


その瞬間、ふと、耳の奥で彼女の声が聞こえた気がした。


——光希。


現世での自分の名を、ヴァリーが最後に呼んだように。気のせいかもしれない。けれど、それがもし本当なら——彼女は生きて呼んだのではなく、託したのだ。


“前を向け”と。ヴェゼルは息を吐いた。冷たい空気が肺に広がり、心の奥で小さな灯が揺れた。


「……行こう。ビック領に戻らなきゃ」


留まれば、帝都の者が事情聴取にやってくる可能性が高い。けれど今は、帰るべき場所がある。父フリード、母オデッセイ。次の策を練るために。


ヴェゼルは立ち上がった。悲しみは消えない。けれど、その痛みさえも、彼を歩かせる力になっていた。


——ヴァリーを失ってなお、彼の足は止まらない。


ふと視線を向けると、ベッドの上でサクラが目を覚まし、心配そうにこちらを見ていた。そして小さな声で言う。


「……そろそろ、寝ましょう?」


その言葉の響きが、ヴァリーの声と重なった。

胸がきゅっと締めつけられ、思わず目を伏せる。ベッドに横たわると、サクラがそっと腕を伸ばし、彼を抱き寄せた。


「私ね……ヴァリーのように、ヴェゼルをこうして包んでみたかったの」


その囁きは、まるで失われた日々の続きを夢見ているかのようだった。


ヴェゼルは何も言わず、まだ癒えぬ傷口を気にもせず、サクラの胸に顔を埋めた。痛みも涙も、その夜だけはすべて光に溶けて、彼はようやくあの日以来の深い眠りについた。





そして翌朝——


「ねぇヴェゼル! わ、私また戻っちゃったぁ!!」


その奇声で目を覚ますと、そこには昨日までの精霊の姿ではなく、いつもの小さな妖精のサクラがいた。


ヴェゼルは呆然とし、そして思わず吹き出す。


悲しみのあとに訪れた、ほんの一瞬の朝の笑いが、彼の胸にぬくもりを戻していった。




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