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第233話 影からエクステラへの報告

その日、帝都はまだ静かだった。


だが午後、商会の玄関口に二人の男が駆け込んだ。息を切らし、砂塵にまみれた姿はただ事ではない。ベンティガは最初、無作法を叱ろうとしたが、顔を見て言葉を飲んだ。彼らはヴェゼルたちの護衛だった。


すぐに奥の応接間に通し、侍女に水を運ばせる。二人は立て続けに二杯を飲み干し、ようやく声を整えた。ベンティガは腕を組み、低く問う。


「……どうした。まさか、ヴェゼルたちに何かあったのか」


一人が震える声で答える。


「トランザルプ神聖教国のクルセイダー三百人に囲まれ、妖精を攫ったと因縁をつけられました。戦闘になり……ヴァリー様が、カテラという少女を庇って……」


ベンティガの眉がわずかに動く。もう一人が言葉を継いだ。


「ヴェゼル様が激昂し、魔法を放たれました。ほんの十秒ほどで、三百人が……全滅しました」


部屋の空気が止まる。ベンティガはしばし無言で二人を見つめ、やがて重く息を吐いた。


「……エスパーダという聖職者がいたはずだ。奴はどうした」


「エスパーダはトランザルプ神聖教国の主教でした。ですが、今回の襲撃には関わっていなかったようです。ただ、従者のキャリバーがクルセイダーと通じていた様子でした」


報告を聞き終えたベンティガは、深く唸った。エスパーダはなんとなく、トランザルプ神聖教国の聖職者だろうとは思っていた。


そして、帝国内でトランザルプ神聖教国の軍が三百人単位で行動――それは明らかな領土侵犯、外交問題どころか宣戦布告に等しい。


そしてもう一つ。ヴェゼルが三百人を瞬時に殲滅したという事実。彼は、あえて孫の魔法のことを聞かなかった。


“ハズレ収納魔法”などと呼ばれていたが、母はあのオデッセイ、そして闇の妖精サクラに選ばれた少年だ。そんな力が凡庸なわけがない。


きっと、とんでもない真実がある。だがそれを口にした瞬間、帝国の均衡が崩れそうに感じあえていままで聞かなかったのだ。


ベンティガは静かに決断した。ルークスからの伝言――「魔法の詳細は伏せ、ただ事実のみを伝えよ」。


つまり、“帝国内でトランザルプ神聖教国のクルセイダー三百人が侵入・襲撃し、ヴァリーが戦死、クルセイダーは殲滅”――それだけを報告する。


しばし沈思の後、彼は立ち上がった。


「ご苦労だった。お前たちの働きは忘れん。だが、今聞いたことは口外するな。命に代えてもだ」


二人は顔を伏せ、無言で頷いた。扉が閉まると、部屋に静けさが戻る。ベンティガは筆を取り、手紙を書き始めた。


一字一句に重みを込め、最後に印を押す。封をしたあと、箱には小さなビー玉を添えた。それは、本来は商会の客寄せとして発表するはずだった透明のガラス玉――今は“皇妃への献上品”という体で、手紙を隠す器となった。


「……これは、帝国の火種になるかもしれんな」


呟きとともに、彼は執事を呼ぶ。


「この品を皇妃様へ。あくまで献上品としてだ。言葉は最小限に」


執事は深く頭を下げ、闇の中へと去っていった。その夜、バネット商会の使者が宮殿へと向かう。そして翌日、ノアにヴェゼルたちが到着するより前に、帝都はすでに動き始めていた。



宰相エクステラが報告を受けたのは、事件の翌朝だった。


帝都の政庁の一室。窓から差す陽光を受けながら、彼は長い指で机を叩いていた。報告を持ち帰ったのは、帝国影――エクステラ直属の密偵だ。


「……報告いたします。トランザルプ神聖教国のクルセイダー騎士団三百名が、帝都から約三日の距離のシグラで接敵。帝国領内にてヴェゼル殿一行を襲撃しました。ですが……結果はクルセイダーの全滅でした」


密偵の声は震えていた。エクステラは顔を上げると、静かに言った。


「全滅だと? クルセイダー三百の精鋭が、いくらヴァリーがいるとはいえ、あとは女子供のはずだろう?」


密偵は頷いた。戦場の様子をできる限り正確に伝える。彼はクルセイダーを尾行していたが、距離を取って潜伏していたため、戦闘を間近では見ていない。それでも――


「囲んだと思った瞬間、クルセイダーの騎士たちが次々に倒れたのです。剣戟も叫びもなく……ほんの数十秒もかからず、ほとんどが地に伏しました」


「魔法か?」


「おそらく。しかし、何を使ったのかは……見えませんでした。ただ、クルセイダーの第一騎士団長が倒れ、ヴェゼル殿が近づいた時、彼の悲鳴が響いたのを聞きました。その後、エスパーダ殿と接触。左腕を切り落とされたようです」


密偵の声にはまだ戦慄が残っていた。彼の言葉から、エクステラの脳裏に情景が浮かぶ。血と煙、そして静寂――それは、ただの戦闘ではなく、もはや災厄の光景だった。


「教国の生存者は?」


「三名です。クルセイダーの第一騎士団長――四肢欠損。従者のキャリバー――両腕を失い重体。そして、エスパーダ殿。左腕欠損。……彼だけが、正気を保っておりました」


「ふむ」


「ただ……」密偵が息を呑む。


「エスパーダ殿は、燃え上がる炎の前で、ヴェゼル殿たちの去った方角を見つめながら……こう呟いておりました。『教国は――禁忌に触れてしまった』と」


部屋が静まり返る。エクステラはゆっくりと椅子の背にもたれた。


「禁忌、か……」声は低く、乾いていた。


影の一人が長く息を吐く。彼らでさえ数多の修羅場をくぐってきたが、あの戦場の惨状は、言葉で形容することができなかった。


エクステラは沈思した。帝国内で、教国のクルセイダー三百が壊滅――それ自体が外交問題だ。しかし、それ以上に、女子供しかいないヴェゼルたちが三百人を殺したという事実が異常だった。


「……考えられるのは、禁忌というからにはヴェゼルの周りを飛びまわっている妖精の仕業か?それとも、死んだというヴァリーか、もしくは…………」


エクステラは独りごちる。「言い伝えによると、妖精にそんな魔法の力はなかろう? ヴァリーが命と引き換えに禁呪を放った? あるいは、母のオデッセイの手による毒か魔道具か……」


だが、すぐに首を振る。……毒や魔道具であれば、敵味方の区別なく死が訪れるはず。


――いや、違う。宰相の脳裏に、一つの名が浮かぶ。


ヴェゼル。


りんご一個分しか収納できないハズレ魔法使い。「……まさか、あの魔法で?」


しかし、理屈が立たない。ただの収納魔法で三百を葬れるわけがない。エクステラは己の思考を否定するが、どこかで確信にも似た寒気を覚えていた。沈黙を破ったのは密偵の声だった。


「宰相様、クルセイダーの死体、及びエスパーダ殿と従者と団長殿の処遇はいかがなさいますか?」


エクステラは目を細めた。


「……そんなものは、放っておけと言いたいところだが……教国相手にそれではまずいな。クルセイダーの死体は全て処分しろ。そして、エスパーダ殿たちは馬車と使いを用意して、教国へ送り返せ。途中で死のうが構わん。だが、できる限り情報は引き出せ」


「はっ」密偵は頭を下げ、闇に溶けるように部屋を後にした。


静寂が戻る。


エクステラは一人、窓の外を見やる。朝日が帝都の屋根を照らし、静かに輝いていた。


「ヴェゼル……オデッセイの息子か。あの女の血を引くなら、もはや放ってはおかない方がいいかもしれないな」


彼の声は、誰にも届かぬほど低かった。


その瞳には、すでに冷たい策謀の光が宿っていた。




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