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第226話 ヴェゼル一行を阻むもの

そして、今日はついに帰郷の日だった。帝都の空は澄み渡り、街路樹の葉が秋の風にそよぐ。


ヴェゼルは朝の光を浴びながら馬車の荷を確認した。


「もう積み終わったな」ルークスが答える。


出発するのは、ヴェゼル、ルークス、ヴァリー、エスパーダ、キャリバー、カムシンとカテラ、そしてステリナ――総勢八名の大所帯だった。


ステリナは、ずっとカテラの世話をしてくれていた女性で、このままホーネット村に移り住み、バネット商会の仕事を手伝う予定だという。


幼いころから商会に奉公に出ており、ルークスとも古い知り合いらしい。明るく元気で、誰にでもすぐに打ち解ける性格だ。旅の空気を和ませてくれるのがありがたかった。


馬車は二台。先頭にはヴェゼル、ルークス、ヴァリー、エスパーダ。後列にはキャリバー、カムシン、カテラ、ステリナが乗る。


さらに、バネット商会の従業員で護衛を兼ねた四人が同行していた。


本来なら、ベンティガが十人ほどの護衛をつけようとしたが、ヴェゼルもルークスも戦えるうえ、ヴァリーの魔法があれば十分だと判断し、最少の人数に抑えた。夜の見張りを交代で回すには、このくらいがちょうどいい。


道中、ヴェゼルはふとエスパーダの横顔を見た。――サクラのことを、まだ話していない。


闇の妖精であるサクラの存在は、帝都でも特別な意味を持つ。下手に知られれば、面倒ごとにもなりかねない。ホーネット村に着いて落ち着いてから話そう。


出発前、にサクラと話した。ホーネット村に着くまでは、収納箱か、せめてポケットの中で我慢してもらうしかない。


「ヴェゼル、ご褒美、忘れないでね!」


箱の中から小さく響く声に、ヴェゼルは苦笑した。「はいはい、帰ったらね」


「約束だからね!」サクラの声が途端に弾む。――このやり取りも、いつもの日常の一部だった。


出発の朝、ベンティガは涙ながらに見送ってくれた。


「泣かなくても、また会えるのに」


そう言って笑うルークスに、ベンティガは「毎回そう言って戻らない者もいるんだ」と呟いた。


この世界では旅は常に危険と隣り合わせだ。だからこそ、出立のたびに人々は真剣に別れを交わすのだ。


街道を抜けると、金色の草原が広がっていた。風に揺れるススキの波を見て、ヴァリーが微笑む。


「なんだか、もう秋ですね。ホーネット村は、もっと涼しい頃でしょうね」


ヴェゼルが頷く。馬車はきしみを立てながら坂を登っていく。




二日目の昼、峠の頂にたどり着いた一行は、馬を止めて息をついた。吹き抜ける風が涼しく、眼下には果てしない山並みが広がっている。


「ここを越えれば、もうすぐ“シグラ”だな」ルークスが額の汗をぬぐいながら笑った。


「交易の街ですか。宿も多いといいですね」ヴェゼルは空を仰ぐ。高い青空に、雲がゆっくりと流れていた。


旅も順調だ。このまま何事もなく帰れる――そう誰もが思っていた。


昼食を取るため、街道脇の広場に馬車を寄せる。ステリナとカムシンが鍋を出す。火を起こす音、薪が弾ける音。のどかな時間が流れた。カテラが湯気に手を伸ばしては笑い、ルークスがパンを切る。


そのときだった。――風が、止まった。


木々のざわめきが消え、鳥の声すら聞こえない。代わりに、遠くの方から“音”が届いた。最初は、風が地を這うような低い唸り声。だが、よく耳を澄ますと、それは声だった。


「……聖歌?」


ステリナが火の棒を落とした。その声は確かに、人の声――しかも、数百の。声が幾重にも重なり、山肌を震わせるほどの重低音となって押し寄せてくる。


やがて、一定のリズムを刻む足音が混ざった。鎧のきしみ、鉄靴が地を打つ乾いた衝撃。大地がわずかに震え、湯を入れた鍋がかすかに揺れた。


この聖歌に聞き覚えのあるエスパーダが怪訝な顔をする。


「……何だ?」ルークスが立ち上がる。


森の奥で何かが煌めいた。光だ――だが陽の光ではない。金属の反射。白銀の甲冑の列が、木々の影から現れ始めていた。


最初は十人、次に五十人。それが百を越え、やがて見渡す限りの“白”で埋め尽くされた。


「聖印の旗……」ヴェゼルの喉が鳴る。


旗の中央には、トランザルプ神聖教国の聖章――黄金の十字と、翼を持つ剣。


「まさか……」


ルークスが呟くが息を飲む間にも、隊列は止まらない。彼らは広場を完全に取り囲み、円を描くように陣を敷いた。その規律の高さは軍というより、儀式のようで、聖歌の声が徐々に重なり、鼓膜を震わせる。


三百。――いや、もっとだ。


森の奥から続々と兵が現れ、白銀の鎧が陽光を反射して、まぶしいほどに光を放つ。それは、神の加護を掲げる“聖なる軍勢”であるはずだった。だがヴェゼルの目には、それが冷たい刃の群れにしか見えなかった。


「騎士団……?」ヴェゼルの唇が震える。


エスパーダが静かに馬車から降りた。その顔には明確な苦悩が浮かんでいた。


「……トランザルプ神聖教国の……クルセイダー騎士団。なぜ……なぜ、こんな場所に……」


ヴェゼルが問うより早く、最前列の一団が進み出た。馬上の騎士が槍を掲げ、その声が森に響き渡る。


「――包囲を完成せよ!」


号令とともに、兵の列が一斉に動く。金属が擦れ合う音、馬の嘶き、土煙。数百の鎧が動くたびに、陽光が波のように反射する。


ヴェゼルの胸に、冷たいものが流れた。逃げ場など、どこにもない。それはもう、戦ではなかった。“神の名のもとに行われる処刑”のようだった。


ルークスが短剣を抜き、ヴァリーがヴェゼルの前に立つ。そしてヴェゼルも自分の剣の場所を確認するように剣に触れる。カテラとカムシンは震え、ステリナが庇うように抱きしめた。


ヴェゼルは唇を噛んだ。まだ、何もわからない――だが、ひとつだけ確かなことがある。


この静寂と聖歌の中で、何かが終わろうとしている。


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