第225話 明日は帰郷
そして翌朝。
帝都の空は薄い曇り空だった。いよいよ、ホーネット村へ――ビック領への帰還の日が近づいていた。
ヴェゼルは念のため、皇妃陛下に帰郷の旨を文にしたため、ベンティガの執事を通して送った。返事は思いのほか早かった。皇妃直筆の柔らかな文字には、こう記されていた。
――「本当なら、もう一度お会いしたかったのです」
私信ゆえ正式な文書ではなかったが、ベンティガいわく「皇妃様がもう一度と書いていたが、正式なものでもなく私信なので帰郷しても問題ないだろう」とのことで、ヴェゼルは安心して帰還の支度を整えることにした。
ただ一つ――ヴェゼルは最後に、どうしても皇妃へ届けたい“贈り物”があった。
「これを、陛下にお渡し願えますか?」
ヴェゼルが差し出した木箱には、光の粒のようなガラス玉が詰まっていた。ホーネット村で今や陶芸からガラスへと転向した職人・クラフトが作ったビー玉。小さな球体の中には、透き通ったカラフルな模様が、まるで水の精のように揺らめいている。
「……これが例の“ビー玉”ですね!」ベンティガは目を見開き、両手で宝石のように持ち上げた。
「ええ。皇妃様と皇子様、皇女様、公子様にも。それぞれに四十個ほどあります」
「なんと美しい……これを貴族社会に出せば、きっと帝都中が騒ぎになりますぞ!」
ベンティガはルークスと共に「このビー玉は、ガラスコップセットの特典にしようか」などと盛り上がる。
「買った方だけに“幸運の球”を添えるのだ」と得意げに語っていた。この仕掛けは、実はルークスの発案だった。
「最初の献上はコップだけにして、帰り際にビー玉を渡せば、両方とも印象が強く残るんじゃないか」
皇妃の印象には深く刻まれ、ベンティガの商談も一気に広がるだろう。
そしてヴェゼルは、もう一通の手紙を封じた。宛名は、魔法省のブカッティ第一席。
「ぜひ、ビック領に遊びにいらしてください」
それを読んだヴァリーが、くすくすと笑った。
「きっと、本当に来ちゃいますよ。あの方なら」
「うん、そうかもしれないですね」
ヴェゼルも苦笑しながら頷いた。老人にしては腰が軽すぎるが、それがまた彼らしかった。そうして二人は、アクティとの約束を思い出した。
“おみやげをたくさんかってきて”――その言葉を守るため、再び帝都の街を駆け回る。甘い菓子、可愛らしい雑貨、子ども向けのてごろな値段の宝石飾り。
ヴァリーは店先で次々と手に取り、ヴェゼルはそのたびに抱える荷を増やしていった。
「これも可愛い!」「いや、それはもう十個目だよ!」「でも、アクティちゃん喜びそうでしょ?」
「……たぶんね。でも荷馬車が悲鳴上げてる」
「いいじゃないですか、幸せの悲鳴ですよ!」そのやり取りに、通りの商人たちまで笑っていた。
最終的に、ヴェゼルが持てる限界を超えたため、いくつかの品は直接バネット商会へ配送してもらうことにした。
その日の午後、ようやく全ての用事を終えた二人は、ふと足を止め、互いに顔を見合わせた。
「……やっと終わりましたね。」
「うん。じゃあ、ヴァリーさんと自分のご褒美ということで――お茶でもしましょう」
ヴァリーが指差したのは、前に見つけた喫茶店だった。
店内は落ち着いていて、窓辺から見える通りには秋の光が差し込んでいた。カップの縁から立ち上る湯気を眺めながら、ヴァリーがぽつりと言った。
「ねぇ、ヴェゼル様。私ね、早くヴェゼル様との子どもがほしいんです」
ヴェゼルは驚き、そして優しく微笑んだ。「それはまた急ですね」
「だって、思い描いてみたら楽しいんですもの。一男一女がいいなぁ」
「具体的すぎますね」
「男の子はヴェゼル様に似て聡くて、女の子はアクティちゃんに似て……ちょっとだけわがままで可愛い子」
「……うん、僕似はどうかわからないけど、アクティ似はどうかなぁ。……アクティが二人の未来は楽しそうではあるけどね」
ふたりのカップが静かに触れ合う音が、柔らかく響いた。
「ホーネット村に帰ったら、ふたりきりでデートしましょ」
ヴェゼルはその言葉を胸に刻んだ。
外では木の葉が風に舞い、遠くで鐘の音が鳴る。それは、まるで何かを告げるような音色だった。
けれど、その予感が何を意味するのか――このときの彼らは、まだ知らなかった。
二人はバネット商会を目指して家路に向かう。髪をなびかせながら、ヴァリーは振り返り、笑った。
その笑顔はまるで、永遠を約束する光のようだった。




