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第224話 なんてことのない1日のはず  だったのに。

翌日。


エスパーダから、驚くほどの回復が報告された。カテラが手で支えられながらも、自力で歩いているのだ。


エスパーダは満足げに頷いた。


「やはりヴェゼルさんの“影響”があったおかげかもしれませんね」


ヴェゼルとヴァリーは思わず顔を見合わせ、笑みをこぼす。


エスパーダによれば、このまま順調に回復すれば、一週間後にはビック領への旅にも支障はないかもしれないという。


「無理せず、途中で休みながら行けば大丈夫でしょう」


その知らせに、カムシンは感極まって涙を拭っていた。


「カテラが……もう一度、一緒に歩けるなんて……!」


一方で、ルークスは別の意味で忙しそうだった。


「そろそろホーネット村の生産体制も拡張しなきゃ。ガラス製品の注文が止まらないんだよ」


どうやら皇妃への献上品が噂になり、高位貴族たちからの問い合わせが殺到しているらしい。流石に高位貴族は皇族にはあらゆる情報収集の網を張っているようだ。


皇妃の執事やベントレー公爵からも正式な依頼が入り、納期や数量の相談が続いているという。


「毎日が交渉と調整の繰り返しさ。嬉しい悲鳴ってやつだね。ウハウハとはこのことだ」とルークスは笑いが止まらない。


そこでヴェゼルがエスパーダに声をかけた。


「エスパーダさん、もし予定が空いてるなら――僕らの領にも遊びに来ませんか? 万が一、カテラの体調が悪くなったら、その場で診てもらえますし。是非、父や母にも会っていただきたいです」


「ふむ……そうですね。考えておきましょう」エスパーダは静かにうなずいた。


すると、キャリバーがすかさず胸を張る。「エスパーダ様の行くところには、どこへでもお供します!」


その真剣な顔に、思わず皆が笑った。


午後になると、エスパーダはカテラと庭で引き続き無理のないように配慮しつつ回復訓練を始めた。キャリバーは街へ買い出しに出かけ、カムシンはルークスについて回り商売の勉強をしているらしい。


一方その頃、ヴェゼルとヴァリーは久しぶりに仕事を忘れ、サクラと一緒に自室でのんびり過ごしていた。


窓からは柔らかな陽が差し込み、机の上には、サクラのために買ってきた色とりどりのクッキーが山のように並んでいる。


「ねぇヴェゼル、今日のクッキー、何種類もあるわね!」サクラは嬉しそうに目を輝かせた。


「うん、香りがいいね。……でも多くない?」とヴェゼルが言うと、サクラは胸を張る。


「もし残っても、ヴェゼルの箱に入れておけば、私がいつでも食べられるから大歓迎だわ!」


ヴァリーが苦笑しながら髪を撫でる。


「そんなに食っちゃ寝してて大丈夫? こないだ“あれ”が増えて大騒ぎしてたじゃない」


さすがヴェゼル、一応“体重”とは言わずにぼかすあたり、気配りが行き届いている。サクラは気にも留めず、胸を張って言い切った。


「大丈夫よ! いざとなったら、それでもいいじゃない? 私がどうであろうと、ヴェゼルは愛してくれるでしょ?」


「……まあ、うん、ほどほどにね」苦笑いしながらも、あえてヴェゼルは否定しない。


それにしても、喋っている間もサクラの手は止まらない。一口、また一口とクッキーを口に運びながら、話題が途切れることもない。


やがて、日差しが傾き始めたころ、サクラは満腹で動けなくなり、ヴェゼルの膝の上でうとうとと眠り始めた。


その柔らかな寝息を聞いているうちに、ヴァリーもヴェゼルも、次第に瞼が重くなっていく。春のような陽気が差し込む部屋の中で、三人は寄り添うように小さく眠りに落ちた。


その静けさは、まるで夢と現の境のように穏やかで、幸福な午後のひとときだった。その静けさを破ったのは、控えめなノックの音だった。


「ヴェゼル様、ヴァリー様――お客様がお見えです」


侍女の声に、二人は顔を見合わせた。胸の奥に、いやな予感が走る。




応接間へ向かうと、そこには紅茶を勝手に淹れて、すっかりくつろいでいるブカッティの姿があった。満面の笑みを浮かべ、いつもの調子で手を振る。


「……先生!?」


「おう、元気そうじゃのう」


「昨日の今日で、どうして!?」ヴァリーが思わず声を裏返す。


「なんとなく来ちゃったのじゃ」


「なんとなく!? 乙女みたいなこと言わないでください! 全然可愛くないです!」


「うむ、儂もそう思う」


「自覚あるなら言わないで!」その場の空気が緩む。笑いの中で、ブカッティは紅茶を置くと、急に目を輝かせた。


「ヴェゼル殿、あの言葉――“空気には重さがある”というやつじゃ! あれを考えておったら眠れんかったわ!」


「え、そこまでですか!?」


「すべてのものが地に引かれておるならば、それが“理”じゃ! 火も風も、水も土も、すべてこの力の上に成り立っておるのではないか!?」


「……たぶん、その通りだと思いますけけど」


「星はなぜ光る? あの光も理に従っておるのか? そしてこの世界の果てはどうなっておる!?」


質問の嵐。完全に少年の顔だ。


ヴァリーが小声で「完全に“研究モード”に入ってるわね」と呟くと、ヴェゼルも苦笑いで頷いた。


そのとき、ブカッティの視線がヴェゼルの胸元に止まる。「……今日は、いるようじゃのう。妖精殿」


ヴェゼルとヴァリーが一瞬だけ視線を交わし、ヴァリーが静かに頷く。


「先生、この子のことは他言無用でお願いしますね?」


「もちろんじゃ。墓まで持っていく」


「ほんとですか?」


「たぶん」


「“たぶん”が怖いんですけど!」


ヴェゼルは深く息をつき、胸ポケットに呼びかけた。


「サクラ、出ておいで」


淡い光が舞い、空気がきらめく。その中から、クッキーを両手に抱えたサクラが現れた。


「……さっきあんなに食べたのに、またか」ヴェゼルは思わず心の中で突っ込む。


「…んぐっ………わたしが闇の妖精サクラよ! ヴェゼルの妖精第一夫人なんだから!」


いつもの堂々とした名乗りに、ブカッティは目を丸くしたあと、腹を抱えて笑い出した。


「はははっ、なんと元気な妖精殿じゃ!」


「惚れないでよ! わたし、ヴェゼルの女なんだからね!」


「心配無用じゃ、儂はもう孫の年齢じゃからな!」


ブカッティは笑いながら帽子を脱ぎ、恭しく一礼した。


「改めて名乗ろう。儂はブカッティ。少しばかりエルフの血が混じっておる。よろしくな、妖精殿」


サクラは胸を張って答える。


「妖精なら、遠い遠い孫か玄孫か、ひょっとしたらそのまた孫かもね!」


「ほう、それは光栄じゃ。では今後は親戚付き合いをさせてもらおうかの」


「いいわよ。ただし、お土産を忘れないでね! 甘いものが一番。そのあとは美味しいもの、そして、最後は私が食べたことのないもの!」


「……サクラ、全部食べ物じゃん……それでいいのかよ……」


ヴェゼルが呆れたように小声で突っ込むと、サクラは得意げに頷いた。


部屋の空気は柔らかく、穏やかだった。紅茶の香りが漂い、笑い声が静かに重なる。ブカッティはカップを取り、そっと一口啜った。


その瞳は、少年のようにきらめいている。


「ヴェゼル殿。儂は長く生きすぎたと思うておったが……どうやら、まだ学ぶべきことがありそうじゃ」


ヴェゼルは苦笑しながらも真摯に頷く。


「学ぶ姿勢を失わない人ほど、若いんですよ」


「なら儂は、まだ十代かのう」


「……発言が危ない方向に若返ってますよ、先生」再び笑いが起こる。




ヴェゼルは、ふと思い出したようにブカッティへ向き直った。


「先生、さっきの質問の答えですが……この世の果ては、たぶんありません。世界は丸くて、ずっと真っ直ぐ進むと、また元の場所に戻るんです」


「ほう、球体の世界とな。それは面白い!」


「星が光るのも、“光”というものの理があるからなんですよ。たぶん、魔法のように見えても、本当は全部つながってる」


ブカッティの目がさらに輝く。「それじゃ! 理と魔法――その境界を探る旅の始まりじゃ!」


その日、ブカッティは夜更けまで居座り、ヴェゼルの部屋へと移動して夜食を運んでもらい、サクラも一緒に語り合った。


話題はいつしか「理と魔法の境界」へと移り、笑いと興奮が絶えなかったという。結局ブカッテイはその日、客間に泊まっていった。そして、早朝、夜の見張りの従業員にそそくさと挨拶をして帰っていったそうだ。


そして後に、ブカッティが書き残した魔法研究記録の最初の一文には、以外にもこう記されていた。


――“空気には、重さがある”。と。





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