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第223話 ブガッティとの面会04

炎の色――通常の火の魔法は赤や橙だが、白い炎は熱量が極端に高く、肉眼では捉えにくいほどだった。


次の瞬間、炎は音もなく飛び出し、数メートル先の標的に直撃する。


破壊の轟音も爆発の閃光もなく、そこにあった木製の的は一瞬で消え、炭になる間も与えず完全に蒸発した。


「……しまった、抑えすぎたつもりが……」ヴァリーが小さく呟く。


だが、ブカッティは呆然と立ち尽くし、ゆっくり前に歩き、的の跡に手を伸ばす。灰ひとつ残っていない。


「魔法発動までの時間、炎の収束速度、放出の直線性……儂の魔法よりも数段上じゃ。しかも魔力の消耗が見えん……」


「先生?」とヴァリーが声をかけると、老人は振り返り、ヴェゼルに向けて問う。


「これはお主の教えによるものか?」


ヴェゼルは軽く笑い答える。


「勘弁してください。これはヴァリーさん自身の素質と、母オデッセイの研究、そしてほんの少しの僕の知識の融合です。僕なんて添え物みたいなものですよ」


ブカッティは顎をさすり、目を細める。


「羨ましいのう。儂がもう少し若ければ……弟子入りしておったやもしれん。女性であったら、ヴァリーのように婚約を迫ろうかのう」


ヴァリーは困ったように笑い、ヴェゼルも肩をすくめた。しばらくブカッティは魔法の痕跡を眺め、深いため息をつく。


「……儂はのう、魔法を研究してもう五十年以上になる。だが、まだわからぬことが多すぎる」


ヴェゼルがそっと微笑む。


「……ブカッティさん」


「うむ?」


「今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。お礼をひとつ、差し上げます」


「お礼?」


「ええ。――空気には、重さがあるんですよ」


ヴェゼルはそう告げると立ち上がり、訓練場をあとにする。扉が閉まると広い空間にブカッティひとりが残され、しばらく動かずにその言葉を反芻した。


――空気には重さがある。ゆっくりとリンゴを放つ。落ちる。音を立てて床に転がる。


「……空気に、重さが……ある?」老人の口が震える。それはつまり、見えぬ空気が下に引かれるということ。

ならば、すべての物を下に引く力――それが、この世界の“理”なのではないかと気づく。リンゴを拾い上げたブカッティの目に、再び若き研究者の炎が灯った。


「なぜ物は落ちるのか――答えは、空気の重さか……! 空気の重さという理が、この世界を支配しておるのか!」


呟きながら練習場の脇にあった机に走り、羽ペンを取り、紙の上に次々と文字を書きつける。


理、質量、落下、浮力――すべての概念がつながる。しかしふとペンが止まった。


「……待て。なぜヴェゼル殿は、それを知っておる?」思考が膨らむ。


オデッセイの知識か、それとも闇の妖精の叡智か――いや、まさか。


「初代教皇が、かつてそうであったように……あやつもまた、“向こう側”から来たのか?」


椅子の背にもたれ、天を見上げるブカッティ。誰もいない訓練場で、老魔導師の笑いが低く響いた。


「……やはり面白い男よ、ヴェゼル殿」


そしてその夜遅くまで、訓練場の明かりは消えることがなかった。






馬車の車輪が石畳を静かに転がり、夕暮れの街を抜けていく。橙色の光が車窓を染め、二人の顔を淡く照らしていた。


「……ふぅ、疲れた」


ヴェゼルが小さく息を吐くと、隣のヴァリーが微笑んだ。


「お疲れ様でした、ヴェゼル様」


その声は、まるで帰路の風のように柔らかい。ヴァリーはそっとヴェゼルの手を握った。温もりが指先に伝わる。


「ブカッティさん、本当に“智の巨人”でしたね」


ヴェゼルが遠くを見ながら呟く。ヴァリーは少し肩をすくめて、いたずらっぽく笑った。


「……部屋をもう少し片づけてくれたら、その意見に賛同しますけどね」


二人の笑いが馬車の中に小さく響いた。


やがて、ヴェゼルの表情が少し真剣になる。彼は外の景色を眺めながら、静かに思考を巡らせていた。


――今日の話で、いくつもの疑問が浮かんだ。サクラは闇の妖精……だけど、もとは闇の精霊だったという。


そうは見えないけどな、と思わず苦笑する。


神とサクラの関係もまだ曖昧だ。なぜ、闇と光の精霊は地上に降りたのか?神はそれをなぜ怒ったのか?もしかすると、精霊は“天界”に縛られていた存在だったのかもしれない。


ブカッティの言葉が脳裏に蘇る。


――闇が光を生んだ。現世の神話では逆だ。


神が光を創り、闇はその残滓として生まれた。だが、この世界では、闇こそが原初。


光は闇から生まれた――というのか。不思議な感覚だった。


この世界の“神話の根”が、どこか現実よりも深く、人の理を拒むように複雑だ。


そしてもうひとつの疑問。


なぜ、サクラは精霊や妖精たちに嫌われているのか。闇の精霊が光を生み、光がさらに五つの精霊を生んだなら――血脈の始祖は闇であるはず。ならば、敬われこそすれ、嫌われる道理はない。


……それに、錬金や収納魔法には対応する精霊がいない。火・水・風・土・聖――それぞれに精霊が存在するのに。


錬金も収納も確かに存在する魔法だ。なのに、それに紐づく存在が見当たらない。(――つまり、誰かが“定義していない”魔法、ということか)


ヴェゼルは心の中で呟きながら、瞼を閉じた。「……定義、か」


思考の糸が、いつしか夢の底に沈んでいく。馬車の揺れが子守唄のように心地よく、まぶたがゆっくりと落ちていった。ヴァリーは、そっとその頭を支え、自分の膝に乗せる。


「もう、無理しすぎですよ……」


彼女は微笑みながら、ヴェゼルの髪を指先で梳いた。外では、夜の帳が街を包み始めている。


灯がぽつりぽつりと灯り、馬車の影を長く伸ばしていった。ヴェゼルの寝息が穏やかに響く。


その音を確かめるように、ヴァリーはまた小さく呟く。


「……ほんとに、すごい人ですね」彼の頭を撫でながら、ヴァリーの瞳はどこか遠くを見ていた。


それは尊敬でもあり、憧れでもあり、恋慕でもあった。やがて馬車は、街の灯を抜け、宿の明かりが見える丘の上へと差しかかる。


柔らかな夜風がカーテンを揺らし、二人の間に香草のような香りを運んだ。ヴァリーはそのまま、ヴェゼルの頬にかかる髪をそっと払う。


「……おやすみなさい、ヴェゼル様」


馬車の車輪の音だけが、夜の静寂をやさしく刻んでいた。

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