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第24話 朝の鍛錬とオデッセイの夜明け

フリードは起きた直後に、ドタバタと音を立ててはさっさと着替えていた。


すぐにドアを開けっぱなしで出ていった後、、オデッセイは書斎にひとり腰掛け、灯火に照らされた紙片を指で弄んでいた。


そこには、かつて錬金の塔で扱っていた数式や魔術式の断片が記されている。


彼女にとっては懐かしく、同時に忌まわしい思い出でもあった。


「……やはり、監視されているわね」小さく呟く。


 この辺境に嫁ぎ、もう何年も経つ。しかし、錬金塔――帝都の中央にそびえる巨大な学問と権威の象徴――は、彼女を完全に手放してはいない。


塔の研究員たちは定期的に辺境を訪れる商人や巡回者に紛れ、彼女の暮らしを遠くから見張っている気配があった。


 かつて錬金塔に最年少で入省し、数々の成果を上げた神童。


それが、無理やり辞めて突然塔を去ったかと思ったら、結婚を理由に早々と辺境の地へ隠遁。


塔にとって、オデッセイは惜しい逸材であり、同時に「いつか秘密を外部に漏らすかもしれない危険因子」でもある。だから彼女は常に、目に見えぬ網の中にいるのだ。


 ――だからこそ、今まで自重してきた。


辺境の寒村を少しでも便利にできる知識や研究成果で役立つことはあっただろう。


しかし、それを大っぴらに広めれば、塔はさらに強い興味を持ち、干渉してくるだろう。そうなれば、家族まで巻き込まれる。だから彼女は「ただの田舎の騎士爵の妻」を演じ続けてきたのだ。


 だが――。


 ヴェゼルの収納魔法(収納スキル)。


触れずに、ただ目視だけで物を収納する、常識外れの力。


「露見すれば、あれは……どう考えても、見逃されるはずがない」


 塔どころか、帝国全体が喉から手が出るほど欲しがる能力だ。もし広まれば、ヴェゼルは否応なく権力の渦に巻き込まれる。


 オデッセイは唇を噛んだ。


「今までは、目立たぬように……それが最善だと思っていた。でも、もう隠しているだけでは逆に危険になる」


 フリード――脳筋で豪快な夫は、もちろん何も気づいていないだろう。彼は、戦えば強いが、策を練ることや裏の駆け引きには縁がない。彼に頼ることはできない。


 だからこそ、オデッセイは決意を固めた。


「……わたしと、ヴェゼルと、アクティ。この三人で知識を重ね、力を蓄え、領地を発展させる。生き延びるために。フリードは、、、筋力強化?」


 指先に力を込める。紙片はしわになり、灯火に照らされて揺れた。


 翌日。昼下がりの居間。


外は冷たい風が吹いていたが、室内には暖炉の火が灯り、家族の声が響いていた。


ヴェゼルは母の隣に座り、アクティはその膝にのしかかって「おかーさま、あったかい」と甘えている。


「ねえ、ヴェゼル」


 オデッセイが声を潜めて切り出した。


「わたしは、錬金塔にいた頃……農業の研究はあまりしてこなかったの」


「農業?」


「ええ。塔で扱うのは、主に魔術式や錬金術、兵器や薬品。人々の生活に直結する“農”は、軽んじられていたわ。帝国にとって大事なのは石高――つまり麦の収量。麦こそが税の基本であり、国力の象徴なの」


 オデッセイの声には苦味がにじむ。


「麦が少なければ、他領から侮られる。実際、このビック領もそうね。寒冷地で麦が育たないから、わたしたちは笑いものにされている。……税として取り立てられる麦は、民が口にする前に国に吸い上げられてしまう。だから、領民はいつも空腹を抱えているの」


 ヴェゼルは黙って聞いていた。母の言葉のひとつひとつが、この村の現実を突きつける。


「正直に言うとね、わたしには農業の知識があまりない。塔では“無価値”とされてきた分野だから。でも、この地で暮らす限り、麦の壁に苦しみ続けることになる。どうすればいいのか……わたしも答えを持っていないの」


 珍しく弱さを見せる母の姿に、ヴェゼルは眉をひそめた。


「……でも、考えはあるんでしょう?」


「え?」


「だって母さんは、何でも諦めないじゃないか。剣しか知らない父さんを支えて、僕やアクティに魔法を教えてくれて……」


 ヴェゼルは少し笑って続ける。


「なら、農業だってきっと工夫できるよ。僕も考えてみる」


 オデッセイの瞳がわずかに見開かれる。


五歳の我が子が、まるで大人のような声で言葉を紡いでいる。もちろん、母は気づかない。ヴェゼルの内側にあるのが、この世界の常識を超えた“現代知識”であることに。





ヴェゼルはしばらく黙っていた。炉の薪がパチパチと爆ぜ、アクティが「ぱちぱちー」と真似をして笑う。その声を聞きながら、彼は慎重に言葉を選んだ。


「母さん……麦は大事なんだよね?」


「ええ。帝国は“石高”を基準に領地の価値を測る。麦の収量が少なければ、どんなに別の作物が豊かでも、他領からは侮られるのよ」


「……でも、それってどうでもよくない?」


 ヴェゼルの瞳に真剣さが宿った。


「そもそも、今更貴族の矜持も何もないと思うんだ。今でも厳しい状況なのに。それに、麦ばかり育てても、土地が痩せちゃう。だから、麦だけにこだわらないで、ほかの穀物を順番に植えればいいんだ」

「順番に……?」


 オデッセイが首をかしげる。


「そう。例えば、ひえとか、あわとか、そば、それから大豆。これをぐるぐる順番に育てるんだ。そうすれば、畑の土が疲れない。むしろ、どんどん栄養が戻ってくる」


「ちょ、ちょっと待って……ヴェゼル、あなたそれをどこで?」


「旅の商人から聞いたんだよ」


 ヴェゼルは即座に言い訳を織り込む。


「いろんな土地を回ってる人が言ってた。“畑を回して使えば痩せにくい“、”輪作”なんだって。僕、変だなって思って覚えてたんだ」


 オデッセイの目が丸くなる。


「輪作……そんな考え方、少なくとも帝国の学問では聞いたことがない。麦ばかりを求める今の政策と真逆だわ……」


「だって、麦ばっかりじゃ無理だろ。寒い土地なんだから、育ちやすいひえやあわを混ぜた方が絶対いい。どうせみんなの口には入らないんだから」


「……!」


 ヴェゼルの口調はまだ子供らしい。けれど、その言葉の奥に潜む理屈と説得力は、オデッセイを震わせるほどの力を持っていた。


 オデッセイは椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。


暗い大地が広がっている。貧しい土壌。寒風に揺れる畑。収穫期でも痩せ細った麦がわずかに残るだけ。


「……もし、あなたの言う通りに作物を回して育てれば」


 彼女の声は震えていた。


「この土地でも、民が腹いっぱい食べられるようになるかもしれない」


「なるよ」


 ヴェゼルは即答する。


「母さんならできる。僕も手伝う。父さんは……うん、きっと力仕事をしてくれる」


 母子の目が合い、オデッセイは思わず吹き出した。


「そうね、フリードはきっと、畑を耕すことしかできないでしょうね」


 二人で笑った。


アクティが不満げに「なんのおはなしー?」と割り込んできて、場の空気を和ませる。


 やがて、オデッセイは真剣な表情に戻り、深く息を吐いた。


「ヴェゼル。あなたの言葉で、わたしは決めたわ」


「決めた?」


「今までは、錬金塔に目をつけられるのを恐れて、知識や研究成果を隠してきた。でも……もう違う。ヴェゼル、あなた力とアクティを守るためにも、この領地を強くしなければならない」


 彼女の瞳は、まるで炎のように燃えていた。


「農業を、経済を、魔法を――とことん発展させる。もう控えめに生きるのはやめる。わたしたち三人で、この土地を変えていくわ」


「うん!」


 ヴェゼルは頷き、胸の奥に熱が広がるのを感じた。


 それは、辺境の寒村に生きる一家が、初めて未来を掴もうと決意した瞬間だった。











父の威厳は置き去りにして。。。









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