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第220話 ブガッティとの面会01

魔法省の奥、最上階の一室。扉を開けた瞬間、ヴェゼルは言葉を失った。


足の踏み場もない。書架の山、資料の塔、床に転がる羊皮紙の海。その中央で、山の主のように一人の老人が資料を睨みつけている。


白髪に墨のしみた指先。鋭い眼光だけが異様に若々しい。——ブガッティ第一席。


「……これは、どこに立てばいいにだろう」思わず呟いたヴェゼルの隣で、ヴァリーがため息をついた。


「相変わらずですね、先生」


そう言うと、挨拶より先に資料を脇へ積み上げ、自分の座る場所を確保し始めた。


ちなみに、大体の魔法省所属の魔法使いはブカッティのことを先生と呼ぶ人が多いのだ。


「ヴェゼル様も座りたいなら、そこの山を片付けてください」


指定された場所を少しずつ崩していると、奥から声が飛んだ。


「ヴァリー、わしの場所も、ついでに片付けておいてくれ」


ヴァリーが即座に振り向き、師を睨む。


ブガッティは舌打ちひとつ、しぶしぶ自分の座る周辺を整理し始めた。それから十数分後。ようやくソファと机が発掘された。


掘り出したベルをチリンと鳴らすと、紅茶とクッキーを盆に乗せた女性職員が入ってくる。ため息混じりに言った。


「先生、片づけてくださいって、何度も言いましたよね?」ブガッティは聞こえぬふりを決め込み、咳払いでごまかす。


彼女が肩を落として去ると、ようやく老人は顔を上げた。


「魔法省のブガッティじゃ」


ヴェゼルはすぐに姿勢を正し、答える。

「ビック領、フリード・フォン・ビックの嫡男、ヴェゼル・パロ・ビックです」


老人は一瞬だけ頷き、そして口元をゆがめた。


「ほう、ヴァリーの婚約者殿じゃな。鬼謀童子、スケコマシ、ハズレ魔法使い殿。どの噂が事実かのう」


低い声に皮肉が滲む。だがヴェゼルは微動だにせず、静かにブガッティの視線を受け止めた。


「噂は噂です」淡々とした口調だった。


「どうとでも捉えていただいて構いません。ただ――」


そこでわずかに言葉を区切り、目線を合わせる。


「他人がその人を評価するとき、同じように、その人もまた相手を評価しているということを、忘れている人が多いように思います」


部屋の空気がわずかに張りつめた。ヴェゼルの言葉は柔らかく、それでいて鋭い。


挑発を受けても怒らず、逆に鏡のように返すその姿に、ブガッティは目を細める。


「……ほう。口の利き方も一人前か」


かすかに笑いながら、老人は腕を組んだ。「面白い。噂で聞くより、ずっと“本物”じゃな」


くっくっと笑い、杖の先で机をとんとん叩く。


「よくこのじゃじゃ馬を落とせたのう。言い寄る男は皆虫ケラのように蔑んでいたのに、今のおぬしを見るその目は……まさに乙女のそれじゃわい」


「せ、先生っ!」


ヴァリーの顔が一瞬で真っ赤に染まる。


「はっはっは、怒るな怒るな。これくらいは言わせてくれ、愛弟子を連れ去られたのじゃからのう」


笑いながらも、ブガッティの目だけは鋭い。


「だがのう、今のやり取りだけでも分かる。この“鬼謀童子”という二つ名、嘘ではなかろう。ヴァリーが惚れた理由がわかるわい」


「……やめてくださいってば!」


ヴァリーの抗議も、どこ吹く風。ブガッティは満足そうにうなずく。


「ヴァリーは魔法の才能だけなら後々第一席を狙えた。そんな逸材をさらったのがヴェゼル殿とは……こりゃ、わしとしても複雑じゃな」


「母君のオデッセイもわしの塔の卒業生じゃぞ。つまりおぬしら、親子二代で魔法省の花を摘んでいったようなもんじゃ」


ヴェゼルが苦笑するより早く、ブガッティは続けた。


「しかももう一人の婚約者は五属性のアビー嬢じゃろう?あれは稀代の才女と聞いとる。それに、妖精の婚約者までおるとか。……神か精霊か、はたまた妖精そのものに愛されておるようじゃな」


一瞬、室内の空気が張りつめる。ブガッティの瞳が獲物を測るようにぎらりと光った。


しかし、ヴェゼルは視線を逸らさず静かに答えた。


「世の噂など、過ぎ去る風のようなものです。私の真実を知る人がいれば、それで十分です」


その言葉に、ブガッティの口元がかすかに緩む。「……否定せんのじゃな。妖精のことを」


「質問の意図が知識を探ろうとしているなら、私の口は重くなります。でも、敬意の確認ならば、沈黙も礼のうちかと」


「ほっほう!」ブガッティは大笑いした。


「まだ十にも満たぬというのに、舌がよく回る!エクステラ宰相もアヴァンタイムも“目が曇っていた”わけじゃ。……のう、次の魔法省の長、ヴェゼル殿に任せてもよいぞ?」


「ご冗談を」ヴェゼルは一歩も引かずに言う。


「ご存じのとおり、私はリンゴ一個分しか収納できない、ハズレ魔法使いですから」


ブガッティの笑いが止まった。瞳がわずかに細くなる。


「……ヴァリーが、おぬしに弟子入りを願ったとき、わしは信じられなんだ」


言葉を区切りながら、老人はゆっくりと杖を立てた。


「儂と同様、あの『魔法バカ』のヴァリーが、たった数日の出会いでヴェゼル殿に弟子入りを懇願したのじゃ。これがどういうことか、考えればすぐに答えがでる、違うかえ?」


小さく笑みを漏らす。


「しかも、ヴァリーのことじゃ。どうせ無理やりヴェゼル殿の婚約者の座に収まったのじゃろう?」


「……まぁ……」ヴェゼルが苦笑すると、ブガッティはさらに目を細める。


「ヴァリーがそれほど惚れた男じゃ。はじめは確かに、リンゴ一個分しか収納できない魔法だったのじゃろう。だが——」


杖の先で机をとん、と叩く。


「それほどの逸材が、ただのハズレ魔法で放っておくはずがない。なおかつ母が、あのオデッセイじゃ」


一瞬の沈黙。老人の声音が低く、鋭くなる。


「今はわかる。ヴァリーが惚れるのも無理はない。……おぬし、魔法の“真実”を知っておるのではないか?」


その言葉を皮切りに、二人の本当の対話が始まった——。

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