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第219話 ブガッティに会いに行く

夜。


いつものようにヴェゼルはヴァリーとベッドに入り、その枕元には小さなサクラ用の布団が用意されていた。が、今夜のサクラはやけに意気込んでいる。


「ヴェゼル、昨日言ったでしょ?もっと甘えさせてって!」と宣言すると、彼女は布団の上でちょこんと正座した。


「……はいはい、じゃあ頭でも撫でて――」


「まだ早いっ!最初は“あなたの女王様への挨拶”から!」


「……なにその儀式」


「“おやすみなさい、偉大なるわたしの女王様”って言うの!」


ヴェゼルが半分眠そうに従うと、サクラは満足げにうなずき、「よろしい。では私の好きなところを十個、順に述べよ」と腕を組む。


「十個!? 無理だって!」


「いいから言うの!順番に!」


横でヴァリーが布団をかぶって笑いをこらえている。


「ふふ……真面目に数え始めたわよ、王子様」


「やめて、笑わないで!」


そのあとも、サクラの指示は止まらない。


「はいはい、じゃあ……頭でも撫でてあげようか」


「うむ、よろしい」


素直に頭を撫でてやると、サクラは気持ちよさそうに目を細める。が、ふとヴェゼルの手が髪から肩のほうへすべりかけた瞬間、サクラの目がぱちっと開いた。


「――そこまでっ!」


「えっ!?」


「体を撫でるのは、結婚してからよ!」


ベッドの中で、ヴァリーがくすくす笑っている。


「ふふっ……サクラちゃん、なかなか慎み深いのね」


「私は“ヴェゼルの女王様”なんだから!」


得意げに胸を張るサクラに、ヴェゼルは頭を抱えた。


「……はいはい、女王様。もう寝ましょうね」


「その前に、“女王様はかわいいです”って言って!」


「……もう勘弁して……」




翌朝、ヴェゼルの寝癖は、これまででいちばん見事な方向を向いていたらしい。



そして、起きてすぐにエスパーダがいつものようにカテラの診察を終えた。彼の衣の裾が軽く揺れ、診察台の上で体を起こすカテラが、少し照れたように笑った。


「ほとんど回復しています。あとは、衰えた筋力を少しずつ戻す段階ですね」


「つまり、リハビリってやつか」ヴェゼルが腕を組み誰にも聞こえないように呟く。


「歩行や軽い運動から慣らしていきましょう。食事も少しずつ固形物を増やしていきます。肉や魚、大豆など、体力の基礎になるものを中心にね」


言葉は穏やかだが、目は真剣そのものだ。ヴェゼルはその様子を見て、また思う。この人は本当に医術に長けている。


しかし――それは「知識の断片」のような感じだ。包帯の巻き方、食材の組み合わせ、脈の測り方……どれも、この世界の常識ではない。


「……転生者、なのか?」そう思うこともあるが、彼の立ち居振る舞いはあまりに自然だ。


まるで、どこか別の場所で“現代”という断片を偶然拾ってきたような、不思議な雰囲気がある。


「ま、あとは食って寝て笑ってりゃ治るだろ。な、カテラ」


ルークスが軽く笑うと、カテラは恥ずかしそうに頷いた。


その笑顔が、数日前の瀕死の姿を思えば奇跡のように見える。彼女がここまで回復したのは、間違いなくエスパーダのおかげだった。


その日の午後。カテラの病状も安定したと判断し、ヴェゼルたちは、午前に連絡をしておいた魔法省へ向かうことにした。いきなり連絡したのに大丈夫なのかと思ったが、いつ来てもよいということだった。


目的は――魔法省第一席、ブガッティとの面会。帝都における魔法の頂点に立つ人だ。


「今日は、サクラは連れて行かないのですか?」


ヴァリーが尋ねると、ヴェゼルはポケットを軽く叩いた。


「一応、今回はお留守番です。……万が一がありますから。この収納箱も置いて行きます。宮殿や魔法省は気をつけようと思っていますから」


「賢明な判断ですね」ヴァリーは頷く。


バネット商会から借りた馬車に乗り込み、帝都の街並みを抜けていく。


高い塔が並ぶ。いくつかの検問を通過するたび、ヴァリーの表情が少し硬くなっていくのがわかる。


彼女にとって、魔法省は「かつての職場」であり――同時に「過去の重み」でもあるのだろうか。


馬車の揺れに身を任せながら、ヴェゼルは窓の外を眺めつつ問いかけた。


「ヴァリーさん、ブガッティ第一席って、どんな方なんです?」


ヴァリーは少し考えてから、苦笑いを浮かべる。


「一言で言うなら……魔法馬鹿、ですかね。結婚もせず、研究一筋。ずっと独り身のまま魔法と向き合ってきた人らしいです」


その口調には、どこか敬意と懐かしさが混じっていた。


「昔、私が魔法省にいた頃は、師のような存在でした。教え方はとても丁寧で、叱るよりも“考えさせる”タイプでしたね。ただ、講義が始まると止まらないんです。延々と三時間、魔法理論について語られて……だいたい私は途中で船を漕いでました」


そう言って、頬をかくヴァリーにヴェゼルは吹き出す。


「そんなに話が長いんですか」


「ええ。でも、内容は本物です。この帝国――いえ、この世界でも稀有な魔法使いですから。五属性すべてを使いこなすだけでなく、その根源を研究しているんです」


「根源?」とヴェゼルが首をかしげると、ヴァリーは少し表情を引き締めた。


「ええ。神、精霊と妖精。魔法を突き詰めていくと、どうしてもそこに行き着くらしいんです。ブガッティ先生は、その領域を“神聖統合論”とか呼んでいましたね」


彼女はそこでふと微笑んだ。


「……ただ、難しすぎて、私は半分も理解できませんでしたけど」


馬車の外では、魔法省の尖塔が遠くに見え始めていた。


ヴェゼルはその姿を見つめながら、胸の奥に小さな緊張を覚える。


――帝国最高の魔法使い。その扉の向こうで、どんな話が待っているのだろうか。


やがて、皇城の石壁が見えてきた。


皇城の隣にそびえるその塔――帝国魔法省。


まるで空に突き刺さるような尖塔をいくつも連ね、灰銀色の石壁には古代文字のような紋様が彫り込まれていた。

窓は少なく、どれも厚く覆われ、昼でもその威容は静かな威圧感を放っている。


近づくほどに空気が変わる。微かに魔力が漂い、地面の石畳ひとつひとつにも術式が刻まれているのが見て取れた。まさに、帝国魔法の中枢――その象徴といえる場所だ。


塔の西側には、広大な訓練場のような空間が広がっていた。高い防壁にぐるりと囲まれ、外からは中の様子がまったく見えない。だが、時折、壁の向こうから「ドンッ」と地鳴りのような音が響き、光の閃きが垣間見える。どうやら魔法の実験や訓練が行われているらしい。


「……あれが、魔法省の練習場かな」ヴェゼルが呟くと、ヴァリーが静かに頷く。


「はい。あの壁、厚さが五メートルあります。以前、雷撃の実験で半分吹き飛んだので、今は魔力障壁を三重にしているそうです」


「……怖い場所ですね」


「ええ。でも、帝国にとっては“知と武の心臓部”ですよ」


風が吹き抜け、塔の尖端で金色の紋章旗がはためいた。その姿はまるで、帝国そのものの威厳と栄光を掲げているかのようだった。


馬車が止まり、衛兵が門を開ける。


そこには、見覚えのある男が待っていた。


「……ガヤルド」ヴァリーが名を呟くと、男はゆっくり帽子のつばを下げた。


前にヴェゼルがふざけて頭を刈ってしまったのが関係しているのだろうか、帽子は彼にとって必需品になっているのかもしれない。


ヴァリーがそれを見て、思わず口元を押さえる。


「ぷっ……帽子で隠してるのね」


「笑わないでよ、ヴァリーさん。あの人根に持つタイプなんじゃない?」


そう囁くヴェゼルの声を聞いてか、ガヤルドが冷たい笑みを浮かべた。


「今さら何の用でしょうか。ヴァリー殿。もう魔法省は辞めたのでしょう?…それとも、今度は婚約者連れで復帰の嘆願ですかな?」


「用があるのは私じゃないわ。第一席と話をするの」


「ほぅ。『ハズレ魔法使い殿』の三人目の婚約者様が、ずいぶん出世したものですな」


舌打ち混じりの声。ヴァリーの頬がわずかに強張るが、ヴェゼルがその手を取って引いた。


指を絡め、恋人繋ぎにしてそのまま通り過ぎる。「行こう、ヴァリーさん」


「……ええ」


去っていく二人を、ガヤルドは苦い顔で見送った。帽子の下から聞こえる小さな舌打ちは、帝都の喧騒にすぐに消えた。


受付に着くと、若い女性が書類を整理していたが、ヴァリーの顔を見るなり目を丸くした。


「あら……ヴァリー様! 本当にお久しぶりです!」


「ひさしぶり。突然ごめんなさい。今日はブガッティ第一席に面会の約束があって」


「ええ、伺っております! あのヴァリー様が……婚約者の方と一緒に……!」


その声が広間に響き、数人の職員たちが振り返った。中には年配の男性もいれば、風格ある女性もいる。ヴァリーを見つけるなり、皆一様に驚いた表情を浮かべた。


「おお、ヴァリーが……男の子と? あれがヴァリーの婚約者なのか?」


「えっ、ヴァリーが男の子と手を繋いでる!?」


ざわめきが広がり、ヴァリーの頬がみるみる赤くなる。ヴェゼルは苦笑しながらも、彼女の手を強く握った。


「人気者ですね、ヴァリーさん」


「やめてよ……もう、恥ずかしいんだから」


「ふふ、似合ってますよ。ヴァリーさん」


すると、一人の壮年の男性が近づいてきた。


白髪交じりの髪を後ろで束ね、柔らかい笑みを浮かべている。


「君が――鬼謀童子のヴェゼル殿かな?」


「ええ、そう呼ばれてるみたいですね。()()あだ名もあまり好きじゃありませんが」


「噂は聞いているよ。だが、ヴァリーが選んだ男性なら、間違いはない。彼女を頼んだぞ」


「もちろんです。彼女は僕にとって、何よりも大事な人ですから」


その一言に、ヴァリーの目が一瞬潤んだ。周囲の空気が、少し柔らかくなる。


どうやら、魔法省の人々はヴァリーに今でも強い敬意を抱いているらしい。だが――ふと、ヴェゼルは視線の奥に異質なものを感じた。


廊下の奥、白い壁の脇に、ひとりの男が立っていた。声をかけるでも、表情を変えるでもない。ただ、静かに見つめている。


アヴァンタイム。魔法省第二席。以前、ビック領に視察に来た男だ。その時とは違う、冷静な瞳。だが、そこに敵意も好意もなかった。ただ、何かを計るような目だった。


案内の女性がやって来て、二人を応接間へと導く。長い廊下を抜け、階段を上がる。


壁に刻まれた魔法紋章が微かに光を放ち、空気が冷たく張り詰める。


ここが、帝国魔法研究の中枢――。


「ここです」


女性が立ち止まり、重厚な扉の前で一礼する。扉には銀の文様が刻まれ、上には「第一席執務室」と書かれていた。


「……いよいよ、か」ヴェゼルは息を吸い込み、ヴァリーを見る。


「緊張してます?ヴェゼル様?」


「してないですよ。……ただ、なんか不思議な感じです。帝国魔法の頂点に立つ人と、こうして話すことになるなんてと思いまして」


扉の向こうから、わずかに魔力の圧が漏れた。


まるで空気が震えるような感覚。


「――ブガッティ第一席、面会をお願いします」


ノックの音が響き、重い扉が開かれた瞬間、ヴェゼルは確信した。これまでのどんな交渉とも違う。


今日のこの一歩が、自分の何かが変わる日になるのだと――。

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