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第218話 キャリバー

 夕食後、団欒室でベンティガが湯気の立つ茶を差し出すと、エスパーダは礼を言い、静かに腰を下ろした。


 そして、まるで長く胸の奥に溜めていたものを吐き出すように語りはじめた。


「……私は、教会でそれなりの立場にありました。しかし――いつからか、教会という組織そのものに疑問を感じるようになったのです」


 穏やかな声の奥に、長い葛藤の影があった。キャリバーは黙って背筋を伸ばし、主人の言葉を見守る。


 そのまま続ける。


「教国もアトミカ教も、もとは教会と同じ源から生まれました。しかし、ほんの些細な教義の違いで二つに分かれ、互いを排するようになった。……教会からしてそうなのです。この世から争いが消えることはない。私は、その中で何度も祈りましたが、何も変わらなかった。いえ、変わるはずがない。祈りでなんて……」


そこで一旦言葉を区切る。そして話を続けた。


「街に出て人々を癒やしても、今日救えた命の裏で、さらに多くの人々が飢え、戦渦に呑まれていく。――宗教とは、いったい何なのだろうと、絶望しかけていたのです。そんなときに、ヴェゼルさんを見て、ようやく一筋の光を見た気がしました」



 そこで彼は小さく息を吐き、苦笑を浮かべた。


「……その矢先に、キャリバーが来ましてね。苦笑いするしかありませんでしたが」


 キャリバーが一歩前に出て、軽く頭を下げた。


「私はエスパーダ様のもとで長く仕えておりました。エスパーダ様は私が信じる、ただ一人の方です。……この方ほど慈悲深く、そして『下々の人々』に理解を示される方は、他におりません」


 一瞬、場の空気が揺れた。ベンティガが視線だけで空気を測る。キャリバーは気づかぬまま、真面目な調子で続けた。


「……生真面目すぎると、よく言われますが、悪意のつもりはありません。もし可能なら、私もここで共に滞在させていただけないでしょうか」


 ベンティガは無言でヴェゼルを見る。ヴェゼルが小さくうなずくと、老商会長は目を閉じて「よかろう」とだけ言った。


 それが、受け入れの合図だった。エスパーダは深く息をつき、今度は真剣な面持ちで口を開く。


「……それと、皆さんはご存知ですが、キャリバーには少し前に出会ったカムシンとカテラのことを話しておきましょう」


 その名が出ると、場の空気がわずかに引き締まった。エスパーダが淡々と、二人の境遇を語る。キャリバーは黙って聞き入り、ときおり相槌を打った。


 話が終わると、彼は静かに言った。


「やはり……エスパーダ様は、弱き者には必ず手を差し伸べられるのですね」


 その言葉に、エスパーダの瞳が一瞬だけ鋭く光った。


「違います。彼らは“弱き者”ではない」


 その声には怒りではなく、確信があった。


「たしかに幼く、身体もまだ未熟です。しかし、あのような環境で生き抜いてきた。心の強さは、むしろ私たちよりも上です。キャリバー、あなたは親から虐げられ、飢えに苦しみ、誰にも頼れぬ日々を生き延びることができますか? 大切な人が病に倒れ、薬も助けもなく、ただ目の前で衰えていく――そんな状況で、あなたはどう思うのでしょう?」


 キャリバーは唇を震わせ、言葉を失った。エスパーダは続ける。


「ヴェゼルさんがいる前で言うのは本来憚られますが、正直に申し上げましょう。あなたは先ほど、彼のことを“ハズレ魔法使い”と呼びましたね。では、彼の何を知っているのですか? どう生き、何を思い、どうしてあの兄妹を救ったのか」


「私は見ました。ヴェゼルさんは、見ず知らずの幼い兄妹が生死の境にいたとき、何の打算もなく救いました。しかも、親から彼らを買い取ってまで。自分に損しかない選択です。それでも、迷いもしなかった。――あなたに、それができますか?」


 静かな叱責に、キャリバーは肩を落とし、目を伏せた。ヴェゼルはその様子を見つめ、静かに息を吐く。


 確かに、彼の言葉には“上からの視点”があった。エスパーダは空気を読み、やわらかく言葉を続けた。


「キャリバーは根は悪くないのです。ただ、長い間教会にいたせいで、どうしても視点が偏ってしまう。もし皆さんが気づいたことがあれば、遠慮なく指摘してあげてください」


 キャリバーは深く頭を下げた。「……申し訳ありません。私も、学び直します」


 その素直な声に、張りつめていた空気がすっと和らぐ。ヴェゼルは湯飲みを口に運びながら、静かにため息をついた。


(……これは、少し先が思いやられるな)


 だが同時に、胸の奥でかすかな希望のような灯がともっていた。


 ――エスパーダが語った“信仰の外”の人間らしさ。


 それが、この異国の地に、確かに新しい火をともしていた。

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